鍵の落とし物

尾崎すう

第1話

わたしはよくものを落とす。


「落とす」というのは、「自由落下する」という方ではなく、「失くす」と言い換えられる方のことだ。


先週はサークルで使う小道具を落とした。幸い、買い物の後に寄った友達の家のソファの下で見つかった。安堵。この安堵のために落としたのではないか、とふと考えることがある。断っておくと、決して落としたくて落としているわけでも、安堵を感じるために落としているわけでもない。きっと、度し難いくらい自分の持ち物について不注意なのだ、とわたしは自分の落とし癖について見通しを立てている。




大学の授業が終わり、帰宅する。

来週がテストなのでテスト勉強をしようとかばんを開き教科書とノートを探すが、ノートだけが見つからない。今回は3時限目に受けた経営学のノートを教室に忘れてきたようだ。


自分でいうのもなんだが、わたしは超大学生級の落とし物のプロであると自負している。したがって、落とし物をした場所とそれが届けられる場所が頭の中で結びついている。


「経営学の授業は経営棟の第3教室だから北の学生センターか。」


学生センターは東・西・南・北・中央と5つに分かれている。北の学生センターは経営棟に近く、経営学部は夜間生徒も所属いることから、20時まで空いている。


今日は7時限まで授業を受けており18時45分に授業が終わって、大学から家まで15分。それから少し時間がたって現在19時15分だが、閉館までに残された時間は十分だろう。

取りに行こう。きっと第3教室も夜間の生徒の授業の関係で施錠はされてないから、自分の座っていた席の付近を探して、それでも見つからなかったら学生センターに行こう。


それはいつも落とし物をしたときのルーティンワークだ。まず落とした場所を探すーたいていここにあるー、次に学生センターへ向かう。


本日2度目の不本意な登校。しかしテストで失敗したくない、という気持ちが背中を押し、その反動で勝手に足が前に出る。


どうやら第3教室にはないようだ、と状況を把握したのは19時40分。そのまま北の学生センターへ向かう。


学生センターはロビーの机で課題をしている学生がちらほらいること以外は昼間とは異なり、職員が少なく、静かだった。昼間の電話の音やかしこまった社会人らしい敬語の音が少し恋しくなりながら、落とし物ボックスへ向かう。


本の形状をしているものは本棚に置かれているようで、わたしの経営学のノートも例にもれず、本棚の上から2番目の段の一番隅で居心地が悪そうに立っていた。ノートをカバンに入れ、晴れ晴れとした気持ちで帰ろうとすると、新しい名簿のようなものが目の端に映った。


「落とし物ノート」


どうやら落とし物ボックスに入っているものを持ち帰るときに、名前と持ち帰った落とし物を書く、という趣旨のノートのようだ。前回来た時は設置されていなかったが、きっと学生センターの職員が何らかの必要に迫られて作ったのだろう。


「経営学部比較経営学科 2年 落合 花 ノート」と記載し、帰路につく。これで来週のテストでもいい点がとれるはずだ。





テスト初日の帰り道。かばんをまさぐる。家の鍵がない。またしてもの不注意。慣れているものの、今度ばかりは少し焦る。


急いでテストを受けた大教室に戻り、ほんの30分前まで自分の座っていた席付近を探すが鍵はない。


自分の行動を思い出す。まず、朝家を出るとき、鍵をどこに入れただろうか。今日は、朝に1合分ご飯を炊き、たらこと昆布のおにぎりを2つ握り、緑色のお弁当袋に入れてきた。おにぎりを握るのに手間取って朝はバタバタしていた。それをこの教室のこの席で食べ、テストを受けた。そうだ、急いでいたため、右手で家の鍵を閉め、左手で持っていたお弁当袋に入れ、そのまま右腕にかけていたカバンに突っ込んだのだ。


ということは、お弁当袋に入っている。きっと中を食べ終えられて包むものを失い、わたしにくしゃくしゃにされたアルミホイルと一緒に入っているはずだ。鍵の所在がわかり安堵を感じながら、お弁当袋を探そうとかばんの中身を出していく。すべて中身を出したはずなのに、見慣れた緑色が目に映る範囲にない。先ほど感じた心地よい安堵がすーっと消える。


今日入った教室や、友達と通った廊下や大通り、通学路を探すがわたしの焦りをあざ笑うかのように見慣れた緑色は現れてくれない。何度落ちた緑葉を見てぬか喜びをしたか。もし大教室で落としたのなら北の学生センターに届けられているはずだが空振り。


夜も遅くなったので、学生寮の管理人さんに事情を話し、2週間見つからなかったら2万円で鍵の交換をする旨を伝えられ、合い鍵を借りる。エレベーターを待っていると、管理人さんにこう注意された。


「最近、ここの大学の女子生徒の家に不審者が現れたんだって。幸い彼氏と2人で帰宅したところでの遭遇だったらしいから、不審者もびっくりしたのか逃げたらしいけど。でも、女子生徒の部屋は4階にあって、防犯のため窓はいつも閉めっぱなし。その上、朝鍵を閉めたことをチェックして登校したらしいから、不審者はどこから入ったのかを疑問に思っているみたい。

でね、この寮の入居者で情報通の子がいて、その子がおもしろいことを言ってたんだ。その女子生徒は1週間前に鍵を落としてしまったらしいけど、その2,3日後に学生センターの落とし物ボックスで見つかっていたから、安心して特に鍵交換とかは何もしなかったんだって。これって事件となにか関係があるのかな?

不審者との遭遇と鍵を落としたことに関係があるなら、早々にこの寮の鍵の管理もいろいろ考えなきゃいけないと思っていたところだったんだ。だから落合さんも気を付けてね。」





「どうしよう。」


ベッドに寝転がり、思わず口から不安が飛び出す。同じ貴重品でも、あらかじめ証明書を抜いてある財布だったなら、すぐにクレジットカードを止めて、現金はいつも少量しか持ち歩いてないから諦められるのに。ポイントカードはスマートフォンと連携してある。


現実逃避をしながら家の鍵を落としたのは小学生以来だと思い出す。あの頃はお母さんに怒られながら、探すに探した。泣いて泣いて、それでも見つからなくて、その1週間後にお母さんが家の冷凍庫をあけると、わたしの家の鍵についたウサギのキーホルダーと目が合ったんだと。少し不思議なだよね。


そしてさっき聞いた不審者の話。被害者は経営学部の学生だと管理人さんはあの後言っていた。学部内でも噂になっていたのでわたしもその話を知っていた。このタイミングで家の鍵を落とすわたしは不運この上ない、と自分を慰めてみる。不審者の出現と鍵の紛失に関係があったとしてもなかったとしても、とりあえずわたしが今できることは鍵を見つけることだ。


「どうにか見つかりますように。」




テスト最終日の帰り際。家の鍵を落としてから2日がすぎた。不審者のこともあり、管理人さんから鍵の交換の早期決断を促されている真っ最中。さすがにわたしも、少し身の危険を感じ始め、明日鍵を交換する決意を固める。鍵が悪用されていて、不審者の手にわたってしまっているかもしれないし。2万円の出費は痛いから、この先半年はバイトのシフトを増やそう。


最終レポートの提出が今日までだったので、北の学生センターに向かう。わたしの提出時間が遅かったのか、または早すぎたのか、学生はあまり集まっておらず比較的空いていた。


入って右手、窓際の提出ボックスにレポートを入れ、最後の確認だ、と意気込み落とし物ボックスを確認する。すると、わたしの緑色のお弁当袋があるではないか!中を確認すると、家の鍵のみがちゃんと入っており、失くさないように付けていた小学生のころから使っているウサギのキーホルダーと目が合う。あのころのお母さんも今のわたしと同じ気持ちだったのだろうか。


わたしの落とし物人生史上最高の安堵の波が押し寄せ、お弁当袋をカバンにしまう。2万円の出費が浮いたことに胸が躍った。あ、落とし物ノートに記載しなくちゃ。


その時、ふとある考えが頭をよぎった。管理人さんから聞いた不審者の話。なぜ2日後に緑色のお弁当袋が落とし物ボックスに入っていたのか。そしてなにより、誰がなんのために落とし物ノートを設置して、記録を残していたのか。


急に起潮力が働いたみたいに安堵と共に血の気まで引いていく。


まさかね


広場には友達たちが甘いものを食べながら、テストが終わった解放感を丸出しにして談笑しているはずだ。うんと甘いものを買って広場に向かおう。そして、お願いして今日から鍵の交換が終わるまでは友達の家に泊まらせてもらおう。2万円は惜しいが身の安全が第一だ。バイトのシフトもちゃんと増やそう。


広場へ向かうために学生センターを後にする。ドアが閉まる瞬間、背中の遠く後ろから舌打ちが聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鍵の落とし物 尾崎すう @cmp__6

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ