第180話 区議会議員⑩
暴力団に対する支払いを逃れる為、事務所員である磯貝を生贄代わりに病院に置いてきた更屋敷太一は、息を切らし足を止める。
「はあっ、はあっ、はあっ……ここまで来ればもう大丈夫か……」
今の時間は午後八時。
「……よし。今日はここに泊まるとしよう」
そう言って、太一がビルを見上げたのは、新橋駅近くにある五つ星ホテル・第二ホテル新橋。ロビーに足を踏み入れると、フロントにいるスタッフに声をかけた。
「すいません。一泊したいのですが、本日、空きはありますか?」
「いらっしゃいませ。一泊ですと、朝食付きで七万五千円となりますが、よろしいでしょうか?」
「な、七万五千円っ!?」
つい、政務活動費を使う感覚で、五つ星ホテルに来てしまったが、改めて、政務活動費が返ってこない前提で泊まるとなると、高い。あまりに高すぎる……。
そう反応すると、スタッフは首を傾げた。
「……はい。朝食付きのご宿泊で七万五千円となります」
「そ、そうか……それでは、会計はクレジットカードで……あ、あれっ?」
太一はポケットに入れていた財布からクレジットカードを取り出そうとして気付く。先程まで持っていたクレジットカードを持っていない事に……
「お、おかしいなっ? さっきまで財布にクレジットカードを入れていた筈なんだが……」
も、もしかして、病院の自動精算機に置き忘れたのか!?
一瞬、そんな考えが太一の頭を過ぎる。
クレジットカードは今や太一の生命線。
これが無くては生活ができない。
しかし、幾ら探しても見つからない。
それにもし、病院の自動精算機に置き忘れていたとしても戻る事ができない。
太一自身、病院に置き去りにした磯貝に支払能力があるとは思っていない。四百万円を回収できない事を知った暴力団は十中八九、太一の事を探し回るだろう。
クレジットカードを探しに病院に行けば、まず鉢合わせになる。
正に飛んで火に入る夏の虫だ。
見かねたスタッフが太一に声をかける。
「当店では、クレジットカード以外に現金でのお支払いも可能となっておりますが……」
「そ、そうですか? それでは……」
スタッフにそう言われ、財布を広げてまたもや愕然とする。
財布の中には壱万円札が三枚入っているだけで、到底、宿泊費に届かない。
これまで金に困った事のなかった太一は、この時、初めて金のない苦しみを知った。もっとも、それは庶民の感覚とはだいぶズレたものだったが、当の本人はそれに気付かない。
「……また今度にします」
とはいえ、このホテルに泊まれない事を悟った太一はスタッフにため息を吐き、トボトボと五つ星ホテルを後にした。
名残惜しく五つ星ホテルに視線を向けると、今の金額でも泊まれそうなホテルを探す為、歩き始める。
「……うん?」
ガード下を歩いていると、道の端にダンボールが敷いてある事に気付く。
そして、その上には、汚れた服を着たホームレスの老人が横たわっていた。
ホームレス問題の現状については、度々、議会で報告されていた。
なる程、これが本物のホームレスという奴か。
テレビでしか見た事が無かったが、本当に存在したとはな……。
「……まったく、こうはなりたくないものだ」
吐き捨てるようにそう言うと、太一はその場を後にしようと歩き始めた。
すると、背後から声がかかる。
「おい、おっさん」
自分の事をおっさんだと認識していない太一は、他の人をそう呼んだのだと思いその場を後にする。すると、しばらくして、後ろから怒声が聞こえてきた。
「おい、無視するんじゃねーよ。おっさん!」
「へっ?」
もしかして、私の事か?
突然、オッさん呼ばわりされた事に戸惑いながら後ろを振り向くと、そこには二人の若者がいた。
振り向いた瞬間、男達の内、一人が舌打ちしながら太一に近付いてくる。
「――おう。おっさん。お前の事だよ。年取ると耳も聞こえなくなるのか?」
「な、何だ、君達はっ! 私を誰だと思っているっ! 私は区議会議員の……」
自分がいかに偉く、区にとってとても大事な存在であるのかを告げようとすると、男達の内一人が、太一の言葉を遮った。
「知らねぇよ! まあいいや……」
そう言うと、男は馴れ馴れしくも太一の肩に腕を絡めてくる。
「な、何をするっ!」
「まあ、いいからいいから……俺達、金がねーんだわ。おっさんさぁ、とりあえず、金貸してくれない? 覚えていたら返してやるからよ」
男はもたれ掛かりながらそう言うと、太一のポケットに入っている財布を抜き取り、札を数え始める。
「あ、ちょ、待てっ! それは、私の全財産……」
「……うっせぇなぁ、いいから黙ってろよ。おっさん!」
そう言って抗議する太一を、もう一人の男を抑え込む。
「まあまあ、ちょっと金を借りるだけだからさ」
「な、何が借りるだけだっ! それは私の全財産……」
「うっせぇなぁ……おっさん。もう、黙ってろよ」
「ぐうっ!?」
太一が抗議しようとした瞬間、男に思い切り腹を殴られる。
腹を思い切り殴られた太一は呻きながら、その場に崩れ落ちた。
「だ、誰か……誰か助け……」
周りに人は数名いる。しかし、誰も太一を助けようとしない。
それ所か、巻き込まれまいと足早に去っていく。
「誰か……誰か、警察を……」
腹の痛みに耐え、そう呻く太一。
「おっ? アタッシュケースじゃん! 何々? おっさん、もしかして、偉い人? 中に何が入ってんの?」
太一から財布を奪った男は、財布をポケットにしまうと、アタッシュケースに目を付けた。
「べ、別に大層な物は入っていな……」
太一がそう言って、特に大切な物は何も入っていないですよアピールをすると、男は……。
「ふーん。そう。大した物が入っていないんだ……だったら別にいいよね?」
「――へっ? がふぉっ!?」
男はそう言うと、太一を足蹴にし、アタッシュケースを担いで去っていく。
「それじゃあな、おっさん。アタッシュケースは貰っていくわ。ついでに、このスマホも……」
「――へっ?」
咄嗟にポケットを探ると、いつの間にか、スマホが消えている事に気付く。
「ち、ちょっと、待って! それは……!」
這いつくばりながら、そう言う太一に対し、男達は笑いながら答えた。
「安心してよ。おっさんのスマホは、ちゃんと、高く買い取って貰うからさぁ!」
「な、なぁ、ふざけるなっ……」
腹を蹴られた痛みに耐え、男に向かって手を伸ばす。
しかし、男は笑いながらスマートフォンをポケットに入れた。
「じゃあな、おっさん!」
そう言った瞬間、興味を失い太一から視線を逸らす男。
何もかもを失った太一は、その一言を聞いた瞬間、激怒する。
「……ふ、ふざけるなぁぁぁぁ!」
残っていた体力すべてを使い、ホームレスの寝床に置いてあったフォークとナイフを手に取ると、スマートフォンをポケットに入れた男に向かって走り出す。
「ぐっ……な、何やってんだぁ、テメェ……?」
男の腹部にナイフを深々と突き刺す太一。
「お、おい。大丈夫か……ぎゃっ!?」
そう心配するもう一人の男の腹部にフォークを突き刺すと、太一は、ナイフを刺した男からそれを引き抜いた。
「それは、私のものだ……私のものだぁぁぁぁ!」
半狂乱に陥る太一。
ナイフを刺された男と、フォークを刺された男は刺された箇所に手を当て苦し気に呻きながらも反撃に転じる。
「……こ、このくそジジイがっ!」
「や、やりやがったなコイツッ!」
一人の男は奪ったばかりのアタッシュケースを武器代わりに振り回し、もう一人の男は太一に蹴りを入れた。
「……あがっ!?」
アタッシュケースが当たった衝撃でナイフを落とし、腹部に蹴りを入れられた太一はしゃがみ込む。
「……はあっ、はあっ、はあっ、ヤベェ、血が止まらねぇ……」
「もう行こうぜ。これ以上はマジでヤバい……」
「ああ、そうだな……」
「ったく、面倒かけやがって……」
思わぬ反撃を受けた男達はそう言うと、太一に唾を吐き捨て、その場を立ち去っていく。
翌日、週刊紙に掲載された区議会議員・更屋敷太一のスキャンダルを受け議会は大騒ぎとなる。
スキャンダル発覚後、多くのマスコミが焼失した更屋敷邸と事務所を訪れた。
しかし、当の本人である更屋敷太一は、暴力団の報復を恐れ失踪。
前代未聞の現職区議会議員の失踪にマスコミ・議会共に大騒ぎとなり様々な憶測が報道された。
その後、議会に出席しない事・議会の信用を著しく毀損した事を理由に、更屋敷太一は全会一致で失職。区議会議員としての身分を失う事となった。
◇◆◇
「あーらら……」
あの後、更屋敷太一は、新橋のガード下でオヤジ狩り、もしくは、カツアゲのどちらかに遭い結構な重傷を負ったらしい。
エレメンタルがそう教えてくれたから多分、間違いないのだろう。
衣服以外のすべてを奪われ、今は、新橋のガード下にダンボールを敷きホームレス生活を送っているそうだ。
金はなくとも土地があったのだから、それを売却するなりしていれば何とかなったのに馬鹿な奴である。
まあ、愚息が引き起こしたスキャンダルと、更屋敷太一が暴力団と黒い交際をしていた事が暴露されてしまったので、どの道、区議会議員でいる事はできなかっただろうけど……。
いかに区議会議員として名を馳せようと、落ちる所まで落ちればただの人だ。
むしろ下手に名が売れてしまっているだけに、どの道、再起は難しかったかもしれない。
まあ、どうでもいいか……。
そんな事より今は手に入れた土地をどう運用するかが問題だ。
税金対策の為か、法人化すればなんでも経費にできると高を括っていたのかは知らないが、更屋敷太一の持っていた土地は個人名義ではなく法人名義となっていた。
法人名義の土地に、これまた法人名義で家を建て、それを借りるという名目でその家に住んでいたようだ。
しかも、その法人を実質的に運営していたのは、当の本人である更屋敷太一ではなく磯貝という事務員。
磯貝に四百万円を前渡金として渡した結果、低廉譲渡の基準に当たらない時価の五十一パーセントで更屋敷太一の土地を手に入れる事ができた。
しかし、問題もある。
仮囲いで取り囲んでいる土地。
そこには、燃えて廃墟と化した更屋敷邸があった。
すると、仮囲いに取り付けられたドアを開け、誰かが勝手に入ってくる。
「すいません。ちょっと、取材させて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう俺に声をかけてきたのは、左腕に腕章を付けた取材記者。
記者の後ろには、無作法に俺の土地をカメラに収めようとするカメラマンがいた。
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