老いた魔導士の介護付き異世界ライフ

ハミヤ

第1話 有料老人ホームにて1

「ジン老師が騒ぎ出した!」と内線用のPHSから声が響く。

 先輩介護士の仁美さんがパニック寸前なのが容易に予想できた。

 他の利用者の排泄介助を終えた俺は切り替えるように手を洗い、いつもの様に慣れた感じに202号室へと急いだ。

 消灯時間も過ぎているので、薄暗く照明の落とされた廊下を小走りで急ぐ、別に急がなくてもジン老師は二か月前から寝たきりだ。

 ベッドは低床にしているので転落してもケガするほどのことはないが、事故報告書は確実に増えるので勘弁してほしい、などと思いつつ202号室の前に立つ……

 怒鳴り声と共に仁美さんの落ち着かせようと奮闘する声が響く、俺は軽くノックしてから静かにドアを開けその光景に「マジか~」と呟いた。

「円井君、限界だよ!私じゃ抑えられない!」

 スチール製の介護用ベッドがギシギシと音を立て、今にも壊れるんじゃないかと心配になった。老人は元気に手足をバタつかせベッドから立ち上がろうともがきながら仁美さんの手を強く払い除けた。

 この光景を見たら介護認定調査員は確実に介護度を下げてくること間違いなし、有料老人ホームにとっては痛い損失になる。俺は仁美さんに声をかけ宥める役を交代した。

「貴様!何をする!今すぐ私を開放しろ、むむむ、この手を離さんか、早くいかねばならん!姫が待っておる!ええい、離せ!この若造が!」

「ジンさん落ち着いてください、また夢を見たんですか?ここには魔王はいませんよ、姫さまもいませんから落ち着いてください」

 否定で入る対応は介護士としてどうかと思うがこの場合はしょうがないだろう、どう足掻こうが魔王も本物の姫(姫扱い希望者は3人いる)もここには存在しない。


 自称最強の魔導士ウィザード、魔術学校で教師をしていたが、魔王出現による国の一大事に数多の猛者を従え、幾多の困難を乗り越えて魔王討伐を成し遂げ、ナンチャラ王国?(国名忘れた)に帰還、英雄として称えられた……

 お話を傾聴したスタッフの中で誰が最初に呼んだかジンさんがジン老師と呼ばれる所以だ。

 最近の認知症に多いファンタジーな設定だと思う。

 ジン老師が若いころに流行った異世界小説やリアルすぎるゲームがそのまま実際にあった記憶として現れる……心理症状の一つで妄想世界と現実世界が入り混じってしまう言わば高齢者の中二病、記憶が退行して現れているのかもしれないと、最近読んだ認知症介護の専門書に書いてあった。

 

 ジン老師、本名は陣内幸吉。

 1968年宮城県に生まれる。19歳の時行方不明になり23歳の夏に蔵王のふもとを歩いているところを保護された。身なりはおかしな格好をしていたと資料にある。当時流行り始めたコスプレの修行でもしていたのだろうか?

 何があり、それまで何処にいたのか不明と記載されている。発見当時精神状態は不安定で不穏な日々は2年ほど続いた。その後何かを悟ったように回復し、何事もなかったように就職すると26歳で結婚し、32歳の時に独立、起業後順調に会社を成長させた。61歳で認知症を発症、会社は息子に譲り引退現在に至る。

 初回アセスメントに書いてある情報を思い出す。

 この喧しい騒ぎは新月と満月のたびに起こる“発作”であると特記事項に書いてあるのを初めての夜勤の日に教わった。満月の日は興奮して騒ぐ、新月の日は異常なほど落ち着いているがコールが10分おきに深夜まで続く、理由はナンチャラ王国の事と魔王や姫の事、仲間に裏切られたことなど、最初のうちは面白がっていたスタッフも今ではうんざりとしている。

 一度話し出すと中々開放してくれないので厄介なのだ。

 申し送りの時に今日は新月ですとか、満月なのでジン老師の巡回を増やしてくださいなどと追加されるのはこの老人ホームにおいて日常業務になっている。


 20分ほど騒いで暴れた後この老人は力尽き眠りについた。

 床には孫娘から送られたはがき大の絵手紙が入ったファイルが落ちていてそれを枕元に戻した。ジン老師がいつも嬉しそうに眺めているものだ。

 すっかりなれたものだと思いながら掛け布団を整え、空調をチェックして部屋を出ようとドアノブに手を掛けた時だ。


「若者よ、きさまはいったい何人殺したのだ?ひどく匂うぞ、これは血の匂いだ……」


 眠りについたと思っていた老人が俺の背中につぶやいた。

 ハッとして振り向くと暴れて騒いでいた凶器の表情とは打って変わり、こちらを見据えた眼力に今の自分の存在が薄くなった様な錯覚に落ちる。

 急に体温が下がったような感覚と、すべてが透けていく感覚に俺は吐き気がこみ上げてきた。

 荒い呼吸を整えると、現実に踏みとどまるように一瞬の間を置き正気を取り戻したように目を閉じて少し頭を振る。

「ジンさん、急に何を言い出すんですか、人を殺人鬼みたいに呼ぶなんて」

 平静を装い老人のベッドに戻り話しかけたが、すでに寝息をたてている老人に少しだけ安堵した。

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