第303話 さて、時は満ちた……

「――しかし、まったく、わらわら、カサカサと……どっから湧いてくるんだお前等は……」


 珈琲を啜りながら窓の外を見ると、そこには活動家という名の市民団体お馴染みのプラカードを掲げた団体がスタンディングデモという名の抗議活動を行なっているのが見える。


 スタンディングデモとは、隣国で盛んに行われている示威行為の一つ。

 表現の自由は最大限尊重されるべきだとは思うが、一方のあやふやな主張を真に受け、スタンディングデモを行うのは、表現の自由を盾にした誹謗中傷に他ならない。

 そもそも、表現の自由とは、国家等の強力な権力に縛られることなく、自身の政治的なメッセージや思想を発言、発信出来る権利。


 つまり、今、ビルの下でプラカード片手に、自称被害者の肩を持ち誤った情報をバラまく行為は、デモの名を借りた名誉棄損。行動力があるのは良い事だが、あり過ぎるというのは問題だ。

 今、公益財団法人アース・ブリッジ協会が入っているビルの前で、スタンディングデモを行っている情弱で思い込みが激しく認知バイアスを拗らせている団体の方々は、どうやら主張と犯罪行為と区別が付いていないらしい。言葉が理解できるのに、先入観に囚われ認知が歪み正しい判断ができないなんて可哀想な限りだ。

 なので、自分達が如何に愚かな事をしているのか理解させる為、警察に被害届を出させて貰おう。


 名誉棄損は親告罪。警察等の捜査機関に対して、被害者からの処罰を求める意思表示をしなければ刑事裁判を提起できない罪。基本的に、名誉毀損された本人が「相手を罰してください」と警察や検察に求めない限り、警察や検察が加害者を処罰する事はない。


 公益財団法人アース・ブリッジ協会は、人通りの多い道の一角にある。

 多くの人が、これを見て、俺に対し悪いイメージを持つだろう。

 名誉棄損は、公然と人の社会的評価を下げるような事実を摘示する事によって成立する。

 お前等のスタンディングデモの様子は、ちゃんとビデオカメラに収め、どれだけの人に対し、確定していない嘘の情報を流したか見届けた上で、弁護士を通し、被害届を提出してやるよ。同時に民事でも訴える。警察が動くとは限らないからな。


「しかし、本当に害悪だな……」


 恐らく、ここに集まった連中は、非通知で電話を掛けてきて着信拒否した塵屑共の集まり。

 認知の歪みとは、思考を狂わせるバイアス。ほんの一部だけを判断材料に相手の性質や特徴を決めつけてしまう。

 折角、非通知は着信拒否で除外してやったというのに、愚かな連中だ。認知が歪むと人間性まで歪むから恐ろしい。


 そんな事を思いながら、珈琲を一啜りすると、俺は空になったカップをデスクに置く。


「……さて、時は満ちた」


 群がる蠅は叩き潰したし、外に群がる害虫は近日中に駆除予定。

 プレスリリースを出して、まだ数日しか経っていないが、そろそろ頃合いだろう。


「一ヶ月後、会見を開くぞ」


 窓の外を見ながらそう言うと、会田さんが唖然とした表情を浮かべる。


「ええっ、一ヶ月後、会見を開くんですかっ!?」

「ああ、公益財団法人の理事長として当然の事だろう? そこですべてを明らかにする。ちょっと、頭に来たからどうせならすべてをぶち壊してやろうと思ってな……」


 この一ヶ月で事態は大きく動く。何せ、俺がそう動くからな……エレメンタルの調査のお陰で分かった事もある。

 チラリとテレビに視線を向けると、溝渕エンターテインメントの謝罪会見中継の様子が目に映る。


「……アース・ブリッジ協会(自称)性加害問題被害者の会と、リライフ・アース・ブリッジ協会の元理事長による性加害を明らかにする会にも、案内状を送っておいてくれ」


 エレメンタルの活躍により分かった事もある(まあ、村井関係の事は殆ど掴めなかったが)。散々、誹謗中傷してくれたんだ。楽しみだよ。自称被害者共と顔合わせをするのが……。


「レアメタル連合に所属する企業に対してはどう致しますか?」

「レアメタル連合? ああ、とりあえず、すべての企業に案内状を送付しておいてくれ。当日、参加できない企業の為にリアルタイムで動画配信も行おう」


 何社か、俺に対して前理事長の性加害問題について説明するよう求めていたからな。

 プレスリリースで納得できない企業はもう切ったけど……。総務省への説明もこれで十分だろ。


 突然の思い付きに、会田さんは少し困った表情を浮かべる。

 しかし、そこは会田さん。すぐにすべてを諦めたかの様な表情を浮かべ頷いた。

 流石は会田さん。俺の性格をよく分かっている。


「……わかりました。すぐ手配致します」

「いつもありがとう。それじゃあ、会田さん。後の事は頼んだよ」

「えっ!? ちょっと待って下さい! どこに行く気ですか!」


 うん? そんな事は決まっている。


「――ちょっと、暗躍しに……」


 そう言うと、俺は、理事長室を後にすると隠密マントを被り、協会前でスタンディングデモを行う活動家達の前を悠然と通り過ぎた。


 ◇◆◇


 ここは、地上三十二階にある高層ビルの会議室。

 そこでは、資源エネルギー庁の次長、松永雄一郎を取り囲む様に立ち上がり、怒声を上げる三人の社長の姿があった。


「話が違うじゃないかっ!?」

「どうしてくれるっ! 君の言う通りにしたらこのザマだ! 高橋翔をレアメタル連合から追い出す所か、私達が追い出されては、何の為に、君の案に乗ったのか分からないじゃないか!」

「そうだ。そもそも、私達は乗り気ではなかった。鉱業権の更新を盾に脅迫するからこんな事になったんじゃないか! どう責任を取るつもりだ!」


 松永を取り囲んでいるのは、奥野金属工業株式会社の代表取締役社長、奥野又三郎。株式会社西田メタルの代表取締役社長、西田奥行。そして、門倉金属株式会社の代表取締役社長、門倉栄大の三人。


 怒り狂う三人を前に、松永は額に汗を浮かべる。


「――お、落ち着いて下さい。(確かに、こんなにあっさり手を切られるとは思いませんでしたが)問題ありません。これも作戦の内です」


 実際問題、作戦の内でも何でもない。完全な目測誤り。

 確かに、僅かながらに取引を打ち切られる可能性も考えていたが、まさか、数百億円に上る取引をこんな簡単に打ち切ってくるとは思いもしなかった。


 私はただレアメタル連合の代表から高橋翔を追い出し、資源エネルギー庁の管理下に置きたいだけなのに、何という事を……!


 内心そんな事を思いながら、歯噛みしていると、怒りの治まらない三人が訝しげな視線を向けてくる。


「……ほう。数百億円もの取引を打ち切られるのが、作戦の内ですか。流石は、資源エネルギー庁さんは言う事が違いますなぁ」

「作戦の内と言うなら、当然、補償して下さるんですよね?」

「我々が失ったのは数百億円分のレアメタルに非ず、年間数百億円の取引だ。本来であれば、これが数年……いや数十年続く筈だった。もはや鉱業権、十年分の補償では足りない損害ですよ」

「うっ! そ、それは……ですが、皆さんも私の作戦に賛成したではありませんか。交渉事に多少のリスクは付きものです。それにまだ作戦は進行中、失敗に終わった訳ではありません」


 最終的に、レアメタル連合から高橋翔を追い出し、資源エネルギー庁の管理下に置ければ勝ちなのだ。悲観するのはまだ早い。

 とはいえ、このままではこのお三方の気持ちが収まらないのも事実。


「……ご安心を、レアメタル連合を管理下に置き次第、御社方との取引はすぐにでも再開させます。鉱業権については、私の方から手を回しておきましょう」


 この件には、長官も絡んでいる。今更、手を止める訳にはいかない。


 そう告げると、一定の譲歩を引き出した事で少し満足したのか、三人は顔を顰めたまま席に座る。


「まあ、確かに……鉱業権を盾に取られていたとはいえ、資源エネルギー庁さんの話に乗ったのは私達ですからな」

「そうですな。補償の話は一度、置いておきましょう。資源エネルギー庁さんがレアメタル連合を国の管理下に置こうとしているんだ。冷静になって考えて見れば、失敗する筈がない」

「鉱業権を保障して下さるというのであれば、まあいいでしょう。レアメタル連合を管理下に置き次第、取引を再開して下さるという事ですし、本来であれば一筆、頂きたい所ではありますが、無理は言いますまい」


 三人の怒りが収まった多少事に多少安堵し、胸を撫で下ろすと、松永は一呼吸置いて口を開く。


「……ビジネスと人権という国際潮流は今や世界の常識。御社方を含むレアメタル連合に加盟する企業の中には、国連のグローバル・コンパクトに賛同し、署名している企業が多く存在します。前理事長個人の問題だとしても『企業は、国際的に宣言されている人権の保護を支持、尊重し、自らが人権侵害に加担しないよう確保すべきである』という原則を『普遍的な価値』として受け入れ表明している企業が、性加害の事実を頑なに認めぬ代表の運営するレアメタル連合と取引を続ける場合、合理的な説明を行わない限り、株主やステークホルダーの理解を得る事は難しいでしょう」


 実際、ビジネスと人権という規範では、企業が直接、人権侵害の当事者になる事の他、人権侵害を行った当事者から原料を仕入れるなど、間接的に人権侵害を助長、援助、支援してはならない事を要求している。

 現に、某有名衣料品小売企業が人権侵害が疑われる新疆ウイグル地区で産出された原料を使って加工された商品をアメリカに輸入しようとして米政府に差し止められた事件では、人権侵害に企業が『間接的にも関与していない事』を証明できるかどうかが問題となった。


「そう考えると、今の状況は決して悪いものではありません。むしろその逆……私達は、納得のいく説明がない場合、レアメタル連合からの脱退も有り得ると発表し、依然として改善が見られなかった為、止む無く連合から脱退した。そう言った世論を創り出す事で、レアメタル連合代表である高橋翔氏の辞任を引き出す事ができるかも知れません」


 今回の件は、溝渕エンターテインメントの性加害問題を発端として、民衆に幅広く認知されている。一ヶ月後、アース・ブリッジ協会で釈明会見が行われる様だが、前理事長である長谷川氏が失踪している今、現状、協会が発表している以上の内容が会見で出てくるとは思えない。


 ならば、我々がやる事は一つだけ。


「マスコミを使い高橋翔氏の責任追及を強めましょう。幸いな事に、世論は私達に味方してくれます。私達は、責任追及の手を止めず邁進すればいい。資源エネルギー庁としても、前理事長である長谷川氏の責任追及に消極的な高橋翔氏に対して、総務省と連携し、補助金や助成金の停止を絡めて追及していこうと思います」


 そう言うと、松永は薄い笑みを浮かべた。

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