御用聞きにも好き嫌いがあって
多門殿は私の持ち帰った酒に目を向け、ちょっと顎を引いて検分したあと、「それでいいわ」と言った。
だいたいのことを手短に言う上、思索が表に出ない人のようだ。
「そこへ置いて。それと今から本丸の詰め所にいる
矢継ぎ早の指示に従って酒壷を飾り棚の上へ置き、多門殿が振り向きもせずに差し出している紙類を受け取る。
本丸付きの女中、田万里殿宛の折封の書簡には多門殿の署名がある。
もう一通は、野分に宛てられた彼女の家族からの手紙だった。
多門殿の執務室から辞去して本丸へ向かう道すがら、人通りのないところで野分の家族からの手紙を一度流し読みした。
本当はちゃんと腰を落ち着けてから、と思ったものの、どうしても気になってしまったのだ。
父親の筆跡だろうか。達筆すぎて読めないかと思ったがそんなこともなく、慣れ親しんだ手跡にさえ思える。
挨拶もそこそこに 「
それから野分に対してまるで戒めるように「かの方の御目に適う間はよくよくお仕えするように」 ともあった。
つまり何だ。
馬の売買を稼業にする実家が、仮住まいで暮らしている若君から仕事の上で贔屓にしてもらっているから、野分にも「うまくやれよ」 と言っている、 ということだろうか。
手紙を元通りに折り畳んで懐にしまう。
寓居の若君。抽象的な言い方だ。はっきり名前を出せない事情がある若い殿様。 本来の居住地ではないところに住んでいる人。
となると、私の狭い見識の中で思いつくのはひとりだけ──松平元康だ。
駿府の城下町に邸宅を与えられて人質生活云年目の彼だが、今川家に仕える臣下として自前の兵力を整える自由くらいは効くはずだ。
その彼が、馬を揃えるのに野分の実家を使ってくれていて、 野分本人には「うちで雇いたい」 と直談判もしていた。……父親からわざわざ 「御目に適う間は〜」などと苦言を寄越されるということは、 野分は彼にあまりいい返事をしなかったのだろうか。
その辺の関係がまだいまいち読めないでいる。
辿り着いた本丸の女中の詰め所は、 なんだかのんびりとしていた。
ちょうど、館の主を筆頭とする男衆が何やら合議の場に集まっているところで、 女たちは彼らの目がない内にと休憩を取っているところだったらしい。
用向きを告げたらあっさり田万里殿と対面できた。小柄でむっちりと太っている。女中頭のひとりに数えられているだけあって目つきが鋭い。
書状を受け取って差出人を確認したあと、 私に向かって「ご苦労だったね」 と労ってくれるおおらかさもあった。
「あんまり引き留めると多門殿がうるさいからね、茶は出さないよ」
そうは言いつつ田万里殿は一口茶菓子をくれて、私はさっさと詰所から追い払われた。
すげない扱いだが、へこむほどではない。本丸勤めの女中らも、仲間内のよもやま話を側室付きの侍女に聞かれたくはないだろう。
もらったお菓子を控えめにもぐもぐしながら帰途についたところで呼び止められた。
「そこのお女中、奥茶室の片付けに行ってくれぬか」
「はい、ただいま」
本丸二の丸台所、どこの女であっても女中は女中。お武家様からの言いつけに否やを唱えることはできない。
ともかく返事はしてしまった。今川館で奥茶室といえば、 義元公が目をかけている臣下しか招かれない部屋だ。客人が場を引けたあと、片付けの手を探していたということなのだろう。
でも今用事を言いつけていったの、 何て人だろう。今川の家臣なのは間違いないのだが、如何せん人の多い城中のことなので誰が何とかは全く把握しきれない。
着ている装束の胸元には並び矢の紋が見えた。もしも後々「ここで何をしている!」とか怒られたときに引き合いに出すには充分な情報だろう。
本丸の外れにある竹林の書院には、確かに人のいた痕跡があった。茶を嗜んだのであろう諸々の道具が無造作にほうっておかれている。
隅に寄せられていた茶箱に一旦すべての茶道具を収めていく。洗うのも乾かすのも裏方でやってしまおう。
畳の上を簡単に掃いて乾拭きして、座布団をしまって、と一通りのことをしていたときだ。慌ただしい足音が近付いてくるのが聞こえて、窓の格子の方を見た。
途端、窓の外を人影が通り過ぎ、出入り口の方からどたばたと人が現れた。
「おい、ここに青い繻子の包みがなかったか」
大声出さないでほしい。どこの小姓だ。
「お見かけしておりませんが」
非難がましい気持ちで振り返って、その顔を見たとたん、「あ」と声が出てしまった。
衝撃で揺り起こされでもしたように突然、野分の持つ記憶が頭を巡る。
彼は本多平八郎忠勝。松平元康の部下だ。
徳川家的には超重要人物だけどゲーム上はめっちゃ脇役の、本多忠勝。
…… なんていうか不思議とあんまりいい印象がない。なるべく避けなきゃいけない相手という感じがものすごくする。
初っ端からの横柄な態度を見た私がそう思っているのか、それとも野分がそもそも彼をそんなに……?
「なんだ、しまきか。いるなら雨戸を立てておけと言われているだろうに。誰かと思ったぞ」
少年は、言いざまにずかずかと敷居を越えて書院に入ってくる。
……何か合図が決まっていたのか。
彼は野分を、しまきと呼んだ。誰かに会話を聞かれたときの予防線で名前は別ので呼んでるとかそういうことだろうか。
そうだとしたら一緒にいるところを見られるのはまずいだろうから、それで彼と二人でいることになんとなく心持ちがざわざわして、嫌な予感がするんだろうか。雨戸も開きっぱなしで外から見えるし。
「殿が、姫君に贈る予定だった簪をどこかに置き忘れたと仰るのだ」
顔馴染みに喋りかける気安さで彼は言い、
「そこらにないか」と茶道具の陰に目をやった。
それで気付いたのだが、彼は全然と言っていいほど野分から目を離さないのだ。
真正面から捉え、話しながらじっと見つめて、今も横目に確認するようにちらちらと見ている。
いやだなー喋りたくないなー……という気持ちだけあって、彼に関することがほとんどわからない。
松平にまだ信用されていないから監視として、というより。
…………というよりもなんというか。
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