魔族
オレは呼吸を整えると、一気に駆け寄った。
「リディ、状況を教えてくれ」
「怪我人にはポーションをかけておいたわ。呼吸は弱いけど、まだ生きてる。ギースは苦戦中。二人とも動きが速くてロクな援護もできないし……見ればわかるけど、あいつは本物の化け物よ。カイル、後はお願い」
「わかった」
オレがギースの横に到達すると、敵は警戒するように後ろに飛び下がった。そのまま、距離をとってのにらみ合いになる。
その隙にリディが矢を放ったが、
これでリディの矢も尽きた。弓と矢筒をを捨てて、彼女も剣を抜く。
「接近戦はオレたちに任せろ。こいつはオレとギースで相手をする」
エルフの身体能力がいくら優れているとはいえ、リディは軽量級だ。オレと同じで剣でまともに打ち合っても分が悪い。
「大丈夫か」
オレはギースに声をかけた。
呼吸が荒い。何か所か斬られた傷もある。戦いが始まってから、もう十分近くは経っているだろう。よくぞ、今まで持ちこたえたものだ。
「ずいぶんと早かったな」
「皮肉は後で聞く」
オレは例の商人と向き合った。
背の低い太ったバクトラ人。ギルドマスターは、そう言っていたはずだ。最初、チラッと見た時もそんな感じだった。
だが今、目の前にいるそいつは別人だった。いや、人であるかどうかも怪しい。真っ黒な肌に異様に長い手足。落ち窪んだ眼球には色がない。
「だんだんと姿が変わっていったんだ。最初は確かに人間だった。確かにそう見えたんだ」
「そんなことは、後で本人から聞けばいい」
商人だったモノは、鋭い歯を見せながら笑った。
「ほう、これがカイル君ですか。この小さな体で、あの剣士を倒すとは驚きです。どう考えても、ただの子どもとは思えませんね。化けているのか。それとも、何かの理由で本当に小さくなってしまったのか……」
化けているだと。自分を棚に上げてよく言う。
「おい、カイル。背中だ。奴の背中を見てみろ」
わざわざ言われるまでもない。
その化け物は一瞬、ぶるっと体を震わせた。すると背中から、まるでコウモリのような翼が生えてくる。
それはあっという間に全身を覆うほどに大きく広がった。間違いなく人ではない。疑念が確信に変わる。
恐れるな。
化け物でもなんでも構うものか。それより今は、どうやってルナたちを救うかだ。
「子どもたちはどこにいる」
「別の馬車で先に国境へ向かっています。もう追いつけないと思いますよ。あなた方が急がせるから、少しばかり乱暴な扱いになってしまいましたがね。
昼夜を問わず、走り続ける馬車に乗るのは子どもには厳しいでしょう。大事な商品に傷でもつかないかと心配です」
「この、クソ野郎……」
剣を握るギースの手に力がこもった。
「あなたは黙っていてください。私はカイル君と話があるのです。今まで遊んであげていたのも、カイル君の戦いに興味があったからです。そうでなければ、とっくに殺していますよ。自分の実力を過信しないことです」
「ギース、いい。オレが話す」
「そういえば、あのテッドとかいう剣士が面白いことを言っていましたね。聞いていましたよ。カイル君はあの高名な回復術師、『双頭の銀鷲』にいたカイン殿だとね。
あの回復術師は私たちの重要な監視対象でした。そう考えれば、あなたの子どもらしからぬ振る舞いにも説明がつきます。どうしてそうなったのか。それは、おいおい教えていただくとして……そろそろ時間切れのようですね。
本当は君を連れて帰る予定だったのですが、どうやら無理のようです。今日のところは退散いたしましょう」
「おまえは魔族だな」
この体の色。長い腕、背中の翼……。
回復魔法を教えてくれた師匠から聞いたことがある。
バクトラは昔、全土を魔族が支配していた。三百年前に今の王朝を築いた英雄が魔族を倒して、人間の手に国を取り戻した。それから魔族は日陰の存在になり、歴史の表舞台から消えた。
「ほほう。よくご存知ですね」
オレはギースに目配せした。
わざわざ翼を出したってことは、飛ぶつもりだってことだ。何も聞かないうちに逃がすわけにはいかない。
いきなり、ギースが動いた。その陰から全力で跳び出す。
斬り払おうとする一撃を、ギースが自分の剣で受け止めた。勢いのまま、オレは空中で交差する瞬間に、魔族の横っ腹に反転した魔力を食らわせた。
手応えはあった。むしろ強すぎたか。
着地し、様子を観察する。ギースはまた、距離を取り直して剣を構えている。
だが、魔族は倒れなかった。ボコッ。それどころか不気味な音と共に体が膨張したような気さえする。
「なるほど、わかりましたよ。あなたの力はそれですか。確かに、我々にとっての重大な脅威だ。さてと。私はこのことを我がご主人様に報告しなければいけません。残念ですが、会話はこれでおしまいです」
背中にある翼が大きく羽ばたいた。
砂埃が舞う。腕で避けているうちに、そいつは宙に浮き上がった。
「おい、逃げるな。戻って来い。リディ、矢だ。矢を放ってやれ」
ギースが怒鳴ったが、魔族はもう手の届かない場所にいる。
「さっきので打ち止めよ。もう一本も残ってないわ」
「それでは皆さん、ごきげんよう。バクトラでまたお会いしましょう」
ひときわ大きく風が舞った。
やがて空高くまで上昇すると、魔族は山の向こうへと消えていった。
※ ※ ※
「こいつが、あんたを裏切ったクソ野郎か」
ギースが吐き捨てるように言った。
目の前に苦痛で喉をかきむしったままの姿で死んでいる男がいる。皮膚はどす黒く変色し、目は溶けて生卵のように流れ出ていた。もちろん右腕はない。
「こんな奴を、本当に助けてやるつもりだったのか」
「ああ、間に合えばな。これでも、一度は仲間だった男だ」
重症だった女の魔法使いは治療した。リディの矢を受けた人間も含めて、他に死者はいない。死んだのはこいつだけだ。
「カイル、あんたは本当に人がいいな。こんな奴、死んだって別に構わないじゃないか。どうせ生きていたって意味のない男だ。それに生きていれば、またあんたを狙ったかもしれないぜ」
「そうかもな。でも人がいいとか、どうとかって話じゃない。オレは『双頭の銀鷲』にいる時、仲間を死なせないって決めてたんだ。十年間、入れ替わりはあったが誰も死ななかった。それが、ほんの半月もしないうちに二人も死んだ」
「この死体をどうするんだ」
「せめてどこかに埋めてやりたい。とりあえず、馬車まで運んでくれるか?」
「いいぜ。どうせこんな死体じゃ鳥も食わないだろうが、その方がこいつも落ち着くだろう。これでも穴掘りは得意なんだ。せいぜい、見晴らしのいい場所に埋めてやろうぜ」
ギースは黒ずんだ死体を嫌がりもせずに担いだ。
子どもの体では死体ひとつ運ぶこともできない。偉そうなことを言っても、結局は人任せだ。
「嫌なことばかり押しつけて悪いな」
「いいや。不思議なんだが、実はかえっていい気分なんだ。俺はあんたの仲間で良かったと思うぜ」
馬車の横で、リディが俺たちを迎えてくれた。彼女は片手で手を振りながら、もう一方の手で治療が終わったばかりの魔法使いの肩を支えるようにして立っていた。
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