第4話 マレとの出会い

 トゥイーリ専属侍女のジュリアが仕え始めて1年を迎えようとしていた6歳の頃に小さな変化があった。


 春が近づきつつある、2月のある暖かな日の昼下がりに、クローゼットの中から猫の鳴き声とドアをがりがりとこする音が聞こえた気がして、クローゼットを開けてみたら1匹のグレーの猫が長いしっぽを自分の足に巻き付けてちょこんと座り、トゥイーリを見上げて、にゃ、と鳴いた。


 どこから入ってきたのか疑問に思い、クローゼットの中を確認したら、腰をかがめれば人がはいれるようなドアがあり、開けてみると通路があった。

 通路には灯りがなかったが、足元は平らになっていそうなので、なんとか歩けそうだ。好奇心からその通路を進んでみると、中は普通に立ったまま歩けるようになっていた。


 気づくと猫もあとをついてきたので一緒に歩いていくと、またドアがあった。

 しばらく開けるか悩んだが、思い切ってそのドアを開けると横一面に高い壁があるところに出た。

 部屋にいる時、時折窓を開けて外の空気を感じることがあったが、その空気と一緒だということに気づき、外に出てきたと認識できた。


「にゃ~」

 足元で猫の鳴き声が聞こえ、そちらに目をやると、ついてこい、とばかりにトゥイーリの前を歩き始めた。


 そのまま猫について歩いていくと、しげみを超えた先にドアがあった。

 そのドアの前で猫が一鳴きしたので、思いきって開けてみると、どうやら高い壁の外に出られるようだ。

 人が歩いている気配は全くと言っていいほどなく、少しその道を歩いてみた。

 大きな建物がたくさんある場所だったがこの少しの冒険がとても面白かった。

 あまり部屋を留守にしてしまうのも問題があるような気がして、すぐに部屋に戻ってきたが、なぜか猫も一緒に戻ってきた。

「あら?あなたのお家はどこなの?」

 猫に話しかけても答えなど返って来るはずはないのに、そうつぶやいたが、

「あなたを守るためにきたのです、にゃ~」

「!?!?????? 猫ってしゃべれたのかしら?今、夢の中なのかしら?」

「トゥイーリさま、私はあなたの身内から頼まれここにいるのです、にゃ~」

「身内?って何?」

 猫はトゥイーリをちらっと見るとあくびをしてクローゼットの隅にいくとそのまま眠ってしまった。

「夢、なのかしらね、やっぱり」

 トゥイーリはクローゼットのドアを少しだけ開けたままにして、夢であるよう願いつつ部屋に戻り、本を読み始めた。


 その日の夜、眠るために部屋の灯りをすべて消してベッドに座ったとたん、不思議な光景を目の当たりにした。

 あたり一面が真っ白な光に覆われ、そこにあるはずの家具などが一切見えなかった。

 不思議に思っていると、女性の声が頭の中に響いてきた。

「我が娘へ。今日あなたと会った猫は私の分身です。私はあなたに何も教えることなくこの世を去ることにしたので、あなたに授ける予定だった知識と愛情を猫を通して授けます。そして、私からのプレゼントを猫に託しました。それをいつでもお守り代わりに身に着けていてください。きっとあなたを守ってくれるでしょう。そして、どうか何にも縛られることなく、自由に生きてください」

 女性の声は優しく温かく、トゥイーリは知らないうちに涙を流していた。

 手に何か触れたような気がしてそこをみると、あの猫がいた。

 口には太い腕輪をくわえていて、それをトゥイーリの前に置いた。

「トゥイーリさま。これからは、マレ、と呼んでください。あなたにいろいろと教えていきます。そしてこの腕輪をずっと身に着けていてください。あなたの母親の形見です」

「母親?形見?」

 トゥイーリは意味が分からず、首を傾げてマレをみる。

 母親というのはなんなのか?形見というのはなに?

 気づくと光は消え、見慣れた部屋の様子が浮かび上がってきた。

 窓から入るほんのりとした月明りの中、緑色の瞳がきらりと光り、今が現実なのか、夢なのか判断がつかない状況であったが、トゥイーリは腕輪を受け取り、迷うことなく左手の二の腕に着けた。そして、

「わかりました、マレ。これからどうぞ宜しくお願い致します」

 そう口にしていた。


 マレはトゥイーリが眠ったことを確認すると、人に変身し、トゥイーリに近づく。

 トゥイーリの頭をなでながら、

「やっぱりアリスィによく似ているな」

 と小さな声で呟く。

 プラチナブロンドの髪、透明感のある深い藍色の瞳。それはトゥイーリの母、アリスィと同じだった。


 8年ぶりにこの部屋に戻ってきたマレはトゥイーリを起こさないようベッドの端に静かに腰掛ける。


 マレはトゥイーリの先祖の代からアリスィの実家、ディユ家にいて、王家とディユ家の間に生まれた娘を代々見守ってきた。

 長い見守りの中で、母親不在というのはトゥイーリだけだ。

 なぜアリスィは亡くなったのか?その原因も探らないといけないが、トゥイーリの教育係としての役目が大きい。

(だけど、猫がしゃべるのって、普通じゃないと思うけど、びっくりしている様子がなかったな。感情がないのか?)

 両親から愛情を受けることも甘えることもなく育ったトゥイーリに胸が痛む。

(かなり昔に人間を育てたことはあったけど、どうなることやら……)

 これから16歳になるまで近くで見守るが、愛情をたくさん受けて、穏やかに成長してほしいと頭を撫でながら願った。

 また猫に戻ると、トゥイーリのもとにそっと近づき、丸くなるとそのまま眠り始めた。


 翌日、トゥイーリが目を覚ますと近いところで猫が丸くなって寝ていた。確認するように

「マレ?」

 と呼んでみると、耳をぴくっと動かし、顔を上げてあくびをしながら体勢を整え、ちょこんと座ると、

「おはようございます、トゥイーリさま」

 と挨拶をした。

「夢ではないのね?」

 念を押して確認したが

「夢ではないです。現実です。トゥイーリさまの左腕に腕輪がありますよね?」

 と言われたので左腕をみると、確かに昨日マレが母親の形見と言っていた腕輪が光っていた。

「この王城の中にいる時はその腕輪は洋服の下に着けてください」

「なぜ?」

「その腕輪は国王が探しています。盗まれたと思われないようにです」

「はい」

 と頷いて、腕輪を1度外し、左側の洋服の袖をまくった後に二の腕に再び着けた。

 その様子を見守っていたマレは小さく頷くと、

「さて、トゥイーリさま」

「はい」

「早速、今日から占い師として勉強を始めてもらいます」

「えっ?占い師?」

「そうです。誰に頼ることなく生き抜くためには手に職が必要なのです、にゃ~」

 トゥイーリははっとした。

 確かにいつまで、ここにいられるかわからない。

 何かのきっかけで、外に出されてしまうかもしれない。

「確かにマレの言うとおりだわ。だけど占い師じゃなくてもいいのでは?」

「この国のことはご存知ですか?」

「ルアール国のこと?」

「はい。ああ、それとここはルアール国の王城の中の一部屋です。それは知っていますか?」

「いえ、何も。気づけばここにいて、外に出ることもなかったの……本当にお城の中なの?」

 トゥイーリは再度、城の中であるか確認した。

「そうです。お城です」

 とマレは肯定し、話しを続ける。

「このルアール国は神から遣わされた占い師と旅人によって作られたという建国伝説があります。そのため、この国では占い師が尊重されており1人で生活していけるのです」

「そうなのね」

 トゥイーリにとってはここが城の中であるのが不思議だった。

「私はなぜ王城にいるの?」

 マレは言葉に詰まる。まだ6歳の子供に背負った宿命を教えるのは時期が早い気がしたのだ。

「それは……時期がきたらお話しさせて頂きます。今はまだ話せないことが多いのです」

 トゥイーリは不満そうな顔をしながらも、その話しを終わりにした。

 重い沈黙が流れるなか、ドアをノックする音が聞こえる。

「さて、トゥイーリさま」

「はい」

「勉強の前には、腹ごしらえが必要です、にゃ~」

 マレの一声で、朝食がこれからだと思い出した。

「そういえば、マレ、食事はどうするの?」

 マレはきょとんとし、首をかしげて

「こちらで出してもらえると聞いていますが?」

「誰に?」

 そこに侍女のジュリアが食事と顔を洗うための桶をのせたワゴンを押して部屋に入ってきた。

「おはようございます、トゥイーリさま」

「おはようございます」

「昨日はよく眠れましたか?」

 声を掛けつつ、食事をのせたワゴンをテーブルの近くに置き、手早くテーブルの準備を行い、朝食を並べていく。

「それと、料理長から伝言があり、猫の食事を用意したということですが……」

 ジュリアの戸惑う声が聞こえる。

 そこにマレが一鳴きすると、ジュリアは驚いた顔をして

「本当に猫がいたのですね……」

 と呟きつつ、

「こちらが猫の食事とのことです」

 と生魚を小さくぶつ切りにしたものを皿に盛ってあるものをトゥイーリに手渡す。

 マレを見ると、目を輝かせ、皿の上にのっている魚のぶつ切りを凝視している。

「ありがとうございます」

 トゥイーリはジュリアに声を掛けて、マレの前に置いた。

 マレは食べてもいいか、確認するように一声鳴いた。

 トゥイーリが静かに頷くと、マレは勢いよく皿の上の生魚を食べ始めた。

(そういえば、昨日、マレは食事抜きだったわ)

 マレが食事をする近くでトゥイーリも顔を洗い、すっきりとしたところで朝食を始めた。

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