配信裏その1

福鉛燕が辞めた後のVtuber事務所ミーティアの話


「――どうして、燕との契約を打ち切ったんですか!?」


 燕が引きこもり女神に出てきてもらおうと悪戦苦闘していた頃。

 Vtuber事務所ミーティアの社長椅子に座るあくたに詰め寄る女性の姿があった。

 燕と元同期であり、登録者数10万人を超えた人気上昇中の女性Vtuber海姫うみひめレンカ。その魂である乙夢恋歌おとゆめれんかだ。

 温厚そうな雰囲気の女性だが、現在芥に向けるアクアマリンの瞳は鋭く、怒りに満ち満ちている。

 普段から適当な芥であるが、恋歌の並々ならぬ怒りに恐れをなしてか、視線を彼女と合わせようとはしない。しどろもどろ、怒れる乙女を鎮めようと試みている。


「うん、その、ね? 辞めさせたっていうか、自分から辞めたっていうか……ね?」

「……言っておきますけど、後で燕に確認取るので、嘘言ってもわかりますからね?」


 冷え冷えとした恋歌の指摘に、責任逃れをしようとした芥の動きがピタリと止まる。

 あー、うー、と無意味に声を上げ、芥は手を宙で彷徨わせる。

 だが、結局良い言い訳は思い付かなかったのか、勢いで誤魔化せというように、語気強く恋歌にまくし立てる。


「確かに! 契約は打ち切ったけど、しょうがないじゃない!? 彼、売れてなかったし、儲けが出ないなら契約を続けていくわけにはいかなかったんだよ!? 君なら分かってくれるよね、レンカ君?」

「下の名前で呼ばないでください」

「……はい」


 氷柱のように鋭く刺々しい返答に、芥の燃え上がった反撃の炎は一瞬にして鎮火する。

 対して、事情を聞いた恋歌は、信じられないと芥への苛立ちを露わにし、彼に詰め寄る。


「それにしても……売れてないから? そんなことを理由に辞めさせたんですか?」

「そんなことって」


 恋歌の言い分に、芥は「これだから素人は」と肩を竦める。

 その態度は明らかに恋歌を小馬鹿にしていて、上から目線の物言いに恋歌の瞳は更に細く、鋭くなる。


「企業にとってはなによりも大事なことだとも。世の中マネーよマネー? 若い君には分からないかもしれないけどね、お金がなきゃ夢なんて見れないのさ」


 現実は非情だと空々しく語る芥。

 彼の、自身が優越感に浸るだけのご高説を聞いていた恋歌は、社長デスクに両手を付くと、大きく息を吐き出した。それはとても長く、体の内側に溜まった重たい感情を全て吐き出すかのように長い長いため息であった。


「はぁああっ……」ボソリと恋歌が芥に聞こえないように呟く。「本当に、なにもわかってない……」

「レンっ……乙夢おとゆめ君?」


 恋歌の態度を不審に思った芥が、俯いて顔に影の差す彼女に声をかける。

 そして恐る恐る、恋歌の表情を確認しようと下から覗き込もうとした瞬間、勢い良く顔が上がったことに驚き、椅子ごとひっくり返りそうになる。

 顔を上げた恋歌の表情は、太陽に向かって咲く満開の花のように晴れ晴れとした笑顔であった。


「――今日を持って、Vtuber海姫レンカはVtuber事務所ミーティアを脱退します。どうもお世話になりました」

「へ……?」間抜けな声を漏らした芥は一瞬石のように固まるも、事務所から出て行こうとする恋歌を追いかけようと慌てて椅子から立ち上がる。「いや、いやいやいや!? そんなっ!? 急に困るよレンカ君っ!?」

「下の名前で呼ぶなって、何度も同じことを言わせないでください」


 暖かな笑顔で冷たい言葉を吐くという空恐ろしい恋歌。けれど、そんなことも気にしていられないと、社長椅子を倒すほどの勢いで立ち上がった芥は大慌てだ。


「燕君と違って君みたいな売れっ子がいなくなるのは、俺にとって大損害なんだけど!? なに、ツバメ君を辞めさせたのがそんなに気に入らないの!? それはよくない、よくないよ! アイドル要素もあるVtuberが、大学からの同期とはいえ、1人の男に執着するのは!」

「……俺にとって、ですか。本当に自分の利益しか見えてないんですね」


 もう、恋歌には狼狽する芥の姿は視界に映っていないのか、軽く頭を下げると、颯爽と身を翻し、足早に事務所の出口に向かう。

 そして、扉の取っ手に触れた時、彼女は動きを止めた。

 静止したのを良い方向に受け取ったのか、安堵したように芥は息を付く。


「レンカ君……考え直してくれたかい?」

「下の名前で呼ばないでください。穢れるので。それと、1つご忠告を」


 けれど、当然恋歌に辞めるのを撤回するつもりはさらさらなかった。

 最後の最後。忘れ物に気付いただけだ――忠告と嫌味という名の捨て台詞を。


「これから先、燕を辞めさせたことによる不幸が次々貴方を襲うでしょう。燕にどれだけ助けられていたのか、身を持って知ることになります。……まぁ、自分の都合のいいことしか見えていない貴方には、なぜそうなったのか、その理由も分からないでしょうけれど」


 では、失礼いたします。

 言うことは言ったと。恋歌は真砂まさごの一粒ほどの未練も見せず、それはもうあっさりとオフィスを出て行き、Vtuber事務所ミーティアを脱退した。

 未練がましく伸ばされていた芥の手が、力尽きたように垂れ落ちる。

 社長デスクに手を付いた芥は体を微かに震わせ、絶望したように落ち込む様子を見せていたが、3秒立つと何事もなかったかのようにケロリとして笑う。


「…………ま、しょうがないな!」


 芥はポジティブであった。商売をしていればこういうこともあると、呆気なく切り替えた。

 それもこれも、自身の商才に絶対に信頼を置いているからに他ならない。

 例え、事務所のTOPVtuberがいなくなったとしても、自分がいれば立て直せるという根拠のない自信が彼を支えていたのだ。


「いくら人気だからって言っても、一方的な都合で辞める商品タレントなんて扱い辛いことこの上ない。リスクを考えたら、今このタイミングで向こうから勝手に辞めてくれたのは、むしろプラスだね! 2期生の新人君たちは好調だし、やっぱ若い子たちがいいよねー、うんうん! 素直で!」


 己の行動は間違っていないと、何度も芥は頷いた。


 後日。Vtuber海姫レンカとの契約が正式に打ち切られ、ミーティアを脱退することとなった。

 ――これが芥の人生における破滅の序章だということを今の彼は理解していない。

 行きつけのガールズバーで呑気にスケベ心丸出しの赤ら顔で、ようよう人生成功の秘訣を語っているのである。


「人を見抜く力! 成功するにはそれがなによりも大事なの! お金よりも熱意! 夢に挑まない者にチャンスはぁ……来ないっ!!」と。

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