第24話「未来」

 ノーサム地方のイグレシアス家が住む城館へと戻った二人は、手紙で手短にスノウからの連絡がなかった事情は伝えていたものの、なかなか戻らない娘に何かあったのではないかと心配して待っていたカールの心からの歓迎を受けた。


 少し遅れてたどり着いたユージンも合流し、久しぶりの晩餐ではプリスコット家であった出来事などを報告することとなった。


「……それで、そのお兄さんの元婚約者はどうなったんだね?」


 ティタニアを誘拐し危険な場所に置き去りにした上で、イグレシアス家の従者たちを捕らえた上で縛り壊れた馬車の中に放置した罪でアナベルは捕らえられ、これから厳しい刑に処される予定だ。


 ユージンがそれをカールに伝えると、彼は眉を顰めて厳しい表情を浮かべた。


 一人娘のティタニアは彼にとって今では唯一残った家族であり、世界で一番大事な存在だ。それに危害を加えようとした人物を、どうしても許せないと思っていてもおかしくはない。


「……イグレシアス伯爵。プリスコット辺境伯は身内であろうと、違法には厳しく罰せられる方です。大事なお嬢様に危害を加えた報いは必ず受けさせます」


 そうユージンが力強く言い切っても、カールは難しい顔のままだ。


 もちろん、この国は王政の法治国家なので、身分を傘に着ての私刑などはもっての外だが、大事な一人娘を危機に晒された父として気持ちの折り合いがつき難いのだろう。


「お父様、雪山に居た私を助けて迎えに来てくれたのはスノウと彼のお兄様たち、そしてユージンなのよ。他にもたくさんの方たちが危険を省みず捜索に加わってくれたの。確かに攫われたことは残念なことだけど、私はプリスコット家の方や仕えている方々にとても感謝しているわ」


 そう言ったティタニアに、複雑そうにカールは頷いた。納得し難いが、娘の言い分も事実であるからだ。


「義父上、ティタニアを攫った犯人についてはプリスコット家としては絶対に許すつもりはありません。父と兄たちも僕と同じ意見です。ご安心ください」


 さりげなく義父と呼んだスノウの言葉に急に機嫌を直したカールを見て、ティタニアはほっと息をついた。甘え上手な恋人は、未来の父親を懐柔するのもお手のものらしい。



◇◆◇



「それで、また……お酒、飲んじゃったのね」


 自分の膝の上に頭を置いて腰に腕を回しているスノウの髪を撫でながら、ティタニアは呟いた。


 こんなになるまで泥酔してしまっている癖に、帰巣本能を持つ動物のように迷うことなく、この部屋に来るまではしっかりとした足取りだったらしい。


「ええ。すみません。お父様と二人で何度も乾杯をして、どんどん機嫌良く飲み進めてしまって止める隙もありませんでした。ティタニア様のお父様もかなり上機嫌な様子で……アナベルの事を話した時にはどうなるかと思いましたが」


 ユージンは肩をすくめると、彼らしい優しそうな表情で微笑んだ。


「本当にごめんなさい。お父様も、もちろんユージンやスノウ……プリスコットの方々が悪いだなんて、絶対思ってはいないけれど……私はお父様にとっては一人しかいない家族だから」


「もちろん。それは、わかっていますよ。けれどスノウが家族になりますし、彼ともうすぐ結婚すればたくさんの肉親も出来ますよ。特別うるさい人も……いますけどね?」


 そう言って片目を瞑ったので、それが誰を示しているのかすぐにわかったティタニアも笑顔になった。スノウの母オルレアンも予想した通り、もうすぐこちらにやって来て、ティタニアの式用のドレスなどを整えてくれる予定だ。


「……ネージュから僕がスノウの傍にいた理由を聞いたそうですね。ですが、僕だってそれだけでこいつと一緒に居たわけではありません。確かに、いろんな意味で、心配ではありましたけどね。気が合って一緒に居て楽しいのは事実なので。ただ、これまでずっと一緒だった僕だけにしかわからない事ですが、これだけは言えます。こいつには貴女だけしか居ません」


 ユージン持つ水色の瞳は、透き通る清水のように美しい。彼の性質がそのまま出ているかのような、不思議な虹彩だった。


「スノウはお酒に弱いくせに、つらくなるとすぐに飲みたがるんですよ。飲んでも、嫌なことは消えて無くならないですけどね……ティタニア様のことを忘れたいと、飲みながらよく泣いていたのを思い出します。すぐ後にいやだ、絶対に忘れたくないと言い出して。その繰り返しになるんですけどね。どうか、これからも、スノウのことを大事にしてやってください」


 その言葉に真剣に頷いたティタニアに礼をして、ユージンは去っていった。役目を終えたはずの彼はこれからもスノウの傍に居て補佐をする役割がしたいと言っていたから、これからも仕方ないと苦笑しながらもスノウと一緒に居ることになるんだろう。


 家族と呼べる大事な人が増えていく喜びは、何物にも変え難かった。



◇◆◇



「おはよう。ティタニア」


 目を開けた途端に飛び込んできた差し込んでくる陽光に輝くような整った顔の人に、驚く。スノウは酔いは抜けてしまって、今ではすっきりとした表情をしている。


「おはよう。昨日のこと、どこまで覚えてる?」


「んー、義父上に三杯目注がれたくらいまでは?」


 少し考える素振りをして顔を顰めて言ったその言葉を聞いて、ティタニアは呆れた顔で言った。


「とてもその程度では、あんな風にならないと思うわ。それからだいぶ飲んじゃったのね」


「勧められたら断れないよ。ティタニアのお父さんだし、少しでもよく思われたいと思うのは当たり前のことだろう?」


 流石に末っ子で要領の良い彼は、押さえるべきところはきちんと押さえているらしい。喜ぶべきかあきれるべきか悩んでいるティタニアの体を抱き寄せると、頭に鼻を寄せて嬉しそうに言った。


「番の匂いってなんでこんなに良い匂いするんだろう。ずっと嗅いでたいな」


「スノウはお酒の匂いする」


 間近にまで近づいた整った顔をじっと見て、ティタニアは言った。


 何度も見たはずの彼の顔は、本当に信じられない程に計算し尽くされたかと思える造形だった。この前に会った彼の母親を見たら、ただの遺伝だと納得するしかないけれど。


「あー、お風呂入ろうかな……ティタニアも一緒に入る?」


「ダメ。もう手を怪我してないでしょ?」


 そうつれなく言ったティタニアに、スノウは拗ねた顔をした。


「ちえっ……雪豹は、持って生まれた能力で回復するのがどうしても早いんだよ。ニクスも大怪我した割には回復早かっただろう?」


 確かにそうだ、と思ってティタニアは頷いた。彼の長兄ニクスは、動けない程の怪我を負っていると知らせを聞いていたが驚異の速度で回復したのだ。そしてまだ回復しきっていないのに、雪山まで駆けつけてくれた彼のおかげでティタニアの命は助かることになった。


「スノウも何年か後には、ニクス様みたいになるんだね。楽しみだな」


 すぐ目の前でふふっと嬉しそうな顔をしたティタニアを見てスノウは信じられない、という表情をした。


「は? 俺がニクスみたいになるのが、楽しみなの? どうして?」


「今も素敵だけど、数年後はあんな風になるんだなあって思ったら楽しみになっただけよ」


 深く考えずに言った言葉に思わぬ反応を見せた彼に、きょとんとした顔をしてティタニアは見返した。


「待って。俺は、今は素敵なんでしょ。じゃあ、ニクスはより素敵ってこと? そういうこと?」


 必死で言葉を重ねる彼の様子に、ティタニアは吹き出した。


「ふふっ……違うわ。私はスノウしか好きじゃないけど、スノウは何年後にあんな風になるんだなあと思ったら、それが楽しみなだけよ」


「言っておくけど、ニクスは寡黙だなんて言われているけど、ただのむっつりだし、ティタニアのことも絶対可愛いし良いなって思ってたんだよ。だから、母さんが言ってたことも構わないって言ったんだ」


「そんなことないわ。あんなに素敵な人なんだから、女性に言い寄られ慣れているだろうし、私のことなんて何とも思ってないわ。スノウの考えすぎよ」


 彼の長兄は、凛々しくて美しい顔を持っている上にプリスコット家嫡男だ。


 高位貴族であり、この国でも重要な爵位を持つことになる彼には夜の中の光に集まる虫のようにたくさんの美しい令嬢が引き寄せられるはずだ。将来義妹になるティタニアのことを、目に留めるとは考え難かった。


「違うんだ。ニクスは絶対ティタニアのことがタイプなんだ。確かに生まれてからずっと言い寄られ過ぎて、恋愛事は億劫になっている人間だけど、ティタニアみたいな可愛いのに芯が通った女の子が好きなのは知ってるんだ……だから、ティタニアがもしニクスが良いって言ったら……」


 彼が尚も呻くように言葉を続けようとしたので、ティタニアは黙ってその唇に唇を当ててそれを止めた。


 自分が興奮し過ぎたとやっと気がついたのか、落ち込むように項垂れた彼の首に手を回して抱きついた。


「そうね。でも、私の運命はスノウだけだから。どんなに貴方に似ている人が何を言ってきても、それは変わらないのよ」

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