第5話 1000年

「あ……ああ……あ……」


 間を埋める為にとりあえず頭に浮かんだことを言ってみたけれどヒツジ角の女の子から返事は得られなかった。尻もちをついたまま、いつまでも雲が無くなった空を見上げている。


 そりゃまあそうなっても仕方がないだろう。やった本人の俺ですら心から驚いているのだから……。


 おいおい――。何だったんださっきのは――。


 さっきの果てしない規模の魔法は夢じゃない。たぶんまぐれでもない。確かな手応えがまだ右手に残っている。魔法を使用した後の手が熱くなる感じ、そしてまだそこから少量の魔力が漏れていく感覚……。


 自分の右手を何度も裏返して、おかしなところがないか確認する。しかし、外見的には何も変わったところは無い。


 あんな魔法を自分が撃ったという事実も驚きであるが、もっと驚いているのはまだまだあんな魔法が撃てそうなこと――。


 俺は全力の魔法をそう何回も撃てる人間じゃない。1度撃つごとに多少の疲労感も腕にくる。疲れていない時でもだ。


 でも、なぜだろう……。今回は全く疲れみたいなものを感じない。むしろ体が温まってきているような。体から魔力が沸き溢れてきて、いくらでも撃てそうな気がする――。


 俺の体に一体何が起こっているのか……いや、起こったのか……。きっと答えは寝ている間の何か。


 今すぐ確かめたい。俺の体の変化を。


 けれど、今は人前だし、それよりもまずは――。


「大丈夫?怪我はしてない?」


 俺はオールバックになった髪を元に戻しながら、ヒツジ角の女の子の近くでしゃがんだ。


「は、はい……」


「そんなに怖がらないで。俺は平和の為に生きる人間だから」


「はい……」


 両手を上げて敵意が無いことをアピールすると、ようやくヒツジ角の女の子の純粋そうな瞳としっかり目が合った。


「あ、あの助けて頂いてありがとうございます!」


「いや。俺がすっころんで飛び出してっちゃったから、すぐ逃げれなかったよね。あんな魔物が綺麗な森にいるなんて思わないから……。あれって、この辺では普通のことなの?」


「いえ。私もこの森でドラゴンと遭遇したのは初めてです」


 反応から普通のことではないと分かっていたけど、一応聞いておいた。


「へー。そうなんだ。どうにかなって良かった…………それで俺さ、いくつか君に聞きたいことがあるんだけどいいかな?」


「はい」


「えっとまずは……そうだ、名前から。君の名前は?」


「ウールです」


「ウールちゃんね。俺の名前はソラト」


 ウールからは石鹸のような匂いがした。眠っていた布団と同じ、懐かしさも感じるようないい匂いだった。


「ソラト……。安眠様の名前はソラトと言うのですか?」


「それ。次に聞きたいのはそれなんだけど、安眠様っていうのは何?」


「ソラト様……安眠様は私たちの村の平和を遥か昔から守ってくださっている神様です。私が住む村では睡眠こそが、人生で最も大事なことだとされていて、よく眠るものには幸せが訪れると言い伝えられています」


「はあ」


「私も子供の頃からよく母親に結婚相手はたくさん眠る男性を選びなさいと言われて育ちました。だから、そんな眠りを大切にする私たちの村の神様は森の中の小屋でずーっと寝ている安眠様なのです」


 そこまで聞くと、大体寝ている間の自分がどういうものだったのか把握できた。いや、よく分からない説明だけど、どこかの村の守り神にされていたということはなんとなく……。


「安眠様には、その気持ち良さそうな寝顔を見ると、見た者も同じように安眠を得られる力があると信じられていて、実際その通り安眠様に手を合わせた日は皆よく眠ることができると言っております。私もその1人です」


「え、俺の寝てる姿ってウールちゃんの村の人皆が見てたの?」


「はい。そして、安眠様が寝ている部屋の掃除や、布団の取り換えは村の女が交代で務める決まりです」


「まじか……」


 でもなるほど……それで俺が寝ていた部屋の花瓶の花が枯れていなかったり、ベッドが清潔なままだったのか。


「もしかしたら安眠様に失礼なことだったかもしれませんが、勝手ながら年に数回添い寝をさせて頂く行事も行っておりました。いくつかある祝いの日に、また村の女の誰かが安眠様の隣で眠らせて頂くのです」


「ええ!?」


「はい。これがまた何とも……私も何度かその務めを任されたことがあるのですが、大事な務めと分かっていながら、安眠様の隣で目を閉じると得も言われぬ夢のような寝心地なもので、気付けば朝……」


「いやいやいやいや。それってやばいよ」


 ウールの話を遮って、いやいやと手を顔の前で振った。


「はい?」


「それはやばい……」


「どうしてですか?」


「だって俺、神様じゃないし……」


「それなら知ってますよ。本当は森の精霊なんですよね。元々私たちの先祖がずっと眠る森の精霊を見つけたことで、そこに村が生まれ、いつしか精霊は神と呼ばれるようになったと聞いております。例え安眠様が本当は精霊でも私たちにとっては神……」


「いや、そんなんじゃなくて……俺は普通の人間だよ。ただの人間の男に村の女の人が交代で何回も添い寝してたとかやばいでしょ……」


「…………」


「…………」


「ひええ!?精霊でもない!?」


 驚くウールを見て、この子驚いてばっかだなと思った。俺自身今の自分の在り方に驚いているんだけど。


「うん」


「じゃあ、何故あんなにも眠っていたのですか?あんなにも眠ることができるのですか?」


「それはえっと…………何と言うか……呪い、かけられちゃったんだよね……」


「呪い?」


「そこは深く聞かないでほしいんだけど……まあ、不幸な目にあってね……。あ、そう。それでもう1つ聞きたいことがそのことなんだ。俺、精霊でもないから眠ってる間のこと全く知らなくて、自分がどのくらい寝てたかも……今って何年なの?」


 まだあまり深く考えていなかったけれど、改めてそれを質問する時に一気に緊張が体を巡った。答えを聞くのが怖くて下唇を噛んでしまう。


 もうどんな答えかは分かっている。この子が先祖と呼ぶ人間が生きていた頃から自分は寝ていたのだ。あとは具体的に何年か知るだけ。分かっているけど聞くのは覚悟が必要だった……。


 ウールも俺のそういう気持ちをなんとなく察したような感じで、驚いた顔を元に戻して言った。


「今は2183年ですけど……」


 その時、爆発で天から降り注いだ風が元に戻るかのように、しゃがんだ背中を押すような強い風が吹いた――。


 俺はその風に身を任せてゆっくり立ち上がり、再び空を見上げる。


 1000年も経ってるのか……。俺が眠ったのが1183年だからちょうど1000年……。


 だとしたら、もう今のこの世界のことなんてほとんど俺は知らないし……俺のことを知っている人も……もういない。


 今の自分はちょうどこの雲が無くなった空と同じでまっさらなようなものだ。何も持ってない、誰も自分のことを知らないなんて、生まれ変わったのと同じである。


 まだあまり実感が湧かないからか、悲しいとか寂しいとかは感じない。


 なのに何故か……涙だけが先走って頬を伝った。

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