第360話 恨まれまくる高橋翔

 この規模の災害であれば、自衛隊が動くのは確実。ならば、東京都知事であるこの私が自衛隊に派遣要請をしたという体裁を整えるのが最適解……。

 自衛隊に派遣要請をしなければ、ピンハネの怒りを買う事はない。自衛隊が勝手に動いたと分かれば、怒りは自衛隊に向かう筈だ。

 しかし、自衛隊が先に動くという事は、私が東京都民の信頼を失うという事に他ならない。

 ゆっくり立ち上がると、池谷は決意の表情を浮かべる。


「全部……全部、あなた達が悪いんですからね」


 自衛隊は日本最大の戦力。

 例え、ピンハネが異なる世界の強大な力を持っていようと、個人が集団に勝てる筈がない。

 彼女の情報を自衛隊に渡し、テロリストとして処分して貰う。

 私に残された手段はそれしかない。

 しかし、どうやってその事を伝えるか。それが問題だ。

 今、私の首には隷属の首輪が嵌っている。

 ピンハネの不利になる様な行動はできない。

 どうすれば、この呪いの様な首輪を外し、自衛隊の派遣要請をする事ができる……!


 池谷はその方策を必死になって考える。

 自衛隊の派遣要請をして尚、ピンハネに恨まれない方法は……!


「そ、そうだわ……! あの方法を使えば……!」


 こういう不測の事態を補う為に副知事を任命しているのだ。

 池谷はスマホを手に取ると、副知事に急ぎ連絡を取る。


「私よ。私はこれから過度の疲労で静養します。後の事は副知事であるあなたに任せます」

『え、ち、ちょっと、療養って、どういう……』


 伝えるべき事は伝えた。

 戸惑う副知事の電話を途中で切ると、池谷は次に入院手続きの為、秘書に連絡を入れる。


「私よ。入院手続きをして頂戴。ええ、昨年と同じく一週間の入院でいいわ。特別個室を用意してよね。副知事に代行する様、指示しておいたから、マスコミ対応も任せるわ」


 そう必要な情報を伝えると、電話を切る。


 これでいい。

 これなら自衛隊に派遣要請しても私の療養中、副知事が勝手にやった事と責任転嫁する事も出来るし、都民の信頼を失う事もない。

 この非常時に療養するなんてと、マスコミは非難するかも知れないが、今の私にできる最善は間違いなくこれだ。


 私が動こうが、動くまいが自衛隊は確実に出動する。結果は変わらない。だからこそ隷属の首輪が締まる事も、動きを強制される事もない。

 自衛隊は優秀だ。

 ピンハネの情報を流さなくても、きっと、彼女を実行犯として捕らえてくれる。

 東京で未曾有の大災害を引き起こしたピンハネを都民が許す筈がない。

 私はただ特別個室で事態が収束するのを傍観しているだけでいい。


「ふふふ……。あははははっ……!」


 事態解決を見出した池谷は高笑いすると、入院の準備をする為、一度、家に戻る事にした。


 ◆◆◆


『速報です。先ほど東京都は自衛隊に対して、災害による派遣要請を行いました』


 ピンハネの起こした未曾有の大災害。

 誰もいなくなった家電量販店で流れるニュースを見て、呟く様に言う。


「愚かだよね。この国の報道は……」


 敵である私にその情報を与えてどうする。

 それを報道するという事は、テロリスト相手に「これから自衛隊が向かいますので注意して下さい」と警告しているのと同義。

 していい報道とするべきではない報道の区別も付かないようだ。

 いや、もしかしたらこの報道をする事が東京都にとって不利に働くと分かった上で報道しているのかも知れない。

 この国のマスコミは民衆にマスゴミと呼ばれるほど腐り切っている。

 現都知事である池谷をその地位から蹴落としたい者がいるのかも知れない。

 まあ、私としてはどうでもいい。


「対策してくれと言うなら対策させて貰おうじゃないか。スカジ……。この場所、新橋三丁目に足を踏み入れるすべての人間を影の世界に送り、生捕りにしろ」


 影の上位精霊といえど、力を発揮できる範囲は限られる。

 なので、トラップを仕掛けさせて貰おう。

 何、生捕りにした人間は隷属の首輪を付け、奴隷として私のいた世界に連れ帰る。

 自衛隊は日本の最高戦力。きっと良い値段で売れると思うんだよね。

 頑丈そうだし、売る以外の用途もありそうだ。

 ピンハネの故郷であるミズガルズ聖国では、労働契約を結ぶ事を禁止している。無報酬で働く事を美徳としている為だ。

 その一方で、奴隷の売買は盛んに行われている。

 ミズガルズ聖国で働く修道士の殆どが奴隷という歪な国。

 奴隷に人権は無い。奴隷は、一度、購入すれば、死ぬまで働かせる事のできる便利な物。

 自分の所有物と労働契約を結ぶ者など存在しない。

 修道士の説教や、布教活動により集めたお布施を原資に奴隷が買われ、仕事に従事させられる。権力の中枢に座する教皇や枢機卿を富ませる宗教国家。それがミズガルズ聖国の実態。

 この世界と元の世界を行き来できる私に取って、ミズガルズ聖国は理想の得意先。そして、この国は理想の狩場。

 モンスターリスポーンの効果により害虫やネズミが大量発生している今、自衛隊が害虫・害獣駆除の為、行うであろう事はある程度予想が付く。

 防疫支援隊による乳剤と殺虫剤の散布。及び、ベイト剤と毒餌、粘着板を始めとしたトラップの設置がいい所だろう。

 おそらく武器は所持していない。

 飛んで火に入る夏の虫だ。

 予定とは少し違うが、高橋翔を捕獲する為の予行演習と思えば丁度良い。


「ついでに、捕らえた奴隷が人質として有効かどうかも確認させて貰おうかな。大した手間でもないしね」


 日本人というのは不思議な生き物だ。

 他人を助ける為に自分の命を危険に晒しても助けようとする馬鹿が一定数存在する。

 高橋翔がその類であれば、無闇に戦う必要性も無くなる。


 四体のエレメンタルがやられた今、私の理想を手に入れる為には、高橋翔の奴隷化は必須。

 情報を掴んでいるだけで、この世界には、私と高橋翔、そして、吉岡美琴以外に三人、私が元いた世界の人間が存在する。

 吉岡美琴については別にいい。

 私の邪魔をする訳でも、害がある訳でもない。まだ子供だし、邪魔になれば、いつでも簡単に消す事ができる。

 祖父母を除く家族全員に逮捕歴がある者の社会的抹殺は容易だ。

 問題は所在の分からない三人と高橋翔の存在……

 あっちの世界から来た者は神の恩寵を受けている。

 そいつ等を排除する為には、どうしてもエレメンタルの力が必要だ。


 ――バラバラバラバラバラバラバラバラ(ヘリコプターの音)


「……早いな。もう来たのか」


 空気を切り裂くヘリコプターの音が窓の外から聞こえてくる。

 あれからまだ一時間も経っていない。

 自衛隊が緊急事態と判断し、要請を待たず部隊を派遣したのか。

 飛んで火にいる夏の虫だな。

 新橋三丁目上空を通ると同時にヘリコプターが自らの影に飲まれる形で消失する。


 まずは、一機。新橋三丁目上空でヘリコプターがロストした事は、GPSにより自衛隊にも伝わった筈だ。

 となれば、次、自衛隊が行う事は自ずと予想できる。

 荒事は奴隷に任せ、私はただ待っているだけでいい。

 蟻地獄に足を踏み入れた虫が落ちてくるのを待つだけ……それですべてが終わる。


「私のエレメンタルを屠ってくれた礼は必ずするからね。高橋翔君……」


 そう呟くと、ピンハネはゆっくり立ち上がり、家電量販店の奥へと足を踏み入れた。


 ◆◆◆


 ピンハネのモンスターリスポーンの余波を受け、ゴキブリアタックを決められた俺こと高橋翔は窓の外を見て唖然とした表情を浮かべる。


「なん……だと……」


 窓に群がる無数のゴキブリ。

 窓ガラスから見えるゴキブリの腹部が生理的嫌悪感を倍増させる。

 どうやら影の精霊・シャドーによるゴキブリ捕獲作戦は失敗に終わったらしい。


 やはり感情的行動するのは駄目だな。猛省だ。この段に至って俺はまだピンハネの事を舐め散らかしていたらしい。

 奴は人の住む場所でモンスターリスポーンを使う異常者。ゴキブリを始めとした虫や害獣を生活圏に大量発生させたテロリストだ。

 人間を相手にしているのではなく宇宙人を相手にしていると仮定して行動しよう。


 メニューバーに表示されているエレメンタル一覧。

 ピンハネの下に向かわせた影の精霊・シャドーの文字が灰色になっていない事から、シャドーはピンハネの手の内にあると見るのが自然だ。

 もし、ピンハネがエレメンタルをアイテムストレージに格納すれば、メニューバーに表示されているシャドーの名前は灰色となり、倒されれば赤色となる。


 しかし、妙だな……。

 ピンハネのエレメンタルはすべて片付けた。

 シャドーの名前が灰色になっていない事からアイテムストレージ内に格納している様には見えない。

 と、なると考えられる事は……。


 ――ガンッ!


 特別個室の窓ガラスに物が当たる音。

 ゴキブリ塗れの窓ガラスから外の様子を伺うと、そこには……。


「――出てこいモブ・フェンリル! ここにいるんだろ!?」


 そう声を荒げる痩せ細った男の姿がそこにあった。

 馬鹿な奴だ。ここをどこだと思っている。新橋大学附属病院の特別個室だぞ?

 こんな居心地のいい場所から出て行く訳ないだろ。

 ついでに言えば、外にはゴキブリが大量発生している。

 名前を呼ばれたからといって、外に出なければならない理由がない。

 しかし、奇特な男だな。

 何故、無数のゴキブリが飛び、這い回る場所に仁王立ちでいられる。

 それにあの風貌……どこかで見たような……。

 どこだったかな。思い出せん。


 必死になって思い出そうと努力していると、男は窓の側に立つ俺に対して射殺す様な視線を向けながら絶叫する。


「お前が……お前がモブフェンリル……高橋翔かァァァァ!」


 特別個室のある階層は十階だというのに、中々、良い目をしている。

 加えて、物を特別個室の窓に当てる投球テクニックも脱帽だ。

 身バレ記念に特別個室から手を振ってやると、男は更に激昂する。


「今すぐ出て来い! 貴様の……貴様のせいで俺の人生は滅茶苦茶だっ! もし……もし出て来ないならこの病院がどうなるか分かっているんだろうなァ!」


 いや、分からん。何を言っているのかサッパリだ。

 断わる為、両腕を交差しバッテンマークを作ると、男の表情が真顔になる。


「そうか……お前はそういう奴だったな……! ジェイドォォォォ! あの男を……高橋翔をここに引き吊り出せェェェェ!」


 激昂しながらそう言うと、男の前に闇の精霊・ジェイドが姿を現した。

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