第312話 因果応報①
「――お……おいおいおいおい。話が違うじゃないか……!」
ハリーや市民団体の要請を受け、溝渕エンターテインメントの適当なデマ……つまりは、事実か疑わしい飛ばし記事をバンバン流していた記者は会見中継を見て慌てた様子を見せる。
企業が不祥事を起こすと、事務所側が認識していない元社員や、関係者と名乗る人物がネット記事内に続々と登場し「社長が不正を隠ぺいする様、部下に命令をしていた」「この話は社内ではタブーだった」といった証言が出てきて、それがSNSで拡散され大炎上する。
企業が不祥事を起こし、マスコミがそれを叩く、いつものパターンだ。
そんな騒動に乗じて、実際にその企業で働いている社員からすれば、「流石にそれはあり得ないだろう」「本当に取材をしているのだろうか?」と首を傾げる様な内容の飛ばし記事を流すのがこの記者の仕事だ。
注目度の高い記事は書いたもん勝ち。
もし間違っていたとしても、後からしれっと謝罪して削除すればいい。ネガティブな記事ほど拡散力は高く訂正や謝罪記事の拡散力は低い為、間違った記事を書いたとしても記者のダメージは少ない。
不祥事を起こした企業や、不倫をした芸能人、汚職政治家など、社会全体で叩ける悪人は、悪人らしい情報があった方が、叩き甲斐や民衆の勧善懲悪欲求が満たせる。
事実、そうした記事を載せる方が部数も、ワイドショーの視聴率も上がる。
飛ばし記事の存在は、不祥事を起こした企業や個人、その家族にとって理不尽極まりない報道被害かも知れないが、それ以外の大多数にとってはエンタメなのだ。
デマを流した所で、不祥事を起こした企業が反論してくる事はほぼない。
そんな事をすれば、「お前が言うな」と民衆の怒りを買い、不祥事を起こした企業がメディア批判をしたという新たな燃料を投下する事になり、より苛烈に炎上する。
中には、デマには毅然とした姿勢で抗議すべきと主張する危機管理の専門家もいるが、大多数の専門家は、「報道に反論する事でバッシングを長引かせる」「マスコミが言論封殺だと騒ぎ、取材攻勢を強める」と、事態の更なる悪化を恐れ泣き寝入りを勧める。
当たり前だ。疑惑を煽るマスコミ側が、被害回復してくれる訳ない。一面を使って「あの記事は間違いでした」と釈明してくれる訳でもない。精々、記事の片隅の目立たない所に、間違いだった旨を小さく記載するのが関の山。
ちょっと間違っていたからといって訂正や謝罪する様な正確では、正義のジャーナリストは務まらない。むしろ、間違いを指摘され、発言を修正する様な事があれば、それこそ一大事だ。
報道の信頼性が揺らぐし、信念が揺らぐ。
最近、どこぞの企業の謝罪会見で、一部、記者が「あの記者は企業が送り込んだサクラなのでは?」と、超直感を発動させた結果、企業側が記者会見を行う会見場にメディアの人間ではないサクラを仕込んだと騒ぎになった事がある。
勿論これは、記者の単なる強い思い込みで、不祥事を起こした企業が記者の振りをした人間を仕込んでいた訳ではなかった訳だが、記者達はそれを「不祥事を起こした企業が、記者の振りをした人間を会場に仕込むだなんて、まったく反省していない。会見をやり直せ!」などと、半ば事実の様に主張した。
誤りであると判明した後も、これを主張した記者達は特に訂正も釈明もしていない。
記者とは、そういう人達の集まりなのだ。
多少事実と違った事を言ったとして、それがどうした。そういった細かな揚げ足取りをするのは、都合の悪い事を書かれたくない卑劣官が自分の事を黙らせる為にやっていると、本気でそう思っている。
――だが、これは……これは流石に拙いのではないだろうか……?
テレビに映る第三者委員会の会見。
そこで溝渕エンターテインメントが設置した第三者委員会の委員長、小沢がタレントで今回、性加害問題の発端となった矢崎絵里に対して、名誉棄損と不法行為に基づく損害賠償請求を行うと発言したのだ。
「……い、今の内に、形だけの謝罪文だけでも掲載し、名誉棄損に当たりそうな記事を削除しておくか?」
正直、民事の名誉毀損は怖くない。
多くても数十万そこらの慰謝料を支払い、(被害者以外なんの関心もないだろうが)一定期間、謝罪文を掲載すればそれで終わり。
問題は刑事告訴された場合と、不法行為に対する損害賠償請求をされた場合だ。
溝渕エンターテインメントの性加害問題に乗じて飛ばし記事を公開し続けてきた記者は頭を抱える。
まさか、こんな事になるとは思いもしなかった。
企業に対して誹謗中傷を行なった事で、売上に損害が生じた際には、損害金を含んだ額が慰謝料として請求される。
そして、溝渕エンターテイメントの損害は数百億円……数百億円ともなれば、弁護士を雇うにしても、多額の金が掛かる。
自分、一人に対して、損害賠償請求してくることはないと思うが……まさか、告発した側の矢崎絵里が性加害を行っていたなんて誰も思わないだろ。
なんだか裏切られた気分だ。もし、PV数が望めず、矢崎絵里の発言が嘘だと分かっていれば、あんな記事は書かなかった。それこそ、溝渕慶太氏の名誉を傷付ける様な事は絶対に……。
すると、会見を行っている第三者委員会の委員長、小沢がマイク片手に口を開く。
『――また、虚偽の情報を拡散し、故・溝渕慶太氏の名誉を貶め、溝渕エンターテインメントに多大な影響を与えたフリージャーナリストを含むマスコミ各社にも不法行為に基づく損害賠償請求及び刑事告訴を行います』
その瞬間、頭がサーッと真っ白になる。
思わず、手に持っていたグラスを落とすと、唖然とした表情を浮かべた。
「う、嘘だろ……」
芸能事務所とは思えぬ決断に、記者は思わず息を飲む。
会見場にいる記者達も顔を見合わせ不安気な表情を浮かべている。
そんな中、一人の記者が恐る恐る手を挙げた。
『――す、すいません。今、フリージャーナリストを含むマスコミにも不法行為に基づく損害賠償請求及び刑事告訴をすると聞こえた様な気がしたのですが……』
間違いなく言っていた。
しかし、これは誰かが確認しなくてはならない内容だ。
記者に返答しようとする小沢を手で止めると、溝渕エンターテインメントの社長、溝渕一心は淡々と告げる。
『はい。その通りです。既にその為の準備を弁護団と進めております。準備が出来次第、順次、内容証明を送付させて頂く予定です』
『で、ですが、それは言論封圧に繋がるのでは……企業イメージもある事ですし、もっと穏便に……』
記者の指摘に、溝渕一心は苦笑する。
『心配頂かなくてもあなた方のお陰で、既に企業イメージは最悪ですよ。また穏便にとの事ですが、弊社は既に甚大な被害を被っています。間違った事をしたら謝罪する。損害を与えたら賠償する。それをせず、穏便に何て言葉で被害を有耶無耶にする様な人がいるから裁判所に提起して、法の審判を受けて貰おうとしているのです。当然の事でしょう? ましてや、虚偽告発で賠償金を請求し、故人と企業イメージを損なわせるなんて以ての外。信義則に反します』
『――ちょっと、失礼……』
発言を煽り過ぎと判断したのか溝渕一心を諫め、途中から第三者委員会の委員長である小沢が言葉を引き継ぐ。
『……勿論、本件に限らず、こうした事例の中には、加害者が亡くなるまで声を上げる事のできなかった被害者も存在するかも知れません。その場合、時効を迎えていたとしても現行法に則った補償金の支払いを行う事もあるかも知れない。しかし、どの場合においても、何のエビデンスも示さず、噓かどうかも分からない事象に対して、被害者がやったと言っている。だから、それを認め罪を償えというのは通用致しません。法的にも証言が証拠として認められるのは一定の手続きを踏んだ場合に限ります』
『し、しかし、お宅のタレントが売春を斡旋していたのは事実の様ですし、第三者委員会もあなたが設置したものでしょう? 何の根拠もなく報道している訳では……』
どうにかして責任を回避したいのだろう。
記者の言葉を聞き、小沢はため息を吐く。
『確かに、溝渕エンターテインメントのタレントが売春を斡旋していた事は事実ですし、第三者委員会を設置したのも事実です。しかし、本件と、嘘偽りをさも事実であるかの様に報道する事では話が違います。問題を起こした企業が相手であれば、何を言ってもいい訳ではありません。発言には当然、責任が伴うものです。表現の自由を盾に正当化していいものではありません』
『ううっ……!?』
記者は嗚咽を漏らすと、意気消沈して顔を下に向ける。
時を同じく記者会見を流し見しながら、不都合な記事を削除する為、行動に移していた記者も声を上げる。
「――おいおいおいおい……どういう事だよ!」
ニュースサイトに寄稿した記事の削除要請する為、パソコンを立ち上げようとするも、肝心のパソコンが起動しない。
「ま、まさか、壊れたのか? こんな時にっ!?」
すぐに謝罪文を掲載し、記事を削除しなければ拙い。
「――ふざけんなよっ!!」
とはいえ、パソコンが壊れてしまったのであれば仕方がない。
スマホから寄稿記事の削除要請と、自ら立ち上げたニュースサイトに投稿し、取り上げられた記事を削除する為、アクセスしようとすると、今度は、画面に『ID、パスワードが違います』と表示される。
「……はっ? はああああああっ??」
意味が分からない。昨日までログインできていたのに何で……。
これでは記事を削除する事も、謝罪文を掲載する事もできない。
「どうすりゃあいいんだよ! ちくしょう!」
寄稿記事の削除要請をする為には、サイトにログインしなければならない。
かといって、電話で直接、記事削除を連絡しようにも……。
「――何で、スマホの連絡先が消えてるんだぁぁぁぁ!!」
おかしいだろぉぉぉぉ!?
サイトにログインしたくてもID、パスワードが分からないからログインできない。
電話で直接連絡しようにも、連絡先がすべて消去されてしまっている。
「ふざけるなぁぁぁぁ!!」
これじゃあ、記事の削除も謝罪文の掲載もできやしない。
――ピンポーン
スマホをソファーに投げ付けると、タイミング良くチャイムが鳴る。
「……はーい」
苛立ちが収まらぬまま、玄関を開けるとそこには内容証明郵便を持った配達員が立っていた。
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