第237話 チャンスのようでまったくチャンスではないチャンス
留置場では、コンビニの『のり弁』をより貧相にした食事が一日三食出てくる。
「さーて、今日の晩飯は何かなー」
武藤正義に対し、警察に出頭するよう促した俺は留置場生活もこれで終わりと、呑気な気分でのり弁を待っていると、血相を変えた留置場の担当官が俺のいる牢屋の前にやってくる。
「出なさい」
「――はっ? なんで? 晩飯がまだなんだけど?」
ここで配膳される弁当は基本的に無料。
なので食べてから出たいとそう言うも、留置場の担当官が勝手に牢屋の鍵を開け始める。
「……いいから、これから釈放手続きをします」
やけに強引だな……まさか、正義の奴、もう警察に出頭したのだろうか?
折角、留置場で食べる最後の晩飯を楽しみにしていたのに水を差された気分だ。
「釈放って事は警察は誤認逮捕を認める訳ですかね? あーあ、無理やり調書にサインさせられた時、捻った手首が痛いなぁ……」
わざとらしく手を添えてそう言うと、留置場の担当官は真っ青な顔で頭を下げた。
「――も、申し訳ございませんでした」
綺麗な姿勢の謝罪。
まあ、でもこの人は別に悪くないし……。
「まあ、頭を上げてください。悪いのは俺の取調べを行った武藤とかいう警察官ですから……いや、しかし、あの取調べは酷かったなぁ……『いい大人にもなって、謝罪の一つもできないのか』とか『今の状況は自分の非を認めないからこうなってるんだ』とか、本当の犯人を捕まえてくださいと言えば『犯人なら目の前にいるけど』とか、挙げればキリがないけどそんな事、言われたっけ……」
今、思い返してみると懐かしい。
あ、『刺した記憶がないの? 二重人格?』とか、そんな事も言われたっけ……本当に懐かしいな。まあ、ここにはたった二日しかいなかったけど。
「……それで、俺の事を散々、犯人扱いし留置場にぶち込んでくれた武藤とかいう警察官からの謝罪はないんですかね? 大人にもなって、謝罪の一つもできないのは流石に恥ずかしい行為だと思いますが――ああ、別にあなたに文句を言ってる訳じゃありませんよ? ちょっと、聞いてみただけです」
牢屋から出て小部屋の椅子に座り、釈放手続きをしながら留置場の担当官にそう愚痴りながら留置場を出ると別室に通され、新橋警察署の警察署長を名乗る男、伍代昭から誤認逮捕に至った経緯と、一言、ありがたいお言葉を頂いた。
なんでも、今回の誤認逮捕は「真相の解明に必要な逮捕だった」だそうだ。
意味が分からん。経緯を説明されている時に出されたお茶をぶっ掛けそうになった。
一応、謝罪らしきもの(神妙な顔して頭を下げるだけの儀式)を受けたが、その直後言われた「真相の解明に必要な逮捕だった」という馬鹿みたいな言葉で、色々と台無しである。
「そうですね。真相の解明に誤認逮捕は付きものですよね! ん~~~~! シャバの空気は旨いなぁ! 真相の解明に役立つ事ができて何よりです。さいなら」
――と、警察署長を名乗る男、伍代昭に嫌味を言って、警察署を後にしたが胸糞悪い気持ちで一杯だ。何だかムシャクシャする。
まさか、釈放時、こんな嫌味を言われるとは思いもしなかった。
まあ、警察にも面子があるのだろう。
とりあえず、その時録画をしていた動画をSNSに上げておくか。
真相解明に誤認逮捕は必要だものね。
国民の一人として『真相を解明する為に必要な逮捕』という本部長殿のお言葉を広く知らしめて差し上げよう。
【拡散希望】と打ち込みSNSを投稿するとスマホをポケットにしまう。
「しかし、あの警察官からの謝罪は最後までなかったな……」
あの警察官とは、俺に冤罪を被せてくれた糞警察官、武藤の事である。
まあ、それも仕方のない事だ。
何せ、奴は今、息子である武藤正義君が須東君と共に警察に出頭し、三人で共謀し、川島の事を刺殺しようとした事を自供した事により大変な状況に置かれている。
村井元事務次官が、犯行場所の指定を行い、正義君の親がその罪を俺に押し付けた事、すべてを自供していることから今頃、取調べを受けている最中なのではないだろうか?
警察官の不祥事の取調べを警察官が行う。
中々、面白い事になってきた。
折角なので覗いてみるか……。
正義君との約束も果たさないといけないし、俺の溜飲を下げる為にも、これは必要な措置だ。
新橋大学附属病院の特別個室に戻ってきた俺は部屋に監視カメラが再設置されていないかを確認し、影の精霊・シャドーに声をかける。
「……シャドー。バレない様に空間を繋げてくれないかな?」
そうお願いすると、壁に取調室が映し出された。
◇◆◇
取調室の一室で武藤健治は激しく苦悩していた。
な、なんで……なんでこんな事に……!?
息子である正義の罪を高橋翔という青年に被せるまでは良かった。
強引ながら自白も取ったし、こちらに有利な形で調書も取った。
後は送検するだけ……そんな時に息子の正義が出頭してきた。
しかも、出頭してきたのは丁度、私が署にいない時間帯。
その結果、私は……私は……。
「――武藤君。わかっていると思うが、これは大問題だよ。警察組織の根幹を揺るがす不祥事だ。息子さんの自白も取れている。君のお友達からの自白もね……いいから、もう認めてしまいなさい」
警察組織の根幹を揺るがす不祥事と認定された私は、監察官と監察席付調査官による取調べを受けていた。
監察官がでてきたという事は、不祥事事件として認定されたという事。この時点で監察事案となり、調査中は機密扱いとなる……にも拘らず、SNSに自白を迫った時の動画や警察官が息子の罪を他人に押し付けようとした事実が流された事でニュースとなり、現在、警察署には、お怒りの電話が多数掛かってきている。
一般の公務員や一般人なら確実に逮捕される案件であっても、警察官であれば逮捕される事はない。勿論、殺人を犯してしまった場合などは話が別だが、一般的には、懲戒処分で済むはずだ。
しかし、動画内容が世に出た事で話は一気に急転。
私は窮地に立たされている。
「……黙ってないで、何とか言ったらどうだ? まさかとは思うが、乗り切れるなんて思っていないだろうね? だとしたら、それは余りにも考えが甘いと言わざるを得ない。君は警察官として最もやってはならない事をしたのだよ」
「――申し訳ございません。つい出来心で……」
「出来心で罪を誣告されたら堪らないよ。それでは、認めるのだな? 何故、そんな行動に走ったのか最初から詳しく話しなさい」
「は、はい。事の始まりは……」
事の始まりは『川島という名の男を殺しに行く』という息子からの電話だった。
勿論、そんな馬鹿な事をするのは止めろと説得したさ。
しかし、やるというのだから仕方がないじゃあないか。
警察官である以上、身内から犯罪者が出るのは道義的に拙い。
だから、私は……。
「――そうか。それでは、こちらの調書に目を通してサインを……」
「…………」
無言で受け取った調書の内容は酷いものだった。
警察官としての立場を守る為に、身内の犯した罪を他人に擦り付ける。
そこには、武藤という男が如何に自分本位で身内を守る為なら警察官の職権を濫用する様なそんな人間である旨が書かれていた。
「――酷い人間だな。この武藤という男は……」
「ああ、まったくだ」
自嘲気味に言った事をまさか肯定されると思わず、ぐっと手を握る。
「……私はこれからどうなるんだ?」
通常であれば、懲戒処分だが……。
「私見だが、起訴される事になるだろうな」
「き、起訴っ! そ、そんなっ!?」
懲戒ではなく刑罰を科せられる事に驚愕の表情を浮かべる。
「……警察官が職権を濫用して人を逮捕監禁した場合には特別公務員職権濫用罪が適用され、六ヶ月以上十年以下の懲役または禁錮刑に処される。君が引き起こしたこの事件を我々は相当重く見ているという事だ。そうしないと世間も納得しないだろう」
「な、なんとかならないのですか!? 私には妻も子も……」
妻も正義が罪を犯し逮捕された事に相当、ショックを受けているだろう。正義にも早く弁護士を付けてやらねば……。
そんな事を考えていると、監察官が首を横に振る。
「……武藤君。当然の事だが、君だけに家族がいる訳じゃない。君が罪を擦り付けた高橋翔という青年にも家族はいる。今日はここまでにしておこう。君が潔く罪を償う事を願っているよ」
監察官にそう言い渡されると、私は留置場に連れて行かれた。
留置場の檻の中で、私は今後の人生について思い馳せる。
懲戒解雇となれば退職金は受け取れない。転職も不利になるだろう。刑事罰を受けるとなれば猶更だ。検察も警察側の方を持つだろう。
息子も逮捕されてしまった。妻からも近い内、離婚の申し出があるかもしれない。
「一体、私は何がしたかったんだろうな……」
息子の罪を他人に擦り付けて、警察官としての立場を守ろうとし、今、留置場で自分の将来について思い馳せている。
「……できる事ならもう一度、人生をやり直したい。まあ、無理だろうな……」
『……そんな事はないぞ?』
「――へっ?」
声がした方向に視線を向けた瞬間、周囲の景色が変わる。
「こ、ここは……」
ソファが置かれ、冷暖房の効いた広い部屋。
少なくとも、留置場でないのは確かだ。
「お父さん……?」
呆然とした表情を浮かべ立ち尽くしていると、背後から聞き覚えのある息子の声が聞こえてくる。
「正義……お前、何でここに……」
そこには、泣いて目を腫らせた息子……正義の姿があった。
「一応、約束だからな……」
「お、お前は……」
私が罪を被せた男、高橋翔の姿も……。
「ここはどこだ。一体、何を……」
「一度だけしか言わないからよく聞く様に……既に正義君には伝えてあるが、俺はお前達に人生をやり直すチャンスを与えようと考えている」
「――じ、人生をやり直すチャンス??」
それに既に正義に伝えてあるというのはどういう……。
「ああ、どの道、お前達には後がない。このまま、刑罰が確定し、刑務所送りになったらお終いだ。まあ、俺としては、どちらでもいいんだが、警察にはちょっと思う所があってね。嫌がらせも兼ねて助ける事にした。このまま、罰を受け入れ収監されるも良し。俺の話に乗り、新しい場所で新しい人生を送るも良し。さあ、お前等はどちらを選択する?」
「ふ、ふん。馬鹿馬鹿しい……そんな事できる筈が……」
そこまで言ってハッとなる。
この男、どうやって私と正義を留置場から……もしかして、できるのか……?
到底信じられる様な事ではない……到底信じられる様な事ではないが、この男であればもしかすると……。
「……もし、話に乗ると言ったらどうする」
そう問いかけると、高橋翔は笑みを浮かべた。
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