第6話「好きなの?」
ふわっとした毛が鼻に触れて、むずむずしてしまう。
みっしりとした密度の濃い綿が体を取り巻いているようなそんな感覚を不思議に思ったティタニアは、ぱっと目を開けた。
目の前には、薄明かりにも映えて見える白に、金茶色の斑点が無数に散っていた。
昨夜見たばかりの、スノウの柔らかな白い毛皮だ。
そして、強いお酒の匂い。質の良いものだとは思うが、飲んだ量が多いのだろう。
濃密とも言える酒精の匂いが、部屋中で漂っていた。
彼はしたたかに酩酊しているのか、隣に寝ていたティタニアが起きたのにも気がつきもせず、可愛らしい寝息を立てている。
色素が薄いからか、ピンク色の逆三角形の鼻がまた愛らしい。
(今夜も……来たんだ。目を閉じても、こんなにこわそうな顔をしているのに、すごく寝息がかわいい)
ティタニアは何も言わずに、ふわふわとした頬を撫でた。
その凶暴と言える顔に似合わない音で、喉をゴロゴロと鳴らした。
あんまりにもそれが可愛く思えて、ティタニアはその体をぎゅっと抱きしめた。
温かな毛皮は、とても気持ちの良いものだった。
あの精悍で大きな体をしたスノウとこの目の前にいる毛皮の塊が、どうしても同一視出来ないのだ。
ティタニアは生まれた頃から王都にほど近いノーサム地方で暮らしていて、地方により多く居る獣人たちとあまり関わりがなかったためも大きいだろう。
「……あのっ」
すぐ近くから遠慮がちな声が聞こえて、はっと息を呑んだ。
そうだ。
お酒に酔ったスノウがここに居るということは、間違いなく彼の従兄弟であるユージンも居るということだ。
何故、それを失念していたのだろうか。
起きたてで頭が働かないのもあったが、いつも周囲の状況を気にしているティタニアであれば、考えられないことだった。
「本当に、本当に申し訳ありません。こんな夜更けに……うら若き乙女の部屋に入り、ましてや獣化した姿とはいえ、同衾をするなど。してはいけないことは、もちろんわかっています。彼を止められなかった僕も同罪です。二人でどんな罰でもお受けします」
ユージンは緊張しているのか、掠れて震えた声で言った。
常識的な彼は従兄弟のスノウがとんでもないことを仕出かしていることは、理解してはいるのだろう。
ティタニアは名残惜しい気持ちを何処かに残しながら、白くやわらかな毛皮から両手を離した。
ゆっくりと上半身を起こし、ユージンのいる方を向いた。彼は傍に立ったまま、可哀想なくらい、身を縮こませていた。
「……ユージン様……」
ティタニアは思い詰めている様子の彼にどう言って良いものか、しばし悩んだ。
彼女自身としては、ふわふわで抱き心地の良い大きなぬいぐるみと一緒に寝たくらいの感覚なのだが、それをユージンにどうやって説明して良いものか、迷ったのだ。
「本当に申し訳ありません。どんな理由があったとしても、こんなことをしてはいけないとは、重々わかってはいるんです……言い訳にはなりますが、スノウはプリスコットの雪豹の中でも力が強くて。僕一人だけでは、とても止められなくて……」
可哀想なくらい狼狽した様子で謝罪重ねるユージンに、ティタニアは微笑んでゆっくりと首を横に振った。
「ユージン様、そんなに心配しなくても大丈夫です。スノウ様はお酒を飲んでいらっしゃるんですよね? 酩酊してしまうと正体をなくし、普段は考えられない奇行をしてしまうのも、無理もないことです。それに、嫌な事は何もされていません。私はこの事を騒ぎ立てる気はありませんし、どうか落ち着いてください」
しんとした暗い部屋の中で響くティタニアの冷静な声を聞いて、ユージンはやっとほっと息をついた。
自分達がしでかしてしまったことが、どうなってしまうのか心配だったのだろう。
ティタニアからの許しを得て落ち着いた様子でスノウの毛皮を触っている彼女に向けて、やっといつもの笑顔を向けた。
「ありがとうございます。そこの泥酔してしまっているスノウと、プリスコット一族一同に代わり、お礼を申し上げます」
それを聞いてくすっと笑いを漏らしたティタニアに、ユージンははにかんだ。
寝ていたティタニアがいつ起きてしまうか、そしてついに起きてしまった彼女にどう説明したものか、ずっと不安だったに違いない。
安心した柔らかな表情を見せてくれた彼を揶揄うようにして言った。
「何か、あったんですか? こんなに酔ってしまうなんて」
それを聞いて、ユージンは言葉を選ぶように一度沈黙した。そんな彼を見て、ティタニアは不思議に思い首を傾げる。
そして、ユージンは意を決したようにして、話し出した。
「あの。昼間、ティタニア様は運命なんて欲しくないと、口にされましたよね……貴女は別の意味で言ったのだと、もちろんわかってはいます。けれど、こいつは貴女に自分のことが要らないと言われたとそう思ったんじゃないかと、思います」
「私の言葉で?」
ティタニアは、ユージンの告げた言葉に驚いた。
こんなにスノウがぐでんぐでんになる程、浴びるようにお酒を飲んだのは、自分の発言のせいだとは、まったく思ってもみなかったからだ。
「……貴女にとって、僕達二人の存在は、迷惑になりますか? もしそう思われるのなら、言ってください。スノウは貴女の傍を離れることを嫌がるでしょうが、僕は責任を持って縛り付けてでも、連れて帰ります。もし、何か助けが要るなら言ってください。命をかけてでも貴女を救うと約束します」
真っ直ぐな視線と共に発せられたその質問に、ティタニアは即答することが出来なかった。
しばらくの沈黙をおいて、逡巡してから答えた。
「いいえ、スノウ様とユージン様を決して迷惑などと……そんなことは、ありません。でも、どうして? どうしてスノウ様は私のことを気にかけてくれるのでしょうか。それに彼の言う運命とは一体……」
ユージンは何か躊躇う様子を見せ、そうして間を置いてから、にこっと笑った。
屈託のない彼の笑顔は周囲を明るくする、そんな力を持っていると思う。どうしてもつられてこちらも思わず微笑んでしまうのだ。
「それは……さすがに僕の口からは。もし知りたければ、スノウ本人に聞いてください。僕は少しの間、席を外します。心配しなくても、大丈夫です。獣化すると、恐ろしい姿に見えるかもしれませんが、スノウはどんなに前後不覚になったとしても、貴女にだけは危害を加えることは絶対に、有り得ないので」
そして、答えを待たずに二人を部屋に残して、彼は外に出て行ってしまった。
気を使われたのだと、わかった。
おそらく自分がこの部屋に居るままだと、ティタニアが眠れないと考えたのだろう。ユージンは頭の良い聡い人だと思った。
(不思議に感じていることは、スノウ様本人に聞かなきゃいけないってことかしら……そういえば、彼と二人でちゃんと話した事ないわ)
その事実を、やっぱりティタニアは疑問に思った。
こんな彼に好意を持たれるきっかけも何も、思いつかないのだ。
ティタニアは自分の容姿が醜いとは思ったことはないが、絶世の美女と言えるような、そんな容貌ではないことはこの年齢になるまでには理解していた。
だが、スノウは見た目の良さと経歴、その家柄、全てが極上の男性で、どんなご縁でも、先方が是非にと望んでくるだろう。
「……私のこと、好きなの?」
思わず出た独り言は、目の前の彼に何か返事を求めたものではなかった。
規則正しいくうくうという可愛らしい寝息を立てている雪豹は、完全に夢の世界にいるようなのだ。
けれど、低くて甘くも聞こえるその声で答えが返ってきた時、思わずティタニアはびくりと背筋が伸びた。
「ティタニア、好き……」
その他にも、ふにゃふにゃと意味不明の言葉を呟いているものの、はっきりとして明確にティタニアの耳に聞こえたのは、その言葉だけだった。
ドキドキといきなり高鳴り出した胸の鼓動が、駆け足を始めた。
もちろん、以前彼がティタニアのことを「俺の運命」と呼んだ時から、もしかしたら、そうなのかもしれないという淡い期待はあった。
けれど、どうしても、彼が自分を好きだというその考えには至りたくなかった。
そうしたら、もうきっと大きくなるだけの思いを止められなくなるから。
気持ちよさそうな顔をして眠っているスノウを、飽きもせずにじっと見ている内に、窓の外が白み始めた。
夜明けがもうすぐそこまで迫ってきている。
その時、コンコンという遠慮がちに扉を叩く音がして、先程部屋を出て行ったユージンが帰って来たのだと知れた。
ティタニアは何度か落ち着きように大きく深呼吸をして、扉の前で待っている彼に返事をした。
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