第316話 因果応報⑤

「はい。もしもし……」


 そう言って、電話に出ると電話口の向こうからハリー・レッテルの声が聞こえてくる。


『どうもご無沙汰しております。松永雄一郎様の番号ですね? 私はハリー・レッテル。覚えておいでですか?』


 当たり前だ。むしろ……


「溝渕エンターテインメントの件で、何度、連絡したと思っている!」


 怒りを込めてそう言うと、ハリーは電話の向こう側でため息を漏らす。


『――こちらはこちらで忙しかったんですよ……そんな事より、あのまま、彼を……高橋翔をのさばらせておいて、よろしいのですか?』

「――良い訳がないだろ! そもそも話が違うじゃないか!」


 当初の予定では、溝渕エンターテイメントを皮切りに、失踪した前理事長、長谷川の性加害問題の責任を取らせ辞任に追い込む筈だった。

 なのに……なのにっ……!


「前理事長の長谷川は失踪したんじゃなかったのか! 被害者達も自称被害者として民事と刑事の両方で弁護団に訴えられている。これじゃあ、あいつを……! 高橋翔の奴を引き摺り下ろす事ができない! レアメタル連合との取っ掛かりはアース・ブリッジ協会以外にないんだぞ!? 既に協力してくれた企業は数百億円単位の損害が出ている。信頼も失った! 間もなく私も訴えられる。キャリアも輝かしい未来も、全部……全部お終いだ……!」


 松永は幽鬼の様な表情を浮かべ壁を叩く。


「何とかしろよ。あんたが……あんたが私に話を持ち掛けてきたのがすべての始まりだろう! 取れよ……責任取って何とかしろよ!」


 そんな松永の言葉に、ハリーは薄笑いを浮かべながら答える。


『――責任? 何故、私が責任を取らなくてはならないのです?』

「何っ!?」

『いや、ですから何故、私が責任を取らねばならないのかを聞いているのですよ。確かに、話を持ち掛けたのは私かも知れません。ですが、それに乗ったのは他でもないあなた自身でしょう? 必ず成功するだなんて無責任な事を言った覚えはありませんよ?』


 確かに、必ず成功するとは言っていない。

 だが……


「だ、だが、あんたは……」


 それに類する事を言っていただろう!

 松永が反論しようとすると、それに被せる様にハリーは言葉を重ねる。


『松永さん……今、あなたが置かれた状況を分かっていますか?』

「なにっ!? わかっているに決まっているだろ!」


 天下り先も失い、汚職を理由に職を失い、損害賠償請求される可能性がある。

 あんたの話に乗ったお陰で、私はお終いだ。


 声を荒げそう言うと、ハリーはやれやれと首を振る。


『……いいえ、分かっていません。今、どの様な状況に置かれているか理解していれば、無駄な事をしている場合ではないと気付くからです。もう一度、お聞きします。今、あなたが置かれた状況を分かっていますか?』


 そんな事、お前に言われたくない。そもそも、お前の計画が失敗に終わったからこうなっているんだろうがっ!


「なら……なら、どうしたらいい! 私はどうすればいいんだっ! 勝手な鉱業権授与を理由に資源エネルギー庁の長官には切り捨てられ、レアメタル連合を追い出された三社からは巨額の賠償訴訟を提起される。もう駄目だ……私はお終いだ……どうしようもないじゃないか!」


 片手で頭を掻き毟ると、ハリーが意味深に呟く。


『……あなた、悔しくないんですか?』

「――はっ?」


 悔しくないんですか?

 何がだ?? 何を言っているんだこいつは??


 意味が分からずそう呟くと、ハリーは真剣な口調で話を続ける。


『――想定していた結果とは違えど、あなたは国を護る為に行動を起こしました。にも拘らず、現状、あなたに待ち受けているのは荒廃した未来だけ……あなたの言う通りもう再起も望めない』

「だったら、なんだ……!」


 そんな事はお前に言われなくても分かっているんだよ。

 何が言いたい!


『勘違いしないで下さい。あなたの敵は私ではありません。高橋翔です。あなた自身が言っていましたよね? 「勝手な鉱業権授与を理由に資源エネルギー庁の長官には切り捨てられ、レアメタル連合を追い出された三社からは巨額の賠償訴訟を提起される」と……そうなる事がそこまで分かっていて、何故、何もせず破滅するのをジッと眺めて待っているのです? 破滅を嘆いてどうするのですか? どの道、破滅するなら高橋翔を道連れにしてやろうと、何故、そう思わないのです? あなたが社会的に破滅する一方で、高橋翔には悠々自適な未来が待っている。あなたはこれを許せるんですか?』


 許せる筈が……許せる筈がないだろ!

 高橋翔が抗わず、私の思う通りに動いていればこんな事にはならなかった。

 レアメタル連合だって、数百億円の取引を失う事は無かったし、私に数百億円の損害賠償を請求される事も無かった。

 この功績を以て私は次長から長官となり、退任後は天下る事で悠々自適な老後生活を送る予定だった。

 そのすべてをぶち壊したのが高橋翔だ。

 あいつが……あいつがいなければ私は……私がこんな惨めな思いをする事も無かった。

 何故、私がこんな目に遭わなくてはならないんだ。すべてはレアメタルを安売りし、他国から目を付けられる様な真似をしたあいつが悪いんじゃないかっ!

 なのにあいつは悠々自適な未来を掴み、私はすべてを失うことになる?

 ふざけるな……ふざけるんじゃない。

 許せるか、そんな事……許せる訳がないだろ……!


 頭の中が憎悪の念で埋まっていく。


『……もしあなたがやる気なら私もそれを手伝います。精神障害があると認められれば、損害賠償請求を退ける事もできるでしょうしね?』


 幸いな事にピンハネ様の御力は司法にも根付いている。医者を操り精神障害があると認定させる事も可能だ。万が一、実刑を喰らう事になっても、こちらには優秀な弁護士を付ける用意も、資源エネルギー庁の長官ポストより魅力的な年俸を提示する用意もある。


 そう伝えると、松永は渇いた笑いを浮かべる。


「――ふ、ふふっ」


 確かに、私だけが破滅するのは納得がいかない。このままでは、どの道破滅なのだ。

 こんなに不幸な私を差し置いて幸せな未来を勝ち取ろうとしている高橋翔を見過ごす事はできない。


「……何をすればいい?」


 そう呟くと、ハリーは電話の向こう側で笑みを浮かべる。


『高橋翔は生活の大半を新橋大学附属病院の特別個室で過ごしています。一時間後、私がそこまで行けるよう手配致しますので、後は、あなたの思うがままに振る舞って下さい』

「わかった……」


 そう呟くと、松永はナイフを取りに台所へ向かった。


 ◆◇◆


「……馬鹿な男」


 人は精神的に追いつめられると視野が狭くなる。お陰で、計画通りに物事を進める事ができそうだ。

 高橋翔……公益財団法人アース・ブリッジ協会の現理事長にして、レアメタル連合なる組織を率いる人間。何故、第三者委員会の補助者として溝渕エンターテインメントの会見に出ていたのかは謎だが、少なくとも、BAコンサルティングの代表取締役、小沢誠一郎と繋がりがあるのは間違いない。

 こいつがいなくなれば一石二鳥。

 BAコンサルティングが主体となって推し進めている弁護士団体による訴訟を抑え、こちらの手の者を送り込む事でレアメタル連合を乗っ取る事ができる。


 ハリーはスマホをポケットに入れると、ピンハネから一時的に借り受けた闇の精霊・ジェイドに視線を向け、隠密マントを被ったまま松永雄一郎の下へと歩いていく。

 すると、大通りに差し掛かった辺りから人の視線を感じる様になった。


 おかしい。隠密マントを着用しているにも関わらず、道行く人達が私に視線を向けている様な……。


 一度足を止めて隠密マントの袖から手を出してみる。


 気のせいか?

 隠密マントは問題なくその効力を発揮している。近くの人間に視線を向けると気味悪いものでも見るかの様な目を浮かべ、視線を逸らされた様な気がしたのだが……やはり気のせいか?


「うっ……!?」


 考え事をしていると、すれ違いざま肩を思い切りぶつけられた。

 人間共はこちらに視線を向けると、何事もなかったかの様にその場から離れて行く。


 うん。やはり、隠密マントは有効に働いている様だ。今の出来事で人間共に私の姿が見えていない事を強く認識した。

 普通、続け様にぶつかれば、文句の一つも言ってくる。それがないという事は、私の姿を視認できていないという事に他ならない。

 どうやら考え過ぎていた様だ。

 よく考えて見れば、ピンハネ様からお借りした闇の精霊・ジェイドが何の反応も示さない事からそれは明らか。

 何故なら、この闇の精霊・ジェイドはピンハネ様が私の護衛代わりに付けて下さった精霊なのだから……。

 ピンハネ様の精霊は気分屋の様でここ数週間姿を現さなかったが、肝心な時にはちゃんと側にいてくれる。

 無用な心配だった様だ。


 心配は無くなった。

 これで何の気兼ねもなく、高橋翔の最後を見届ける事ができそうだ。

 溝渕エンターテイメントが選任した第三者委員会……今、思い返しても腑が煮え繰り返る。

 あれのお陰で、ピンハネ様が描き、私達が実行した計画は破綻した。

 溝渕エンターテイメントから金を引っ張る事はできなくなったが、まだすべての計画が水疱に帰した訳ではない。


「ふふふっ、松永さんも準備万端の様ですね……」


 視線を上げるとそこには、両手に包丁と鉈を持つ松永の姿があった。

 姿を見られたら即アウト。

 どうやら、松永は相当追い詰められている様だ。


「誰だっ!?」


 警戒心が強い。

 ハリーは、松永を宥める様な声色で話しかける。


「今日は、松永さん。ハリーです。先ほど振りですね。その恰好のまま外に出るのは危険ですよ。近くまで行きますので、まずはその手に持った凶器を鞄にでもしまって下さい」


 隠密マントのフードを脱ぎそう言うと、松永はギョロリとした顔を向けてくる。


 うん? 何だ……何かがおかしい。


 松永が自分に向けてくる視線を見て、ハリーは足を止める。


「まさかこんな所で会うとは……これも神のお導きか?」

「松永さん? 一体何を……そんな事より凶器をしまって……」

「ああ、そうだな……」


 松永の言葉と共に、腹部に鋭い痛みが走る。


「がっ!? な、何を……するのです!?」


 何が起こったのか分からず、松永に視線を向けると、そこには……。


「会いたかったよ。高橋翔……!」


 そう声を荒げる松永の姿があった。

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