第25話「応報」

「……は?」


 スノウは今目撃したばかりの部屋の中の状況が信じ難いのか、扉を開けたままの体勢で固まっている。そんな息子を振り返って、オルレアンは嬉しそうに言った。


「あら。もう来たの? このドレスの形も可愛いと思わない? 今の流行はスカート部分をあまり広げないんだけど、ティタニアちゃんには膨らませた方が可愛いと思うのよね。ヴェールに使うレースも出来たら、本場の方から取り寄せてもらって……」


「母さん! 違うよ! なんで、ニクスが俺のティタニアの隣に居るの? そこ俺の場所なんだけど!」


「良いじゃない。別に結婚式の主役を代わるわけじゃないんだから。本当に良く似ているし、雰囲気見るのに丁度良かっただけよ」


 悪びれない様子のオルレアンと大きな衝撃を受け非難する顔のスノウの睨み合いは、まだ続きそうだ。


 オルレアンは他の二人の息子、ニクスとネージュを連れて早々にノーサムへとやって来た。


 プリスコットの雪豹は戦いの指揮を取るため、あの雪山に必ず一人はいないといけないらしいが、今回貧乏くじを引いたのは父親のシュレグだったらしい。


 オルレアンは、あの時の言葉通り王都で人気のあるメゾンのデザイナーを呼びつけて、ティタニアが結婚式で着用する白いドレスだけに留まらず、普段着るドレスも数えきれない程注文していた。


 子どもは男三人で娘に自分の選んだ服を着てもらうのが夢だったと、あの美しい青い目を潤ませて言われたらティタニアにはもう何も言えない。


(オルレアン様……いいえ。お義母様は、本当にこんな風にするのが夢だったのね。可愛らしい人)


 三人も年頃の息子が居るとはとても思えないオルレアンは生粋の貴族令嬢のはずなのに、明け透けな気性のようで思ったことを我慢しない性格なようだ。


 嘘のない彼女と一緒に居るのは、ティタニアには楽だった。


 そして、ティタニアは、何も言わずに黙ったままで自分の隣にいる人を見上げた。ニクスは本当に弟のスノウに良く似ている。年齢が近かったら双子でも通ったかもしれない程にその姿は酷似しているのだ。


 ふと視線を感じたのか、ニクスはティタニアの方を何気なく向いた。その青灰の瞳も、スノウと同じ色をしていた。


(ニクス様って聞いていた話の通り、本当に話さないから、何を考えているかわからない。人の心の機微を察せない私には、したいことをそのまま言ってくれるスノウがちょうど良いもかも)


 そう思いながらなんとなくニクスと視線を合わせたままでいると、こちらの様子に気がついたのか大きな声がした。


「ティタニア! それ、俺じゃないから!」


 長兄をそれ呼ばわりしたスノウは、最高級のメゾンが用意してくれた見本の内の一着のドレスを着ているティタニアの手を取って、ニクスから遠ざけた。


「……えっと、そのドレスを着ているの可愛いのはもう言った? 言ってないよな。本当に……可愛いティタニア。いや、お前は何着ていても何していても可愛いのは変わらないけど……今日も本当に可愛い」


 そうやってとろけた顔で、可愛いを連発し始めた末の息子の頭をオルレアンがぱんっと叩いた。


「もう。ティタニアちゃんが一着一着着替えるたびに、そう言うのは目に見えてるのよ。試着の邪魔なんだから、伯爵のところで勉強でもしてらっしゃい。隣に兄が突っ立っているだけなのに、本当に大袈裟なのよ」


「ティタニアの隣は俺しかダメなんだよ!」


「本当に余裕ないわね。余裕のない男は、鬱陶しく思われて嫌われるわよ。どーんと構えなさいよ。本当に邪魔だから。良いから、早く行きなさい」


 しっしと手を振って遠ざけようとする母オルレアンに、スノウは拗ねた顔をした。


「なんでだよ。結婚式用の花嫁が着るドレスを選ぶのに、俺がいちゃダメなの納得出来ない」


「本当は式の日まで花婿はそのドレス姿を見ないのが、常識なのよ。本当にまったく堪え性のない子ね。誰に似たのかしら」


 美しい顔を顰めてため息をついたオルレアンの後ろで、今まで黙って優雅にお茶を飲んでいたネージュが言った。


「母さんだろ。他に誰がいるんだよ」


 オルレアンがむっとして言い返そうとした時、また扉が開き侍女のミアが飛び込んで慌ててティタニアに駆け寄った。


「お嬢様。大変です。旦那様が急ぎで、お呼びです」


「……お父様が?」


 スノウに手を握られたままのティタニアは、彼と目を合わせて首を傾げた。



◇◆◇



「ニア」


 彼の待つ応接室へと入ったティタニアは、その声を聞いて眉が寄ってしまうのをどうしても我慢出来なかった。


 こういった時には、立場的にも無表情でいるべきだとはわかっていたはずなのに。


「ジュリアン……いえ。ジュリアン様、どうして本日はこちらに?」


 貴族としての基本の礼儀である訪問前の知らせもなく、いきなりやってきた彼に、カールはもう会うことはないとは言っていた。


 けれど、どうしてもティタニアに会うと言い張っていたそうなので、何度もこれからこんなことを繰り返すならと思い、ティタニアは彼の待つこの部屋にやってきた。


 久しぶりに見たジュリアンは最後に会った時より、やつれて痩せていた。


 美しく整った顔もどこか陰鬱で、あんなに拘っていた服もあの頃よりも格段に安っぽい。プライドが高く、見た目に妥協しない彼らしくないと、一見してからティタニアは思った。


「あいつ……あいつは貴族の夫人になれると思っていたのにと言っていた……それには、お前が邪魔だったから襲わせたとも、言っていた。とんでもない女だったんだ」


 その人物はジュリアンと一緒に住んでいた、金髪女性のことだろうか。


 そう言えばスノウとユージンに助けて貰った襲撃はあの人の仕業だったのかと、ティタニアは納得した。


 それももう、遠い過去のことだ。


 真相がわかったからと言って、今更蒸し返すつもりもない。


 ティタニアには、今スノウが傍に居る。それは目の前の彼が去ってくれなかったら、もしかしたら叶わぬことだったのかもしれないのだ。


 躊躇うように言葉を続けづらそうにしているジュリアンを見て、ティタニアは悟った。


 誇り高い高位貴族であることを、あんなに自慢していた彼が、嫌っていた元婚約者である自分に会いに来たのだ。


 それだけで、彼の今の窮状がわかった。


「……謝るよ。僕は本当に取り返しのつかないことをした」


 それを言ったからと言って、どうにもならないことは彼自身きっとわかっているはずだ。


 ティタニアの手を離したのは、彼自身なのだ。ここに来て、どうしようもないことは理解しているはずだ。


 けれど、彼は以前この場所で、彼はティタニアと結婚し、次期伯爵の地位も約束されていた。


 どうしようもない場所まで来て、それがどれだけ得難いものだったのか、思い知ったのだろう。


 彼の様子からして、ティタニアから奪った鉱山の権利は既に手放しているのだろう。


 生活苦による金の無心だろうか。この様子だと、実家にももう帰れないのかもしれない。


 目の前のジュリアンに対して、哀れみしかわかなかった。


 ただただ、可哀想だった。これからやってくるだろう苦難も、ただ持っているだけの血筋に対する誇りも、彼を強くはしないだろう。


「ニア。何か言ってくれ……僕たちはそれなりに上手くやっていた。幼い頃から、ずっと日々を過ごしていたじゃないか。そうだろう?」


「聞いて呆れる話ばかりだな」


 スノウは立ち止まったままだったティタニアの背後から現れると、彼女の前へとジュリアンの視線から守るように移動した。


 スノウの大きな背中を見て、ティタニアは心から安心してほっと息をつく。


「お前が自ら、手放したんだ。心からお礼を言う。こんなに美しく優しく聡明なティタニアを手放してくれてありがとう。ちゃんと礼はするよ。これを望んでいたんだろう?」


 スノウは一枚の紙をジュリアンの前に置いた。その紙に書かれた額を見て、驚いた顔をしたジュリアンに彼は不敵に微笑んだ。


「その代わり俺の番に二度と近づくな。これが最後の温情だ」


 今は大きな背中だけしか見えないティタニアにはスノウの表情はわからないが、その向こうにジュリアンの怯え切った表情が見えた。



◇◆◇



 気まぐれな猫のように、イグレシアス家の城館で自由気ままに過ごしているネージュがわざわざティタニアの部屋までやって来た。


 ニクスはカールと領地経営などの話を話をするのが日課になっており、カールも新しく親族になるオルレアンとスノウの兄二人をとても歓迎しているようだ。


 ちょうどお茶の時間で、彼はテラスに出てくつろいでいた弟とティタニアの二人に合流した。


 サッと長い足を組んで、持っていた書類をパサリとテーブルに置いた。


「珍しく兄バカを発揮してね。当の本人の弟の本意ではないのに、君の気持ちを試したのは確かだから、これはほんのお詫びだよ」


 無造作にテーブルに広がった書類を見て、ティタニアは息を飲んで驚いた。それはジュリアンに奪われたかたちになった祖父が残してくれた金緑石の鉱山の権利書に他ならないからだ。


「……ネージュ。どうやったんだよ」


 弟のスノウも、その書類が何なのかを悟り、目を丸くしている。


「頭って使うためにあるからね。ストレイチーの次男は思っていたより、騙されやすく簡単な男だったよ。ティタニア嬢があの男から受けた仕打ちを思うと、決して這い上がることの出来ないどん底まで突き落としても良かったんだけど、誰かに落とされるより、不甲斐ない自分で堕ちた沼は底がなく深いから」


 ミアが慌てて用意して注ぎに来たお茶を飲んで、ネージュは優雅に微笑んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る