第21話「理由」

 静寂を縫うように近づく気配に覚悟を決めてティタニアは、ゆっくりと目を開いた。


 邪悪な様子をした魔物の恐ろしい姿が見えるのかと思っていたら、そうではなかった。


 闇にきらめく青灰のふたつの瞳。間近にあり、体を縛られて身動きの取れない自分を心配そうに見下ろしていた。


(……スノウ?)


 そんな訳はない。そう思った。


 スノウは呪われた運命から解き放たれて、もうティタニアのことを好きだったことなど、綺麗さっぱりと忘れてしまっているはずだ。


 だとすると、プリスコットの雪豹ですぐに動ける人と言ったら一人しかいない。


 もしかしたらまたあの彼が、ティタニアを助けてくれたのかもしれない。


「……ネージュさま?」


 ずっと言葉を発さなかったせいか、喉がからんでうまく発声できない。戸惑ったかすれた声を出したティタニアに、目の前に居る大きな雪豹は不満気な声を出した。


「は? 何で、ネージュなの? ティタニア。ネージュと何かあるの?」


 その声は先ほど別れを告げたはずの、スノウだった。


 信じられない思いでティタニアは獣化している彼の顔を見つめた。表情のわかりにくい獣の顔をしているのに、どこか拗ねているように見えるのは、なぜだろうか。


「……スノウ? どうして? 私を忘れてないの?」


 呆然として呟くティタニアにますます苛立ったような様子でスノウは言った。


「……は? 何言ってるの? そういえば夢の中で、変なおじさんに自分の運命を変えたいか変えたくないか、どちらかを選べと言われたな……妙な感覚だったし、おかしいなと思ってた。目を覚ましたら、ティタニアがくれたはずの腕輪もなくなっていたし、あれってやっぱり何か、霊的なものだったのか」


 器用に首を傾げて、何かを思い出すようにスノウは大きな目を開いた。


「もうわかっていると思うけど、俺は運命を変えたくないと言った。ティタニアのことを好きなのは、俺が自分で選んだ……初めてお前を見かけてから、ずっとお前のことばかり、考えていた。何年もずっとだ……その思いは俺にとって、もう血肉と同じなんだ。それを無くしてしまえばもう、それは俺とは言えない。これからどんなに苦しい思いをしたとしても、この思いを絶対に手放さないと決めたんだ」


「スノウ」


 信じられない思いで、ティタニアは彼の顔を見た。彼の目は愛おしげに細められ、自分だけを見つめていた。


「この先どう生きるかは、自分で選んだ。俺はティタニアだけを選ぶよ」


 じっと見るその情熱的な視線と絡む。じわじわと、実感が湧いてきた。胸を切りつけられるような思いをしながら手を離したと思った彼が、危険を冒して雪山まで探しに来てくれた。そして、何よりも自分を選ぶと言ってくれた。


 その時、彼の後ろ側に、黒い空にぽっかりと闇の穴が空いたような、漆黒の影が見えた。


「スノウ! 群れのボスだ! すぐ近くまで来ている」


 やはり今も彼の近くに居たユージンの焦ったような声がして、続いて地響きのような音が周囲の空気を震わせた。


 目の前に居たスノウの白い身体がブワッと膨れ上がるように何倍にもなる程に大きくなり、一瞬の内に軽々と飛び上がった。


「ユージン! ティタニアを絶対に守れ!」


 大きな声で放った言葉だけを残してあの大きな漆黒の影へと、彼は一直線に走っていく。


 あの黒い闇に近づいていくその道中も、いくつもの攻撃魔法を同時展開しているのか、夜の空気に派手で鮮やかな光が散った。


「ティタニア様!」


 金色の豹に獣化したまま、駆け寄ってきたユージンが魔法で何かをしたのか、ティタニアを戒めていた縄がバラバラになり、いきなり拘束されていた体は自由になった。


「申し訳ありません。あいつ、普通なら一番最初に貴女を自由にしなくちゃいけないのに。自分の言いたいことだけ言って……」


 ティタニアは凍えすぎて言うことを聞かない体を必死で動かして、慌てて立ち上がり、スノウの走っていった方向を見た。


 黒く大きな闇に向かう、素早い白い影。


「スノウ!」


 彼の白い体に何かどす黒い長い手のようなものがまとわりついて来て、ティタニアは思わず叫んでしまった。素早く動きすんでのところでそれをかわすと、また攻撃の態勢へと切り替えて、どんなに攻撃されようが何度も何度も立ち向かっていく。


「ティタニア様、心配される気持ちはわかりますが、早く僕の背中へ。僕たちがここから逃げ切らないと、スノウは食い止めるためにずっとあのボスと戦うことになります」


 そう口早に言ったユージンは、背を向けてティタニアが乗りやすいように身を伏せた。


 そんな彼に慌てて近づこうとしたその時、バチバチとした稲妻のような激しい音がして、ティタニアは思わず振り返った。


 スノウは電撃の檻のようなものに囲まれ、身動きが取れなくなったのか地に伏せていた。そんな彼に、大きな黒い影が忍び寄る。


 夜は魔物の力が強くなり、活性化している。


 そして、今よりも弱い昼間に戦っても倒せる訳ではないのに、それを相手取って戦ってくれたのは、彼らのように素早く走り逃げることの出来ないティタニアを逃すためだ。


 もしかしたらここで彼を失ってしまうかもしれないと思って、心臓がぎゅっとなるほどの恐怖感がティタニアを襲う。


「やだ、やだ、スノウ!」


 彼が死んでしまうかもしれないと思った途端、体は動いていた。


 自分が行ったところで何も出来ないことは、ティタニアにだって痛いくらいわかっていた。


 思わず黒い影に向かって走り出そうとしたティタニアの前に、幻のように現れた二匹の白い雪豹。


 一匹は動けなくなっていたスノウの方へと真っ直ぐに走り、突風の魔法を使って、光る檻のようなものを軽々と吹き飛ばした。


 動けるようになったスノウはすぐさま一気に空へと舞って、やってきたもう一匹と別々の方向から攻撃を開始した。


 なぜか立ち止まったもう一匹は、その戦いの様子を余裕のある態度で確認した後、目の前の出来事についていけないまま立ち尽くしたままティタニアのすぐ傍にやって来た。


 飄々とした聞き覚えのある口調で、それは誰であるのかティタニアにはすぐに分かった。


「やあ、本当に無事で良かったよ……弟はどんなに自分が傷ついたり苦しんだ過去があったとしても、それを与えたはずの、君を選んだか。そう、あいつはどんな選択肢を与えられたとしても、死に物狂いで君だけを選び続けるんだ……なるほど。それこそが、僕たちが運命と呼ぶものなのかもしれないね」


 彼は面白そうに言うとティタニアの応えを待つことなく、先に二匹が群れのボスと戦っている場所に走り出した。


 複数の攻撃魔法の唸る音が響き渡り、包囲を狭めながら、三匹は黒い影を追い込んでいった。


 さっきの雪豹がネージュだとすると、弟を救うために真っ直ぐ走って行った雪豹は噂にしか聞いたことのない長兄のニクスだろうか。


 怪我をしていると聞いているのに、話を聞いて、無理をして出てきてくれたのかもしれない。


 呆然として繰り広げられる激しい戦闘の様子を見ているティタニアの横にそろりとやって来て、遠慮がちにユージンは声をかけた。


「ティタニア様。もう、大丈夫ですよ。ニクスとネージュ、それにスノウが居ればどんな魔物だって、すぐに倒せると思います。伊達にこの地を任されている訳ではありません。プリスコット家の雪豹たちはそれだけの強さを持っているんですよ」


 落ち着いた声音で安心させるような彼の言葉に、戦いの様子から目を離せずに頷きながら、ティタニアはほっと息をついた。


 確かに、今雪原で行われている戦いは圧倒的だった。


 スノウ一匹だけではどうしても押されている場面があったが、一匹が注意を引きつけ、そして別の一匹が攻撃し、別の方向からも攻撃が繰り返される。


 流石に共に育って来た兄弟なだけあり、息のあった連携も完璧だ。


(どんどん黒い影が小さくなっていく……それに、攻撃の速度も鈍くなっている気がするわ。力を削られていっているのかな? スノウのお兄様たち、助けに来てくれて本当にありがとう……)


 胸の前でぎゅっと手を組んで、彼の二人の兄に感謝した。


 スノウは、ティタニアだけを選ぶと言った。そして、謎かけのようなさっきのネージュの言葉。


 誰かに決められていると思い込んでいる道程、けれど最後にいく先を選ぶのはきっと自分自身だ。


 いくらでも、変える機会はある。どんな時だって。そう、今この瞬間だって。


 ティタニアがスノウを愛するがゆえに、その手を離したように。


 スノウは自分がどんなにつらい思いをしようが、ティタニアだけを選び続けるだろう。


 どんなに複雑にからんで、もつれ合ったとしても、互いだけを選び合う。


 きっとそれこそが、運命と呼ばれるもの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る