上納金
金なんかなくてもいい。これはこれで幸せなんじゃないか。
そう感じていた時、手元が急に暗くなった。見上げると、それは人だった。空を覆うほどの巨人に見える。
いや、そうじゃない。子どもの視線だから大きく見えるだけだ。太ってはいるが、これでも大人としたら普通くらいだろう。
「昨日の分を出しな」
そいつは威圧的な声で言った。
「聞こえなかったのか。昨日の分を出しな」
ルナの細い肩が震えている。
「ご、ごめんなさい。昨日は稼ぎが少なくて……」
「その割には食うものは食ってるじゃないか。それも白いパンなんか買いやがって。先に金を払い、その後に自分が食う。それが決まりだったはずだ」
「ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい」
ああ、そうか。オレに食わせるために上納金を使っちまったんだ。世の中には、こんな子どもの上前をはねる奴までいる。
「ん、なんだ。その目、濁ってたんじゃないのか。それに今朝はずいぶんと肌がツヤツヤしてるじゃないか。ええと、ちょっと待てよ。これなら売れるぞ。その隣のガキもそうだ。わざわざ子ども相手に遊びたいってのもいる。そうだ、ルナ。体を洗ってやるぞ。服もやる。こっちへ来い」
「いや、いやっ」
つかまれた腕を振りほどこうと、ルナが体をねじった。
「親もいないガキが、生きていられるだけでありがたいと思え。なあに、最初はちょっと痛いかもしれないが、そのうち慣れる。何度か突っ込まれているうちに丈夫になって、血も出なくなるもんさ……」
「やめろっ」
オレはそいつの腕をつかんで止めようとした。だが、身長差はどうにもならない。ようやく、着ていたシャツにだけ手が届く。間抜けもいいところだ。
「なんだ、このガキ……」
「カイル、やめて」
男の手がオレに向かって伸びた。
捕まえて首でも絞めるつもりだろう。だが、これで向こうから来てくれた。子どもの身長に合わせて動いたせいで、姿勢が勝手に崩れている。
オレはヒーラーだ。治癒魔法のために両手をいつも空けているから、剣や槍は使わない。だが、素手で戦う条件でならSランクパーティー、双頭の銀鷲の中でも最強だったと自負している。
オレはつかみにきた腕を取り、足を少し蹴った。
道端に落ちている小石でも、タイミングさえ合えば大男を転倒させることができる。そういう理屈だ。
男は顔から豪快に転んだ。
「くっ、くっそぉぉ。このガキが」
立ち上がった男は額から血を流していた。体中をブルブルと震わせている。
「もう許さん。殺す。殺してやる。おまえらみたいなのが一人や二人減っても、どうってことはない。売るのは女だけでいい。おまえは死ねっ」
さすがは子どもの日銭をかすめとることしかできないクズだ。何も学習せずに同じ動作で突っこんでくる。
同じことをしてくる相手には、同じやり方で返せばいい。
男はまたひっくり返った。今度はすぐには立てない。ようやくヨロヨロと立ち上がった時には、その顔から歯が何本か欠けていた。
「オレをやるつもりなら、死ぬ気でかかってこい。二度と自分の足で歩けないようにしてやる」
オレはそいつに言い放った。脅しを効かせたつもりだったが、子どもの声だとどうも締まらない。
「カイル、もういいの。いいから逃げて。みんな私が悪いの」
「それじゃあオレの気がすまない」
「この人の後ろには、もっと怖い人がいっぱいいるの。殴られて、殺された子もいるの。カイルだって殺されちゃう」
ルナは必死に訴えかけた。
いい子だ。それに賢い。オレは好戦的になっていた自分を恥じた。ルナの方がずっと冷静に物を見ている。
この辺で切り上げてやるか。
「わかったな。これ以上痛い目にあいたくなかったら、もうルナには関わるな。それと、今までピンハネした稼ぎも返してもらう。いいな」
男は前歯の抜けた口を塞ぎながら、恐れと恐怖の入り混じったような目でオレを見ていた。
もうひと押しだな。そろそろ不審に思った通行人が足を止め始めている。あまり長引くのは避けたい。
「おじさん、お願いだよ」
通行人の目を意識しながら、オレは男の手を握るふりをした。
力は弱くても、やり方次第では大人に悲鳴を上げさせることができる。指の関節は特に効果的だ。方向を変えて、ギュッと握りこむ。
「ひ、ひぃ」
「それじゃあわからないよ。早く答えて」
オレはさらに力をこめた。
意外と強い力が出た。子どもにしては、かなりの握力だ。
「ひぃい。やめてくれ」
猫なで声がかえって効いたようだ。男はいくつもあるポケットから硬貨を取り出すと、それをオレの前に集めた。
「い、今はこれだけしかないんだ。本当だ。許してくれ」
ルナを苦しめていたことを許す気はなかったが、そのルナが心配そうにオレを見ている。手を放すと、男は飛ぶように逃げていった。こうなれば長居は無用だ。
「ルナ、何か袋を持ってるか」
「うん。毎日あいつに渡すお金を入れる袋」
オレは硬貨を拾い集めると、それを彼女に渡した。相変わらずオレの持ち物は、大人物の下着のシャツ一枚だけだ。ワンピースみたいに前は隠れてはいるが、下半身は素っ裸だ。
「さあ、走るぞ」
オレはルナの手を取ると、引っ張るようにして駆け出した。大きな手が握り返してくる。大きい? ああ、そうか。ルナの手が大きいんじゃない。オレの手がルナよりも小さいんだ。
オレたちはぶつかりそうになる通行人を避けるようにして走った。二人とも裸足だ。石畳を蹴るたびに足の裏が冷えたが、それが不思議なほど心地良かった。
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