第2章 大和撫子は楚々とした立ち振る舞いで乳房の大きさを問いかける

第1回 大和撫子は女の子が大好きな変態であった


 ――その女性ひとは大和撫子であった。


「お初にお目にかかります。百合園御影ゆりぞのみかげと申します」


 楚々とした立ち振る舞いに、たおやかな所作。

 京のみやこを歩くかのような華やかな桜の意匠が施された着物姿は、西欧風の客室があたかも大正日本かのような錯覚を覚えさせるほどに絵になっている。


 艷やかな黒髪に花細工のかんざしは良く映え、長く美しい睫毛まつげの下には黒曜のように透き通った瞳が、薄く笑みを描いていた。


 小柄で、線の細い和風美人。唯一気になる点を上げるとすれば、左手の小指と薬指だけを覆う無骨な手袋だ。けれど、そこから広がる手は白魚のような白さと美しさであり、無骨な手袋が一層彼女の美しさを引き立てる装飾品かのようであった。


 異性のみならず、同性すらも瞳に映したら最後、目を離せなくなる美神は、頬に緩やかな弧を描くと、たおやめのように澄んだ声でこのように口にした。


「お会いして早々不躾なお願い申し訳ございませんが――乳房の大きさを伺っても宜しいでしょうか?」

「……ち、ぶさ?」

「宜しいわけがないよね?」


 ――中身は女の子大好きなド変態であったが。

 困惑する瑠璃の座るソファーの後ろで、あたかも付き人のように立つ燕は頭を抱えて大きなため息を吐き出した。


 腕は良いんだよなぁ、腕だけは……変態なだけで。


 外見は大和撫子。中身は女の子が大好きな変態。

 面白そうだからという研究者の思い付きで相反する生物を組み合わせて出来上がってしまった合成生物キメラのような女性と、なぜ相対することになってしまったのか。

 燕はズキズキと痛む頭で、彼女を呼び出さなければならなくなった原因を思い返していた。


 ■■


 それは、僕が変態みかげと再会する一週間前。

 6月も半ばが近付き、夏の暑さを肌で感じ始めた頃だった。

 島の気候が原因なのかはわからないけれど、日本特有の湿気の多い蒸し暑さとは違い、カラッとしたリゾート地のような空気。……島にメルヘンチックな白亜城がある時点で、リゾート地となんら変わらないのかもしれないけれど。


 島全体は涼やかな海風が吹き、気の早いセミが城壁に張り付いて夏の訪れを告げている。

 そんな島内とは裏腹に、西欧風の城には似つかわしくない空調機器が快適な環境に保ってくれる応接間で、僕はいくらするかも想像のつかないアンティーク調の椅子を傷付けやしないかドキドキしながら座っていた。

 対面にちょこんと座り白いドレスを身に纏う、雪の妖精のような天戸さんに僕は言う。


「絵師さんにキャラクターイラスト作成の依頼を出します」


 彼女と心の距離が近付き、同時に遠のいた日から数日。3歩進んで2歩下がったのか。はたまた逆か。

 心の距離感は未だに掴めていないけれど、対面して会話が許されるようにはなっていた。

 まだまだ怯えの見える天戸さんだが、僕の話に耳を傾けてくれている。俯き加減で小柄な体をより小さく縮こませながらも、上目遣いで僕を見て反応を伺っていた。

 野に咲く花のような愛らしさに顔を綻ばせながら、僕は極めて優しく彼女に問い掛けた。


「どんなキャラクターがいいか、イメージはある?」

「…………っ」

「うんそうだよね! いきなり言われても分からないよね! 大丈夫。僕も理解してるから! だから、瞳潤ませないで……っ。怒ってないから!」


 それはもう、繊細な氷細工に触れるかのような慎重さであったが、それでもなお声をかけただけで涙をこんもり浮かべる少女に僕は緊張を強いられていた。

 なにより、お目付け役なのだろうか。扉の横での女神像のように微動だにせず立ち続けるクレオールさんに、僕は気が気ではなかった。

 従者としては正しい行いなのかもしれないけれど、一般家庭で育った庶民な僕にはどうにも慣れない状況だ。


「く、クレオールさんはなにか意見ありますか?」


 耐えかねた僕が意見を求めると、彼女はいつものようにニッコリと人当りの良い笑顔を浮かべて断りを入れてきた。


「いいえ。私のことはお気になさらず。空気のように思っていただければ宜しいかと」

「えぇ……でも、壁際で立たれてるのも気になるんですけど」

「お気になさらず」


 語調こそ優し気だけれど、これ以上の追及を許さない断固とした意思を感じ、僕は口を閉じるしかない。

 目の前には涙で瞳を潤ませる雪の妖精。視界の端には物言わぬ女神像。

 やりづらいなぁ。居心地の悪さを感じながらも、僕はけぷこんけぷこん咳払いをし、重たい空気を入れ替えつつ本題を再開する。


「えーと。じゃあ好きなイラストレーターさんとかいる? 好きなイラストとかでも全然いいんだけど」

「……えっと…………にゃにゃこさん」

NyaNyaCoにゃにゃこお母様かぁ」


 好きなVに僕の名前を上げるぐらいなのだから予想すべきであったのだけれど、意識の外にあった名前に唇がもにょる。

 薄幸王子様系Vtuber宝譲ツバメ《ほうじょう》の生みの母であるイラストレーターのNyaNyaCoにゃにゃこお母様。

 彼女を好きと言ってくれるのは僕としても嬉しいけれど、今はどうにも話題にし辛い相手だ。

 ある意味でVtuberとして最も身近でお世話になっていた人で、尊敬もしている女性なのだが、未だに直接引退のことを話せていないのだ。

 城の通信回線を使えるようになってからメッセージで謝罪をし、お許しは頂いているが……なんとも気まずい。

 天戸さんがどうしてもと言うのであれば、私情を抜きにして橋渡しをする心構えはあるけれど、率先して頼みたい相手――というか状況ではなかった。…………お腹痛くなってきた。


「お母様は女性キャラも描けたはずだけど、メインは男性キャラだったはずだし。スケジュールも……難しそうだよな」


 そんな心情故か、僕の口から出てきたのは反対はしないけれど、否定的な意見ばかりであった。

 言っていることは間違ってはいないので、嘘ではない。……嘘ではないが、男性キャラ中心に描くというだけで女性キャラも十二分に上手だし、実際のスケジュールはNyaNyaCoにゃにゃこお母様本人しか知り得ないことで、真偽判定はグレー。

 居たたまれない僕は、額の冷や汗を拭いながら話題を変える。


「他にいる?」

「ううん……思いつかない」

「そっかー」


 天戸さんの答えに僕の心理的負荷が強くなる。

 このままではNyaNyaCoにゃにゃこお母様コース一直線である。

 僕は慌てたようにスマホを取り出すと、にへらにへらと愛想笑いを浮かべて、他に誰かいないか、内心必死で候補を探す。


「そしたら、とりあえず知り合いから当たって――」

「燕様」

「にゃはいっ!?」


 焦っていたのと、NyaNyaCoにゃにゃこお母様の話題のせいだろう。

 不意を突かれた僕は、なんとも恥ずかしい猫の鳴き声のような悲鳴を上げてしまい、羞恥心で悶えそうになる。

 驚きで張り裂けそうな心臓音が体内で響く中、顔を上げれば物音一つ立てずにクレオールがティーテーブルの横に立っていた。


「きゅ、急に声をかけないでくれませんか!? し、心臓が止まる……」

「失礼致しました。空気に徹していようと思っていたのですが、大切なことをお伝えし忘れておりましたので、恐れながらお声掛けさせていただきました」

「い、いやそこまでかしこまる必要はないんですけど……」


 深々と頭を下げられると、僕のほうが悪い気持ちにさせられる。

 僕は深呼吸を繰り返し、どうにか平静を取り戻す。


「それで、大切なことってなんですか?」

「お探しのイラストレーター様なのですが、男性の方は候補から外していただくようお願い申し上げます」

「え……なんで?」


 今度は心臓が止まるほどの衝撃ではなかったが、それでも僕は驚いた。

 女性のイラストレーターのみに絞る理由がわからなかったからだ。


「そう言われても、男性イラストレーターさんも結構多いんですけど」

「加えて申し上げますと、イラストレーター様のみならず、今件に関わる関係者全員、女性のみにしてください」

「難易度めちゃくちゃ上がったんですけど!?」


 その難しさインフェルノ級。

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