羽化

姫路 りしゅう

第1話 加奈子

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 加奈子。

 貴女が突然「神様になりたい」と言い出したときも、そこから十年ほど後に「神様になったよ」と報告を受けた時も、わたしはあまり驚きませんでした。

 「神様になりたい」と言い出したときは、まあ加奈子ならなってもおかしくないだろうな、と思いましたし。

 「神様になったよ」と報告を受けた時は、さすがの加奈子でも神様になるのは十年くらいかかるんだ、と逆に意外に思ったほどです。

 やはり、神様になるのは大変でしたか。

 わたしのような凡人には、いったいどういう工程を経て神様になっていくのか検討すらつきませんが、貴女にはきっと、なりたいといった瞬間からうっすらと見えていたんでしょう。

 思い返せば、ううん、思い返すまでもなく、加奈子は変わった人でしたね。

 そして、才気に溢れた人でした。それこそ、神様に愛されているとしか思えないほどに。

たまたま家が隣だったというだけで、貴女という才能人の成長を最前席で観られたことは、わたしの人生の宝物です。


一番古い記憶は自転車ですね。補助輪をとったのに、全くバランスを崩さずに走り続けた加奈子を見て、なんとなくすごいなあと思った記憶がうっすらとあります。

残念ながらわたしは覚えていませんが、後々聞いた話によると歩きはじめるのも、言葉を話し始めるのも、圧倒的に早かったらしいですね。

 生後ゼロ秒で泣きながらバク宙をした女、という自己紹介は全く信じていませんでしたが、それでもやはり、幼い頃から物事の飲み込み速度は異常だったと思います。

 自転車に乗るようになった後も、一輪車や鉄棒、オセロや将棋。男の子の間で流行っていたプラスチックの独楽でバトルするゲームなど、貴女とわたしは色々な遊びに手を出しましたが、いつも貴女は一晩で飽きていたことを覚えています。


 あの頃は、飽きっぽい子なんだなあと思っていましたが、今ならなんとなくわかります。

 加奈子は、申し訳なかったんですね。

 何でもすぐにできてしまうから、加奈子自身が楽しくない。そして、そんな一瞬で物事を極めてしまう自分と一緒に遊んでいる子たちはもっと楽しくないだろう。

 貴女は、ヒーローごっこやおままごとを本気で楽しんでいる同い年の子たちの中で、一人だけ達観していたんですね。

 そのせいか貴女は、ごっこ遊びやスポーツよりも、冒険や探検が好きだったことを覚えています。

 近所の山に男の子を連れて秘密基地を作ったり、虫や蟹を見つけて喜んだりしていました。今でこそおぞましいですが、わたしもその頃は虫に対する嫌悪感も薄く、一緒になって山や川で遊びましたね。

 男の子たちに指示を出し、職人顔負けのコテージのような秘密基地を作ってしまった時は、さすがに森公園の管理人さんも唖然としていました。

 当時はわたしも一緒になって、凄いだろうと胸を張っていましたが、今振り返るとあれはやりすぎです。


 そうそう、虫と言えば、そこも加奈子はちょっと変でしたよね。

 男の子はカブトムシやクワガタムシが好きで、わたしは綺麗なちょうちょが好きでしたが、加奈子はちょうちょのサナギが一番好きだと言っていました。

 気持ちの悪いサナギが好きだなんて変わっているね、とわたしが言ったら、貴女は「サナギが好きなんじゃなくて、サナギという概念が好きなんだ」と答えたことを覚えています。

 小学二年生の女の子が、概念という単語を使わないでほしい。

 わたしが首を傾げていると、「幼虫が、サナギという殻にこもって一度ドロドロに溶かされたあと、あんなにきれいなちょうちょになる。その“羽化”っていう現象が、あたしはたまらなく好きなの」と加奈子は補足してくれました。

 幼いながらも、その言葉はなんとなくわかったような気持ちになりました。

 気持ち悪い幼虫が綺麗なちょうちょになる完全変態は、ある種醜いアヒルの子のようなサクセスストーリーのようにも見えます。

 わたしも大人になったら、加奈子みたいに何でもできるようになるのかもしれない。そんな思い上がりすらあったかもしれません。

 ああ、もちろん今ではもうそんなこと思っていませんよ。

 一晩あれば大抵のことはできるようになる貴女のような人間になれるだなんて、これっぽっちも思っていません。

 幼い頃の気の迷い、というものです。

 でもまあ、きっと貴女には貴女の苦労があったのだろうと思いますが、それを幼い頃に羨んで、目標にしてしまったことくらいは許してほしいものです。

なんでもできる加奈子は、あの頃も、そして今も、わたしの目にとても格好良く映っているもの。

 神様へと羽化した貴女と違い、結局何の才能も羽化しなかったわたしには出来すぎてしまうが故の苦悩はよくわかりません。だからこうして無責任に加奈子を羨んで、尊敬していますが、加奈子はきっと出来ないが故の苦悩はよくわからないと思いますので、おあいこですね。


 ん。

 いや、ちょっと待って。

 加奈子を語る上で、とても重要な要素を失念していました。

 加奈子、そういえば貴女も出来ない側の人間の気持ちはよく知っていましたね。

 一言で言うと、貴女は本番にすごく弱かった。

 何でもできるくせに、一番失敗してはいけないタイミングではよく失敗をしていましたね。

 好きになった男の子にチョコレートを作ろうとしたとき。

 全校児童代表で卒業の挨拶をした時。

 合唱コンクール本番でのピアノ伴奏。

 半年間だけドはまりしていたアイドルのアキラ君のコンサートが当たったのに、乗り継ぎで失敗した挙句、会場に到着したタイミングでチケットを家に忘れていたことに気付いた、と聞いた時はさすがに笑いました。

 その頃には加奈子の本番やプレッシャーに弱い性質に気が付いていたので、「アキラ君のコンサートってそんなに緊張するほどなの?」と思ったほどです。

 今なおわたしにはあんまり“推し”という感覚がわからないので、いまだに疑問です。

 そう言えば、わたしと同じ高校に進学したきっかけも、確実に受かると思われていた日本最難関の高校入試で解答記入の欄ズレをやらかしたことでした。

 そんな風に、練習では一度もやらかしたことないようなことを本番では平気でやらかしていましたね。

 なんでもできてしまう加奈子が、それでもあんまり他人から疎まれたりしなかったのは、そういう人間らしさがあったからだったのかもしれません。

 可愛いというかなんというか。

 可愛いと思います。


 そして、加奈子が「神様になる」と言い出したのは、高校二年生の頃でした。

 その頃の貴女には、もうできないことの方が少なく、退屈そうな表情が増えたように思います。

 加奈子の中では、できないことイコールまだやっていないことだったのでしょう。そして、それは真実だったと思います。

 できないこと探し。

 加奈子の高校生活の大半が、それに充てられていたということをわたしは知っています。

 そうやってできないことをできることに、というよりまだやっていないことをやったことに変えていく加奈子を見て、クラスメイトの誰かが「もう人間って枠に収まらないな」と言いました。

 その言葉を聞いて、貴女は思いついたのでしょう。もはや人間の枠から出るしかないということを。

 それともう一つ、あの時の担任の先生が言った言葉ももしかすると響いていたのかもしれませんね。

「大いなる力は、大いなることを成し得るためにある」

 わたしにはもう有名なアメコミ映画のパロディにしか聞こえませんでしたが。

「貴女の大いなる力は、きっとこの世界をよりよくできる。その力を、少しでも世界をよくするために発揮してくれたら嬉しい」

 およそ女子高生に向けるような言葉ではありませんでしたが、加奈子の周りの大人はほとんどが加奈子を恐れていたので、そうやって真摯に向き合ってくれていた担任の先生は珍しい部類でした。

 その言葉にはわたしも同意しましたし、加奈子なら世界を平和にできると信じ切っていましたが、それがどうして神様になることと繋がるのかは長い間わかっていませんでした。

 加奈子なら日本の総理大臣になることも、スポーツや科学で世界を驚かせることも簡単でしたでしょうし、恐怖や暴力以外の何かで世界を征服することすら容易だったでしょう。

 それでも貴女は、世界征服を目指さずに神様になることを目指しました。

 わたしみたいな常人にとっては、神様になるのも世界征服も同じくらい不可能なこととしか思えませんでしたが、できないこと探しに熱中していた加奈子にしてみれば、世界征服はよっぽど簡単なこととして映っていたのでしょう。


 高校を卒業した後、わたしは一般企業に就職するために大学へ進学し、貴女は神様になるために消息を絶ちました。

 正直に言うと、その時にわたしは、加奈子との縁が切れたんだと思ったのです。

 わたしと加奈子は生きるステージが違いました。貴女と同じステージに生きている人間が他にいるかどうかは置いておいて、わたしの場合はたまたま隣に住んでいたから同じステージで十八年間も生きることができていました。

 同じ高校に通えたのだって、言ってしまえば加奈子の凡ミスであり、本来はそこで人生が別れるはずでした。

 その高校を卒業して、今度こそ加奈子とは別の道に進んでいくのだと確信し、その当然の結果に対して少しだけ寂しくなりました。

 だから、加奈子からお手紙が届いた時は、大変驚いたのです。

 神様になった貴女から、まさかわたし宛に手紙が届くとは思っていなかったのです。

 とても嬉しく思い、それと同時に、本当に神様になってしまったんだなということを理解して、また少しだけ寂しくなりました。

 忙しい神様業務の合間を縫って手紙を書いてくれたんだな、ということがとてもよくわかる文章でした。

 神様が具体的に何をしているのか、わたしは知らないわけですが。

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