死なないで姫様
@edithia3
ここはどこあなたは誰
気が付くと、人の輪を上から見下ろしていた。人々が遠巻きにして囲む中央に祭壇があって、 きらびやかな打掛を着せかけられて寝そべる女性の姿があった。
……おかしい。サークルの先輩たちの卒業旅行に他の同期たちとくっついていって、 その道中、 先輩が運転してくれる車の後部座席にいたはずである。そこからぷっつり記憶がない。トンネルが長く続いたので寝てしまったのかもしれない。
下では、神職らしい服装の人が、まだ青々と葉の茂っている大ぶりの枝を振りかざして何か唱えている。
誰もが息を詰めて見守る中、 彼らの上空、私と同じ高度にカッと光源が現れた。思わず目をそらしてしまうようなまばゆい光だ。それがゆっくりと祭壇の女性の体に向かって落ちていく。
観衆がどよめき、 輪が乱れる。白光は女性と一体になり、あとに薄紫色の靄が残った。
大柄な男性が、一歩祭壇の方へ進み出てきた。白塗りの顔と、明らかに仕立てのいい深緑色の着物。どこかで見たことのある人だ。教科書に載っているような、いかにもな平安貴族の出で立ちだからだろうか。
なんだろう、変な夢……そう思っているうちに私の体も落ち始めた。たぶん、 地面にぶつかる頃には目が覚めるだろう。
確かに目は覚めた。 高速道路を走る軽自動車の中ではなく、 畳の部屋の布団の上で。
「急に白目剥いて倒れるから驚いたわよ。 ちょっと体が冷たいけど、もう起きても何ともないの?」
同僚の燕が勢い込んで喋りながら、 私の手や額をぺたぺたと確かめるように触っている。私は声が詰まって出ず、ちょっと領いた。体調は悪くない。
混乱している。でも相手が誰だかわかるし、 自分がどうしてここにいるのかもわかる。
ここは駿河国の今川館。 私はついさっきまで、 今川義元公の縁者である
義元公が後見人となってお手元に置かれて間もない内に、 原因もわからず亡くなった初花姫様。巷では呪い殺されたんじゃないかなんていう物騒な噂も出回っているようだ。
この噂が耳に入った公方様はいたくお怒りになって、あの白い化粧の下で青筋を立てていたとか。いつ見ても表情のわかりにくいお顔なのに。
義元公は心痛のあまりに一時は人前へも出てこず、しかしひとしきり悲しんだあとには姫様蘇生を試みる決意を固めていらしたという。
死因はともあれ祈祷で死人が生き返るなら世話ないわ、と奥女中仲間と前夜に陰口を叩いたことを覚えている。
燕もその中にいたけれど、今はすっかり姫君蘇生の事実を受け入れているらしかった。
「さっき姫様もお目覚めになって、 体調にも問題ないんですって。明日の夜には快気祝いで無礼講の宴があるからみんな準備で大わらわよ。 あんたももうちょっとしゃんとしたらきりきり働いてよね」
もう一度頷く。燕は鷹揚に頷き返してきて、 それじゃ、と淡泊な挨拶を残して部屋を出ていった。
祈祷だか儀式だかで蘇生した今川家預かりの初花姫。
夢の中の自分の思考とは別のところで、私も考える。さっきから見ている変な夢の続きとしか思えないのに何か引っかかる。知っている気がする。
さっきまで私は旅行中の浮かれた大学生だった。でも前夜の陰口という、今起きていることと地続きの記憶もある。間違いなくこの私は公方様の家の奥女中だし、館内が慌ただしいのだからさっさと行って仕事をしなければならない。
布団を片付けて身なりを整え、障子戸に目をやった途端、立ちくらみがした。
当然の、日常のことをしているという感覚と、まだここがどこだかわからなくて動きたくないという怯えが錯綜して気持ちが悪い。大学生なのか女中なのか、 軸足をどちらに置いていいやらわからない。
部屋から出るのを迷っていると、急にスパッと切れのいい音で障子が開いた。
現れた厳しい面持ちは細江殿だ。義元公の正室の輿入れについてきた人で、その正室が亡くなった現在も今川家に仕えている。苦手だ。手を抜くとすぐにばれる。
「もう平気そうね。 早速で悪いけど来てちょうだい。皆が宴の準備にかかりきりで手が足りなくて」
「……どちらへ?」
「初花姫の局の支度よ。さあ早く」
急き立てられて部屋から出され、 細江殿と歩く内、やっぱり何もかも見慣れないし知らない場所だな、と思い始めた。
駿河って今の日本のどの辺りなんだろう。 細江殿って顔見たらすぐわかったし苦手意識もその理由もわかるんだけど何でだろう。 何でここにいるんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます