第364話 はっ……?

「はっ……?」


 人間牧場があった筈の更地。

 それがまっさらな更地になっているのを見て、ピンハネはもう一度、目を瞑る。


「…………」


 おかしいな。場所を間違えたか?

 何で、私の人間牧場が更地になっている?

 借金奴隷共を連れて来た時はまだ更地ではなかった。

 そもそも何で更地になっているんだ。ここは私の人間牧場。

 ミズガルズ聖国には、家畜業としか伝えていない。

 カモフラージュ代わりとして、本物の家畜も飼っていたし、内部に入り込み詳しく調べなければ分からない筈だ。


 ピンハネは一縷の望みを賭け、もう一度だけ目を開く。

 しかし、目の前の光景は変わらない。

 そこには、まっさらな更地が広がるだけ。

 ピンハネは膝をつくと、呆然とした表情を浮かべる。


「な、何で……」


 何故、私の人間牧場が更地になっている。

 人間牧場で飼っていた家畜共はどこに行った。

 まさか、逃げたのか? 逃げたのか!?

 家畜の分際で人間様に逆らいやがって……!

 それとも、家畜共が脱走し、聖国に人間牧場の事を話したのか?

 もし、そうだとしたら絶対に許さない。


 誰に向ければいいのか分からない怒りの炎が、ピンハネの心を焼いていく。


「誰だ……誰が私の牧場を勝手に……勝手に……!」


 勝手に更地にしたァァァァ!

 何の権利があって……! 何で、何で、何でェェェェ!


 その場に座り込み嘆いていると、背後から声が聞こえてくる。


「あ、いたいた。ここにいたんですか。探しましたよ」


 振り向くと、そこには、まるで人間らしい格好をした家畜が立っていた。

 表情は笑顔に溢れ、ピンハネとは対照的。


「家畜13号……」

「嫌だなぁ。家畜13号だなんて、そんな呼び方やめて下さいよ。僕には、スタインっていう名前があるんですから」


 スタイン? 何を馬鹿な……。それは、家畜の代表格であるホルスタインを捩り、私がふざけて付けた呼び名だろ。

 しかし、そんな事はどうでもいい。


 ピンハネはスタインに詰め寄ると、状況説明を求める。


「……スタイン。質問に答えろ。何故、私の牧場が更地になっている。他の家畜共はどこに行った」


 そう尋ねると、スタインは近くに建てられた小屋を見ながら言う。


「ああ、そうでした。そうでした。まあ話せば長くなると言いますか……。僕もピンハネさんに伝えなきゃいけないことがあるんですよ。質問に答えますので、ちょっと座れる場所に行きませんか?」

「……いいだろう。詳しく話を聞かせてもらおうじゃないか」


 今のピンハネは怒り心頭。色々な事が立て続けに起こり冷静さを欠いている。

 だから気付かない。数日前までは、あんな小屋が無かった事に……。


「こちらです。飲み物を持ってきますので、座ってお待ちください」

「ああ……」


 小屋の中に入りスタインに促されるまま席に座る。


「色々あってお疲れでしょう。疲れを癒す効能のあるハーブティーです。さて、どこから話しましょうかね……」


 口の中を湿らす程度にハーブティーを軽く口に含むと、ピンハネは手に持つティーカップをテーブルに叩き付ける。


「どこからでもいい! 情報の取捨選択は私が行う。余計な事を考えるな。お前はあった事を一から話していけばい……」


 そこまで話すと、急に眩暈に襲われる。


「こ、これは、一体……」


 あまりの怒りに血管が切れてしまったのだろうか?

 テーブルの上に伏せる様にして脱力した体。


「スタイン。手を貸せ、私を横に……」


 動けない訳ではないが、あまりにもしんどい。

 手を借りる為、スタインに手を伸ばすと、スタインは満面の笑みを浮かべ手を払う。


「流石……。即効性のある薬は違いますな。どうです? ピンハネさん。動けないでしょう?」

「な……。どういう事だ……」


 まさか、盛ったのか?

 この私に怪しげな薬を盛ったのか??


「私が何を……」

「私が何を?」


 ピンハネの言葉に、先程まで笑顔だったスタインが、顔を真っ赤にしながら激昂する。


「――私が何をじゃないだろっ! いつまで主人気取りでいるつもりだ貴様ァァァァ! 僕はもうお前の奴隷じゃないんだよ! 偉そうな事を言うなァァァァ!」

「なっ……! どういう事だ……」


 この男には返しきれない程の借金を背負わせた筈だ。逆らう事ができぬ様、契約書で縛りも入れた。にも関わらず、何故、逆らう様な事ができる!?


 すると、ピンハネの思考を読んだスタインが怒りながら言う。


「――返せるはずが無いとでも思っていただろ! 残念だったな! あんたの留守中に訪れた人が僕達の借金をぜーんぶ肩代わりしてくれたんだよ! 特別なアイテムで契約書も破棄して貰った! あんたの人間牧場を国に告発する事を条件になっ!」

「な、なんだって!?」


 ふ、ふざけやがって!


「誰だ。誰がそんな事を……。うっ!?」


 気力を振りしぶり声を上げると、その瞬間、頭をテーブルに押し付けられる。


「――いつまで上位者のつもりだ。終わったんだよ。あんたが僕等の上にいた時代は! いい加減、自分が今、置かれた立ち位置を自覚しろ!」


 ぐっ、おのれェェェェ!


 今まで見下していた相手にそう言われるのが一番腹が立つ。

 何が自覚しろだ! ただ借金を肩代わりして貰っただけ。主人が変わっただけで、結局、何も変わっていないじゃないか!


「うぐぐぐぐっ……! 調子に乗るなよ。お前、一人などすぐにでも無力化できる。その事をわかっているんだろうなァァァァ」


 幸いな事にアイテムストレージには一枠の空きがある。

 このクズを収納し、解毒薬を飲めば形勢逆転。その後、拷問するなりして情報を聞き出せばいい。


 スタインをアイテムストレージ内に格納すべく手を伸ばすと、突然、小屋の扉が開き数名の衛兵が入ってくる。


「そこまでだ。無駄な抵抗は止め大人しくしなさい」

「ぐっ、貴様ァァァァ!」


 小屋の中に入ってきた衛兵を見て、ピンハネはスタインを睨み付ける。

 小屋に入ってきた衛兵に視線を向けると、スタインは安堵のため息を吐いた。


「ふ、ははっ……。残念だったね。聖国には既に告発済みさ! 人間牧場が更地になっている事からそれくらい察しろよ。バーカ!」


 そうか、貴様がっ……!!


「……殺す。お前だけは絶対にぶっ殺す!」


 小屋の中に衛兵が入ってきたという事は、最初から私を捕えるつもりだったという事に他ならない。

 事情聴取もなく牧場を更地にされたんだ。

 既に証拠も抑えられているのだろう。


 衛兵は、ピンハネに見せ付ける様にして紙を拡げると、声高らかにそれを読み上げる。


「罪人、ピンハネ・ポバティー。貴様を人身売買及び奴隷の不法所持、殺害、傷害の罪により投獄する」


 ぐっ……勝手な事を……!

 修道士との間に生まれた赤子や背教者の処理。

 聖国がひた隠しにする闇。その処分を担ってきたのが、この私だ。

 自分達の汚い部分は棚に上げ、責任全てをこの私に押し付ける気か!?

 冗談じゃない。冗談じゃない!!


「……私を投獄していいのか? 何なら全てを白日の下にしてもいいんだぞ? でも、それだと君達の上司も困るんじゃないかな?」


 投獄された所で、外と連絡を取る手段などいくらでもある。


 いつもであれば通じる脅し文句。

 しかし、証拠を抑えられた今と昔とでは置かれた状況があまりに違う。

 ピンハネがそう告げた瞬間、小屋の中の空気が重くなる。

 衛兵達は鍔に手を掛けると、互いに顔を見合わせ、ピンハネに視線を向けた。


「……ならば残念。あなたには消えて貰う他、ありません」


 衛兵の一人が抜剣すると、もう一人がピンハネを抑え込む。


「あ、がっ! 貴様、何のつもりだ!」

「首を両断します。安心して下さい。痛いのは最初だけです。大人しくして下さい」

「な、何だとっ! ふ、ふざけるなぁぁぁぁ!」


 何で、そんな話になる!?

 違うだろ、そこは上司に確認を取り、一旦、話を持ち帰る所だろう。この愚か者がァァァァ!


 迫り来る刃。

 心の中で絶叫を上げると、ピンハネは抑え付けている衛兵をアイテムストレージに収納し、迫り来る刃の前で解放する。


「ぎ、ぎゃああああっ!?」

「な、何っ!?」


 味方を袈裟斬りにした衛兵は動揺し、手に持っていた剣を取りこぼす。

 その隙を抜い、もう一人の衛兵をアイテムストレージに格納すると、解毒薬を取り出し、気力で飲み切った。


「う、うわぁああああっ! 誰か、誰か助けて! 衛兵さァァァァん!」


 小屋から逃げ出すスタインに視線を向け、ピンハネは冷や汗を拭う。


 あ、危なかった。

 今まで感じた事のない命の危機。

 相当強い薬だったのだろう。解毒薬を飲んで尚、体の怠さが抜けない。


「衛兵さん! ピンハネが! ピンハネが衛兵二人を……!」


 小屋の外から聞こえるスタインの声。

 おそらく、外に衛兵が待機しているのだろう。

 今になって高橋翔の言葉を理解する。

『好きな方を選べ』とはこの事を言っていたのだと……。


 自衛の為とはいえ、衛兵を倒したという事実は間違いなく悪い方向に作用する。

 今、衛兵に捕まれば、私はまず間違いなく死罪となるだろう。

 おそらく、高橋翔はこうなる事を予期していた。生か死か。つまり、奴は私に選択を迫っているのだ。


「こっちの世界で裁かれ物理的に死ぬか、むこうの世界で社会的に死ぬか……か……」


 なんて酷い選択肢だろうか。

 あちらの世界に転移すれば、その瞬間、自衛隊員に取り押さえられる。

 あれほどの事をしたのだ。

 死にはしないだろう。しかし、タダで済むとも思えない。

 良くて長い有期刑。悪ければ、無期刑といった所……。

 しかし、それでも生き残る選択肢がある以上、遥かにマシだ。

 ここにいれば、まず間違いなく死が訪れる。


「衛兵さん! 早く、あいつを……! ピンハネを捕まえて下さい!」


 不快なスタインの声と、小屋に向かってくる衛兵の足音。

 選択の時間は残されていない。


「くそっ……。こんな事になると分かっていれば……」


 こんな事になると分かっていれば、最初から神の言う事に耳を傾けなかった。

 輝かしい未来を幻視し、高橋翔を侮った結果がこれか。

 しかも、奴隷に裏切られ衛兵に売られる始末……。不本意な結果ではあるが時間もない。


「……今回は潔く負けを認めようじゃないか」


 しかし、私はまだ終わらない。地獄の底からでも這い上がってみせる。


「……転移。新橋」


 自嘲気味にそう呟くと、ピンハネは、自衛隊が闊歩する新橋へと転移した。

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