5 凶獣(モンスター)

契約書

「今日はお祝いだ。大した物はないが、たっぷりと食べてくれ」

 満面の笑みをたたえながら、ギースが宣言した。


 テーブルには牛肉のシチューに川魚のフライ。パンやハム、チーズが山盛りになっている。

 オレは藁の入った袋をクッションの代わりにして椅子の上に敷いた。腰がずれたりして安定しないが、とりあえずこれで料理に手が届く。


「これ、どうやって食べたらいいの」

 ルナが困ったように聞いてきた。今までフォークやスプーンを使った料理は食べたことがないのだろう。


「これを、こうやって持つんだ。それでゆっくりとすくう。熱いから、舌を火傷やけどしないようにしろよ」


「舌を?」


「子どもは猫舌が多いんだ。最初はこうやって、吹いてから食べろ」


「ふふふっ、小さいのに。まるでお父さんね」 

 ギースの奥さんが笑う。


「どうだ。うまいか」


「うんっ」

 椅子が揺れるくらいに、大きくルナがうなずいた。


 ついさっきまで死にかけていたギースの五才の娘も、シチューを浸したパンを頬張っている。もう、さっきまで病気だったと言っても誰も信じないだろう。治療したオレでも驚く程の回復だ。 

 オレもたっぷり三人前は食べた。子どもの体になってから、なぜかやたらと腹が減る。


 食事が終わると、子どもたちはすぐに寝室に行ってしまった。ギースの長女が、ルナと一緒に寝てくれるらしい。いつも路地裏で身を潜めていたルナにとっては、驚天動地のイベントが続く。



 子どもたちが出ていくのを見届けてから、ギースが台座のついたグラスを持ってきた。

「ワインでもどうだ。今夜はとっておきを開けるぜ」


「遠慮しておくよ。中身はともかく体は子どもなんだ。たぶん飲んでも、すぐに酔うと思う」


「そうか。悪いが、俺は飲ませてもらうぜ。おいっ、おまえも飲んだらどうだ。こんないい日に飲まなきゃ、酒に失礼ってもんだ」

 ギースは自分の妻にもたっぷりとワインを注いだ。


「あなた、自分の子どもにお酒を飲ませたいの」

 彼女は自分の大きなお腹に手を当てた。


「悪い。浮かれてた」


「いいな。いい気分になるのは結構だが、オレがおまえの娘を治したことは絶対に秘密だからな。あれは普通の病気じゃなかった。噂になったら、また誰かがエリクサーと結びつけるかもしれない。もう、あんな揉め事はごめんだ」


「大丈夫さ。この村の連中は病人の出た家には近づかないし、そのことを話題にもしない。最初からいない人間みたいに扱うんだ。五十年前の伝染病で懲りてるんだろうな。不人情な気もするが、その方がかえって気楽ってもんさ」


「でも、買い物の手伝いとかはしてくれるのよ。家の中には絶対に入らないけど。近所の人にはいつも助けられているわ。

 だから最近だと、娘に会ったことがあるのはポーションを売りに来てくれる行商人だけ。バクトラの人だけど、本当に親切な人なのよ。困った時に助けるのが自分の仕事だから、お金はいつでもいいって。娘の命が今まで保ったのも、みんなあの人のお陰だわ」


「バクトラの商人……」


 オレはちょっと引っかかった。

 バクトラ帝国は例のポーションを生産している世界で唯一の国だ。噂のエリクサーもその国からしか手に入らない。オレにとっては親の仇みたいなものだ。


「借用書はないのか」


「必要ないって言ってたわ。一応、数だけは確認してくれって、納品書にサインはしたけど……」


「そいつを見せてくれ」


 ギースの妻は一枚の紙を持ってきた。それをギースが一度、受け取ってからオレに渡す。


「もしかして、バクトラの文字が読めるのか」


「ああ、オレの師匠の母国だからな。それに何度かギルドの仕事で遠征したこともある。ポーションが出回る前の話だが、契約や交渉は俺の役目だった。文末の表現に癖があるが、慣れればそれほど難しくない」


 オレは書類を読み進めた。

 なになに。上質のポーションを三百。ひと瓶でシルク銀貨二枚……ギルドで買う時の二倍だが、行商ならそんなものか。利息は貸出の総額に対して五割。契約期間の終了時に元金と同時に支払う。期日までに支払えない時は担保として……。


「おいおい、なんて書いてあるんだ」


「まずいぞ」


「どうまずいんだ。おい、もったいぶらずに早く教えてくれ」


 もう少し遅かったら……。そう思って俺はゾッとした。完全な詐欺だが、書式そのものは整っている。


「これは納品の覚書じゃない。れっきとした契約書だ。利息も払うことになっているが、それだけじゃない。おまえの長女が借金の担保にされている」


「えっ、なんだって」


「身売りの契約だよ。今月の末までに九百シルク払わないと、娘が連れて行かれるって書いてある」


「九百、いま九百って言ったか!」


 ギースが驚くのも無理はない。九百シルクといえば平均的な冒険者の年収よりも高い。今のギースにはとても支払えない額だ。


「頼む、金を貸してくれ。ギルドに貯金があるんだろう。貸してくれたらなんでもする。いつか治療費と一緒に絶対に返す。だから……頼む」


「ギルドの認識票も盗まれてるんだぞ。この体で、どうやって貯金を引き出せばいいんだ。一応言っとくが、治療費はいらないからな。それより、どうすればいいか冷静に考えろ」


「私が、内容もわからない書類にサインをしたから……」


「おまえのせいじゃない。留守にしてた俺が悪いんだ。よしっ、決めたぞ。そいつが金を回収しに来たら斬り殺してやる。構うもんか。どうせ人の弱みにつけこむクソ野郎だ。カイル、それでいいだろう」


「だから冷静になれ。契約書自体には問題はないんだ。そんなことをしたら、ギルドから追放されるぞ。それに、この話は臭い。

 考えてもみろ。九才の少女ひとりを手に入れるために、どうしてここまでする必要があるんだ。おまえみたいな奴に返り討ちにされるかもしれないんだぞ。ポーション商人の副業にしては、リスクが大きすぎる」


「それなら、素直に娘を差し出せって言うのか」


「話は最後まで聞け。とにかく今、必要なのは返済に使える現金だ。ギース、おまえはパーティーを追い出されただけで、まだギルドの資格は持っているんだろう。オレが手伝ってやる。冒険者は冒険者らしく、真っ当に稼ごうじゃないか」

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