第3章 臆病な白ウサギが燕と仲良くなる方法

第1回 この配信は健全です


「あ……っ……うぁ」


 外界と隔離された密室で、掠れた吐息のような火照った声が室内に怪しく響きました。

 華奢でありながら、女性の象徴足る乳房だけは豊かに実ったアンバランスな魅力を持つ儚げな少女。

 真白いウサギのような彼女は、目の前にある猛々しい太い棒を前に、怯えたように震えて、頬を赤く染め上げておりました。

 突き出された雄々しいそれを前に、今にも泣き出しそうになりながらも、必死に小さなお口を開こうとする健気な懸命さが、傍から見ている者たちに得も言われぬ背徳感を抱かせます。


「……っ……あう」


 小さく開いた薄い唇の隙間から、僅かに覗く可愛らしい舌先が艶めかしく動きました。

 薄いガラスの向こう側で下卑た笑みを浮かべる男を意識しながら、幼げな少女は精一杯口を開き、大きな太い棒を咥えこもうと――


「……ねぇ? 人の隣で官能小説みたいナレーション入れるの止めてくれない?」


 ――


 ブース内で必死に配信の練習を行う天戸さんを見ながら、なにを思ったのか僕の隣でナレーションを始める御影さん。

 天戸さんには聞こえていないからと放置していたけれど、居たたまれない内容だったので静止せざる終えなかった。


「咥えるとか……そんなこと天戸さんはしてないから。太いぼ……んんっ。そういうのじゃないから。ただのダイナミックマイクだから」

「うふふ。ちょっとしたふぃくしょん。脚色ですよ」

「装飾過多でしょ」


 黒曜の瞳を細めてころころと笑う御影さんに、僕は大きなため息を吐いた。


 御影さんにキャラクターイラストの依頼をしてから3日が過ぎた。

 その間、天戸さんに伝えていた通り配信の練習をしていたか――というと、そんなこともなく。


『むむむ、ムリ……っ!?』


 そう言って逃げ出してしまった白ウサギ。

 白亜城を縦横無尽に駆け回る彼女とどうにか話し合いを設け、泣きそうになるのを宥めて、配信練習をするように説得するのに3日掛かったのである。……配信準備より、こっちのほうが大変だった。


 今にも涙が零れ落ちそうなぐずぐずの顔で天戸さんを放り込んだのは、城内にある配信部屋だ。

 ……今更なにが出てきても驚かないつもりだったけれど、個人の邸宅に都心にある録音スタジオと遜色のない部屋が用意されているのには、引きつった顔がなかなか戻らないぐらいには驚いた。


 天戸さんのいる通称『金魚鉢』と呼ばれるブースに、防音ガラス窓を隔てた録音機材のあるコントロールルーム。隣の部屋にはマシーンルームまであり、娘への愛情という名の親馬鹿っぷりに呆れるばかりだ。


 とはいえ、プロが使うようなミキサーを用意されたところで、個人配信ぐらいしかしたことのない僕に使いこなせるわけがない。

 この部屋を好きに使っていいと伝えるだけ伝えたクレオールさんは、ニッコリと微笑むだけで僕の期待した答えを口にすることはなかった。

 とりあえず、音響機器PA入門の教材を取り寄せから始めることにした。


 そんな気苦労が増すばかりの3日間。隣には仕事も終えたのになぜか残っている問題児御影さん。


「御影さん、他のお仕事とかは大丈夫なの?」

「ええ。ご心配ありがとうございます。いいですわよね、リモートワーク」


 持ち込んだタブレットを片手に微笑む御影さんは、今もイラストを描いている。

 正直、そんなことは聞かなくても見れば分かっていた。暗に早く帰らないのと催促したのだけれど、理解していないのか、聞く耳を持っていないのか。一向に帰る様子はない。


「いんすぴれーしょんを得るのも、絵描きとして大事なお仕事ですから」

「まぁ……そうかもしれないけれど――って、おいこら! なにを描いてるの!?」

「ナニを♡ なんて、少しはしたなかったでしょうか」


 頬に手を当て淑やかに恥ずかしがる御影さんのタブレットの画面には――天戸さんに似た儚げな少女が羞恥に満ちた表情で棒のようななにかを咥えようとしている、モザイク必死の姿が描かれていた。


 あまりにえっち過ぎるイラストに、僕はとても見てはいられなかった。

 けれど、視線を避けた先には、モデルとなった天戸さんが、嗜虐心そそられる表情で椅子に座っていた。

 無意識に彼女の濡れた唇を見てしまい――ごくりと喉を鳴らす。目が離せなくなる。


 そんな僕を御影さんが楽しそうに瞳を細めて見ている。そのことに気付いた僕は、母親にえっちな本を見つけられたかのようないたたまれない気持ちになり、慌てて彼女を責め立ててしまう。


「えっ、あっ……はっ、はしたないとかじゃなく普通に下品だから! もしくは下賤! 大和撫子みたいな容姿なのに、本当に中身は下衆だよね、御影さんは!?」

「いやですわ……。そのように褒められてしまうと、照れてしまいます」


 たおやかな所作で、御影さんは朱に染める頬を隠す。

 先程男の部分を揺さぶられたせいか、清楚可憐な仕草にドキリとさせられてしまい、鯉のように口をパクパクさせるばかりで声が出なくなってしまう。


「うふふ。……可愛いお方ですわね、ツバメさんは」

「確信犯だよもーやだー」


 美人は本当に卑怯だ。自分の容姿が武器だと自覚している女性は猶更だ。無敵に素敵過ぎる。

 なにを言ったところで女性に口喧嘩では勝てないし、不毛だと悟った僕は赤くなった顔を隠すようにそっぽを向く。

 それが子供らしい態度だったせいか、くすくすと御影さんの鈴を転がしたような笑い声が聞こえ、恥ずかしさは増すばかりだ。


「……せめてクレオールさんが居てくれたら」


 最近、忙しいのか、あまり姿を見せないクレオールさんに思いを馳せるけれど、仮面のように綺麗な笑顔を浮かべるだけで助け船1つ寄越さないのが容易に想像できて泣けた。味方が欲しい。


「も……むり……」


 そんな、大変下衆でくだらない会話をしている間も、天戸さんは一生懸命配信の練習をしていのだけれど、結局、一言も話せずにブースから出てきてしまった。


 実際の配信と同じ環境での練習。配信開始の自己紹介ができれば御の字と考えていたが、それすらも、天戸さんにとっては清水の舞台から飛び降りるような度胸が必要だったようだ。

 Vtuberへの道は、中々に険しそうだ。

 僕は努めて先のエッなイラストを思い出さないようにしつつ、笑顔を作って話しかける。


「最初だからしょうがないよね。イラストもそうだけど、配信できるようになるまでにはまだまだ時間がかかるから、一緒に頑張っていこう、ね?」

「……わ、わたし……やっぱりツバメさんみたいにはできない」


 天戸さんの目尻にじわりと涙が滲み、僕は焦る。

 元々ネガティブな性格で、打たれ弱く、落ち込みやすい。

 このままでは三度目の追い掛けっこになるかもしれないと、取り繕った笑顔に冷や汗が流れ落ちる。


「大丈夫、大丈夫。皆、誰でも最初は話せないものだから。僕も最初は緊張しまくって、上手く喋れなかったからね」

「ほ、ほんとう? ツバメさんも?」

「もちろん」

「レンカさんは初配信からとても流暢でしたね」

「……っ(涙だばー)」

「ちょっと御影さん!?」

「失礼致しました。つい、天戸さんの泣き顔を見たくなってしまいまして」


 涙腺が決壊し、涙の川を流す天戸さんをゾクゾクした表情で御影さんが眺めている。

 嗜虐心が強すぎである。泣かせたままで絵まで描き始めるのだから、鬼の所業と言っても良い。


「と、ともかく。ダメなんてことはないし、何度か練習すれば話せるようになるから安心して」

「ぐすっ……でも……1人でブースの中怖い」

「配信場所変えようかー!」


 こんな立派でお金をかけた配信環境を捨てるのはもったいないけれど、天戸さんが怖がっているのでは仕方がない。


 Vtuberになれば日常的に配信するんだ。やはり自室のような、リラックスできる環境が良いだろう。

 でももったいないよなぁ。どこかで使えるといいんだけど。


 僕が未練がましい視線をミキサーに向けていると、ニコニコと楽し気な様子で御影さんがとんでもない意見を口にする。


「古今東西、先人が教え導くというのであれば、

"やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ"

 茶道であれ、華道であれ、配信の道とて同じこと。

 ――お手本を見せることから始めるべきではありませんか?」


 御影さんの言葉に、涙を振り払い大きな白銀の瞳で僕を見つめてくる天戸さん。

 さっきまで落ち込んで泣いていたとは思えないほど、期待に満ちたキラキラ光る瞳を向けられ、僕は小さく呻く。

 ……え? 僕がやるの? 配信練習?


「期待しておりますよ、宝譲ツバメさん?」


 白くしなやかな手で御影さんは上品に口元を隠す。

 清水のように澄んだ表情の裏側で、心の底から楽しいと笑う口元が透けて見えるようであった。

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