第366話 焦る現東京都知事

「そ、それは、民事党の公認が得られないという事でしょうか?」


 民事党の支持母体は、日本有数の宗教法人。

 そこの支持が得られなければ、都知事選に勝つ事は難しい。

 藁にも縋る思いでそう尋ねると、仁海は笑いながら言う。


『はははっ、想像力豊かだな。誰もそんな事は言っていない。私が応援に回れないだけで、それとこれとは話が別だ。まあ、例え党の公認が得られずとも、現職都知事は選挙に強い。我々の公認などいらんだろ。君もそのつもりで解散に踏み切ろうと考えていたのではないのか?』


 仁海の言葉に、池谷は歯を食い縛る。


 そんな訳がない。誰が好き好んで解散などするものか。

 謂わばこれは『民意を問う』という便利な言葉を枕詞にした解散……。組織票を以って当選し贖罪とする禊。

 勝つ事が決められた出来レース。

 だからこそ、解散も選択肢として視野に入れることができた。だが、それは仁海の助力あっての事。

 仁海の助力が当てにできないとなると、かなり話が変わってくる。

 しかし、仁海の中では既に結論が出ているのだろう。

 そうでなくては、『我々の公認などいらんだろ』という言葉は出てこない。


 東京都の歳入の四分の一にあたる二兆円。その配分を公益財団法人に任せた結果、その資金がテロに使われてしまったのだ。表立って池谷の支援をすることはできないというのは当然。

 事実、今回の一件は、自衛隊が出動する騒ぎとなっており、未だ混乱は終息の兆しが見えない。大量発生した害虫や害獣は駆除しなければならないし、壊された物や被害に遭った人の補償もこれからだ。

 もうこの都知事では戦えない。そう思われてもおかしくはない。


「で、ですが……」

『――まあまあ、勝てばいいんだよ。君が勝てば……。これは試練だ。私の孫を退け、都知事の座を死守すれば君の勝ち。我々との関係もこれまで通りだ。例え、都知事選に敗れたとしても、孫が都知事になった暁には、君を副都知事として雇う事を約束しよう』

「し、しかし……!」


 民事党の支持母体が向こう側に付けば、負けは必然。

 それほどまでに組織票というのは強い力を持っている。

 それに、都知事選ばかりにかまけてはいられない。


『ああ、わかった。わかった。色々な問題を抱えながら都知事選を戦い抜くのはフェアではない。だから一つだけ君に協力しよう。高橋翔と言ったかな? 彼の持つ氷樹……。この権利の譲り受けを君に変わって、この私がやってやろうじゃないか』


 仁海から出た『氷樹』の言葉。

 何故、それを知っていると池谷は目を見開く。


『ふふふっ……』


 池谷の緊張が電話越しに伝わったのか、仁海は『驚く事ではない』と嘲笑う。


『……友田君だよ。彼が私に泣きついてきたんだ。私には無理です。助けて下さいってな。あまりにも可哀想だから協力してあげる事にしたよ。しかし、君も悪い女だね。私にこの事を黙っているなんて』

「黙っているなんてそんな……」


 仁海に知られれば、介入されるのだから黙るのは必然。

 だからこそ、仁海に氷樹の存在を隠していた。

 唐突に訪れた友田の裏切り。一番知られたくない相手への情報漏洩。それを受け池谷は思考を巡らせる。


 友田にはああ言ったが、高橋翔はピンハネと同類。似た様な力を持っている。

 今までその力を測る事ができず難儀していたが、今回、ピンハネが引き起こしたテロにより、その力の底が知れた。


 自衛隊が拘束し、警察がピンハネを逮捕した。その情報からピンハネの持つ力は常人以上自衛隊未満であるという事かわかった。


 とはいえ、高橋翔が常人以上の力を持つ事実は変わらない。常人では対処不能。

 しかし、司法や警察上層部と強い繋がりのある仁海ならあるいは……。

 政界の化け物に、化け物をぶつける。

 仁海が強権を発動し、高橋翔を逮捕。

 社会的に……もしくは情報を聞き出した上、現実的に抹殺してくれれば万々歳。できる事なら仁海と共に対消滅してくれるとありがたい。

 そして、その開いた隙間にこの私が入り込む。氷樹を仕入先が分かれば、勝算はある。

 例え、仁海といえど、高橋翔を無傷で倒す事は不可能だ。そんな事ができるなら、私はこんな状況に追い込まれていない。

 最良は、高橋翔が仁海の糞爺を殺害し、逮捕。高橋翔に死刑を求刑するよう世論を形成し、氷樹の情報を吐き出させた上、無期懲役で妥結。

 結論は決まった。後はその流れに従い動くのみ。


「――勿論、折を見てお話しする予定でした。先生のお力添えがあれば百人力ですわ」

『ほぅ……。それは私が力を貸す意味を分かっていると理解していいのだな?』


 諄い事を言う糞爺である。


「ええ、勿論……」


 業突く張りの糞爺が力を貸す時は大抵、金の匂いを嗅ぎつけた時。


『まあ、氷樹に目を付けたのは君が先だ。しかし、その対処はこちらで行う。半々で手を打とうじゃないか』


 理不尽。あまりにも理不尽だ。


「半々ですか……。それはちょっと……」

『何だね。理不尽とでも言うつもりか? これは正当な対価だよ。何せ、この私が直々に動くのだからね。本来であれば、八割強貰いたい所だ。しかし、私は君に配慮して、半々で手を打とうとした。それのどこに文句がある?』


 このご老人の自己評価は際限なく高い。

 信じられないかも知れないが、これを本気で言っている。

 だからこそ、氷樹の存在を知られたくなかった。

 しかし、今、仁海に機嫌を損なわれるのは拙い。

 もし万が一、機嫌を損ねれば、負けた際の保障すらなくなってしまう。

 そもそも、東京都知事で無くなれば、氷樹の件もご破綻となってしまう。


「……わかりました。半々でよろしくお願い致します」


 渋々……。渋々ではあるが認めざるを得ない。

 どの道、私一人で高橋翔から氷樹を取り上げるのは難しいと思っていた所。

 得られる利益は半分となるが、化け物のヘイトを買う事なく利益が得られるならばそれで十分。私の推薦する企業をねじ込むことができればそれでいい。


『そうか、そうか! 理解が早くて助かるよ。それではまた』


 その返事を最後に通話が切れる。


 何で、何で私ばかり……。


 ピンハネが逮捕され、ようやく解放された思えば窮地に追いやられる。

 まさに負の連鎖。負の連鎖反応。

 私が何をしたというのだろうか。

 私はこんなにも東京都の為に尽くしているというのに……。

 私を応援してくれた方々の為に頑張っているだけなのに、何で……。


 池谷はスマートフォンを強く握り締める。


 後は氷樹を手に入れるだけという段階になって現れた高橋翔と仁海の古狸。

 邪魔……。圧倒的に邪魔。

 こいつらの存在自体が邪魔だ。邪魔過ぎる。


 邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。邪魔。


「……死ね。死ねよ。死んでよ。お願いだから」


 私の邪魔をする奴は、みんなみんな死ねばいい。

 池谷はスマートフォンを投げ捨てペンを取る。そして、テーブルに向かうと、一心不乱に殴り書く。


 都知事選が始まる前に皆、死ね。

 高橋翔の持つ氷樹。仁海の持つ地盤と権力。すべてを私に差し出した上で死ね。凄惨に死ね。私の前に立ち塞がるな。消え失せろ。


 死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。私の邪魔をする者は皆、死ね。死んでしまえ。


「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね……」

「失礼します。池谷都知事、今日の会談についてですが……。ひっ!?」


 呪詛の言葉を吐きながら、その言葉をテーブルに刻み込む池谷の姿を見た特別秘書は短い悲鳴を漏らす。しかし、池谷は気付かない。

 様々な要因が重なりストレスが天元突破している池谷にとって、この行動は心の防衛反応。

 だが、その事を知らない特別秘書は、恐ろしいものでも見たかの様な表情を浮かべ立ち尽くす。


「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 皆、死んでしまぇぇぇぇ!」


 池谷によるその凶行は、刻み付ける場所が無くなるまで行われた。

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