第5話 訴訟
【主な登場人物】
・人物名 (肩書/立ち位置の変化)
・笠井(理事長) ・堂本(事務局次長/中立⇒笠井)
・京極(常務理事/中立⇒反笠井) ・神田(事務局長/反笠井)
・下山(大学学長/反笠井) ・若山(大学副学長/反笠井)
・猫田(中高校長/反笠井) ・朝倉(理事/笠井⇒反笠井)
・田上(前理事長/反笠井) ・中高・大学同窓会両会長(理事/反笠井)
・香月(創業家/反笠井?⇒?) ・中山(大学副学長/反笠井⇒?)
・別府(大学教授/反笠井) ・黒川(課長/反笠井)
・天知(新常務理事/笠井⇒?) ・北村(新事務局長/笠井⇒?)
・谷川(新理事長/笠井⇒?) ・春海(顧問弁護士/笠井⇒?)
【理事懇談会・臨時理事会】
5月11日。都内のホテルで理事懇談会が開かれた。
創業家の香月理事は病床の身にあり〝欠席〟が常であった。香月理事を除く理事は全員出席し、2名の監事も同席した。
「私(笠井)は今月末の任期満了を以て理事長を退任し、次の理事にも名を連ねないことを皆さんにお約束します。その上で規定に則り、新理事会と新評議員会の名簿の原案は私に任せて頂きたい。」
「原案は事前に見せて頂けるのでしょうか?我々としては納得のいかない人事案には賛成は出来ない。」京極ははなから笠井案になど同意する気がないもので、突き放す様に質問した。
「役員人事に関しては事前に明らかにする様なものではありません。通常はトップシークレットの元、理事会の席上で公表し、その場で賛否を問うものです。」
「(笠井)理事長が退任され、次の理事にも名を連ねないと言いながら、ご自分の息のかかった人間を理事や理事長に据え、好きにやられては困ります。」
「京極常務、息のかかった人間とはどなたのことを指しておられるのですか?」
「誰とまでは申しませんが、こういうもめている時だからこそ、我々や教職員が納得する理事会を組成する必要があるということです。」
「納得がいかない場合は賛成しなければ良いだけです。」
「笠井理事長、我々は過半数を押さえているのですよ?結局は我々が納得するまで〝新理事会〟は決まらないということです。それは理解しておられますか?第一、この後に開催される〝臨時理事会〟についても、常任理事会を経ずに勝手に開催を決めておられる。私はその様な、ルールを無視した理事会に出席するつもりはありません。」
「京極常務、寄附行為19条に〝重要事項以外の決定について理事会が常任理事会に委任する〟とあります。そもそも常任理事会とはそういうものです。今回は重要事項を決める理事会です。常任理事会を経る必要はありません。」
「私は重要事項も含めて、先ずは常任理事会を経てから決定すべきだと申し上げているのです。」
「常任理事会の構成メンバー全員が理事会にも名を連ねています。そう言う意味では、理事会が常任理事会を内包しており、常任理事会での議決が理事会を優先することはありません。あなた方内部理事の皆さんがそれ程、常任理事会に固執される理由は、理事長を蔑ろにしながら、ご自分達で常任理事会を占有して、議案から何から全て自分達の好きなようにしたいからではないのですか?」
これまでは陪席事務職員として発言を控えてきた堂本が、今回は「事務局長代行」として核心に触れる発言をした。
「失礼なことを言わないで貰いたい。我々は常任理事の過半数の出席を以て常任理事会を成立させ、多数決を以て議案を通しているだけだ。」
「3月中旬以降、教職員の多くを味方につけ、理事長の権限を剥奪し、実質的に京極さん、あなたが学校法人を仕切っているではないですか?理事長はその職を辞すまでは誰が何と言おうとも理事長なのですよ。大学の入学式での暴挙についても、その様な事が許されると思っておられるのですか?」
「とにかく、私は臨時の理事会には出席するつもりはありません。これで失礼します。」そういうと京極は席を立ち勝手に会場をあとにした。
その後、臨時理事会が開催されたが、京極(常務)、下山(学長)、朝倉、同窓会両会長が欠席した。
4月末の任期満了を以て退任した若山(前副学長)と、解任された神田(事務局長)がいなくなり、解任請求書に判を押した理事のうち、現時点で残っている理事は6名まで減っていた。それに京極が加わり、勢力図は反笠井派が7名、笠井派が6名(京極が敵方に付き1名減)と、相変わらず数の上では反対勢力が上回っていた。
理事総数13名に対し、理事会成立要件を満たすには9名以上の理事の出席が必要であったが、反理事長派で出席したのは猫田(校長)だけであった為、出席した理事長派と合わせて総数7名の出席に留まり、理事会は流会となった。
【理事会・評議員会延期の波紋】
5月11日の臨時理事会が流会となったことで、笠井派と反笠井派の対立・抗争はますます泥沼化することになった。
翌日、反笠井派の主要メンバーが常務理事室に集合した。
「京極常務、このままでは笠井が円満に退任して、奴が新理事会の構成員を決めることになりますよ?」
「そうはさせんよ。5月27日の理事会が最後のチャンスだ。そこで〝理事長解任〟をあらためて議案に挙げる。」
「敵はまた理事会をボイコットするだけではないのですか?」
「いや、今度の理事会だけは欠席出来ないはずだ。それは私立学校法第47条において毎会計年度終了後2ヶ月以内に決算及び事業の実績を評議員会に報告し、その意見を求めなければならないとされている。もしボイコットすれば、私立学校法に抵触することになる。寄附行為上も定例会は3月及び5月に招集するとなっている。逃げられんよ。」
「それでは、早速、常任理事会を招集しましょう。前回同様、理事長欠席のもと、京極常務が理事長代行として議題に〝理事長解任〟を盛り込んで下さい。」
またしても強行派理事によって常任理事会が乗っ取られることになった。
顧問弁護士事務所内。
「春海先生。またしても京極常務が勝手に常任理事会を開催し、次の理事会の議案に私の解任を盛り込みました。」
「彼らはどうしても貴方を解任したい様ですね。」
「私が今月末に退任の意志を示しているのに、その数日前の理事会で解任する〝意図〟はやはり、新理事会のメンバーの主導権ですか?」
「それ以外に理由がないでしょうね。貴方を任期満了前に解任して、京極さんが理事長代行に就けば、新理事会のメンバー表は京極さんが決めることが出来ますから。」
「そこまでして私利私欲に固執するものですか?」
「表向きは〝笠井理事長を退治する〟という大義名分があり、教職員の大半がそれを後押ししていますから、私利私欲などいくらでも隠せますよ。それにしても理事長もここまで恨まれて実にお気の毒です。」
「どうしたら良いでしょうか?」
「京極さんの任期は理事長同様、今月末で切れますね。今月末さえ乗り切れば、来月から彼は、ただ単なる〝旧理事〟になる訳です。そうなれば彼には理事長代行の権限を含めて何の権限もなくなります。」
「その今月末を乗り切る手段がないのです。このままでは私は、解任の明確な理由もない中、退任の5日前に解任させられる事になります。」
「理不尽な話ですね。円満退職の5日前に理事長を強引に解任して、更に解任請求をした理事が新理事に名を連ねたとなると、これは誰が見ても〝理事会及び学校法人そのものの乗っ取り〟です。分かり易いスキャンダルですよ。」
「先生、良い知恵はないですか?」
「私は当学校法人の顧問弁護士ですから、あくまで立場としては〝中立〟ですが、最終的に本学にとって最良の選択を進言することは出来ます。」
「是非、聞かせて下さい。」
「5月末の理事会を開催すれば、理事長の解任は確実に〝強行執行〟されるでしょう。貴方が円満に退任された直後に、理事会を開くしか選択肢はありません。会計年度終了後2ヶ月以内に〝監査報告〟を行い、〝監査の承認〟を得る事だけは絶対条件です。それさえ滞りなく済ませておけば何とかなります。」
「それで5月末を乗り切れますか?」笠井が不安そうにたずねた。
「勿論、私学法や寄附行為上は〝5月末までに報告〟とありますが、今回は事情が事情です。〝謀反〟が起きている訳ですから。場合によっては事実関係を文部科学省に報告する事になるかも知れません。そういった特殊な事情が原因で報告が通常よりも数日遅れたからといって文科省からとがめられることはないでしょう。」
「分かりました。弁護士先生の言われた通りに進めます。」
「それに、先ほど申し上げました通り、理事会を6月に延期する事の最も重要なポイントは、京極常務理事の任期満了が理事長と同じ5月末であるという事です。6月になれば彼は単なる〝旧理事〟になり理事長代行の権限を含めて何の権限もなくなります。旧理事長として笠井理事長が出される新理事メンバー案に対する賛否の1票を持つだけの存在になる訳です。」
こうして、5月27日に予定されていた理事会は「理事5名の都合が悪く、理事会成立要件を満たさない為」という理由で変更され、変更後の理事会日程は6月10日となった。
【天知の戦略】
この決定に京極をはじめとした反笠井派の理事達はみな慌てふためいた。
このままでは笠井(理事長)を解任出来ないばかりか、常務の京極までが大学から居なくなる。そうなっては元も子もない。
「京極常務、どうするのですか?」
「慌てるな。新理事会のメンバーの素案は笠井が作るが、我々が納得出来ない案であれば、(旧理事会のメンバーである)我々7人がその案に反対すれば承認される事はない。負ける事はないのだよ。」
一方、笠井は次期常務理事候補の天知と今後の対策を練っていた。
「天知先生、6月10日に理事会を延期しましたが、問題はありませんか?」
「問題がないことはありませんが、理事長が不当に解任される事を防ぎ、新しい理事会にバトンタッチをされる為の唯一の方法ですからやむを得ません。5月末を以て理事長は職を解かれますので、6月以降は理事長を解任したくとも解任のしようがない訳です。」
「私の理事長としての最後の役割である〝新理事会役員の推薦〟責任だけが残り、京極常務もまた常務理事職を解かれ、旧理事として新理事会を決定する為の賛否の1票を投じる役割だけが残るという事ですね?」
「その通りです。不当解任などという暴挙を許さない為の〝苦肉の策〟です。理事会が10日間延びた事は文科省と都の私学振興局に報告・陳謝すれば赦して貰えると思います。」
「しかし、6月10日に私が新理事会の推薦をしても、数の上では反対派が7(京極・下山・猫田・朝倉・香月・両同窓会理事)対6(笠井・外部理事3名・宗門理事2名)で我々よりも勝ります。反逆理事達が自分達の思い通りのメンバー構成になるまで賛成の手を挙げなければ、いつまで経っても新理事会は組成されません。」
「新理事会のメンバーに今回の謀反組を入れる訳にはいきません。もしも彼らが、理事長に血判書を突きつけたあの時に、思惑通りに理事長が解任され、京極(常務)が理事長代行を務め、新理事会のメンバーを決めていたとしても、その中に笠井派理事の名前はひとりもリストアップされないはずです。恐らく、春海顧問弁護士や、正義を唱えた樋田監事も解任されるでしょう。それが〝禊ぎ〟というものです。彼らは戦争を仕掛けて来た訳ですから、その位の覚悟・潔さがなければ。」
「天知先生、そうであれば尚のこと、反対派は私(笠井)の案に手をあげないでしょう。新理事会メンバー選考は暗礁に乗り上げますよ?」
「最後の手段があります。本学の寄附行為には総理事数の過半数を以て決するとありますから、そこだけを取り出せば現在の理事総数は13名で、過半数は7名ということになります。」
「その通りです。だからこそ7名の票を持つ反対派が安心している訳です。」
「しかしながら、私立学校法には〝各理事が学校法人の運営に積極的に参画する観点から、理事会においては議題の如何を問わず、あるいは実際の内容が分からないまま、判断をすべて他の理事に一任する、いわゆる〝白紙委任〟は禁止することが必要である〟とあります。更に〝委任状はできる限り避けるべきであり、可能な限り書面により議案に対する賛否を表明する方式を採ることが望ましい。〟とあります。」
「天知先生、確かにその通りですが、それが良い手段に繋がりますか?」
「創業家の香月理事の委任状です。もし、今回もこれまで通り、香月理事が白紙委任状を提出して来るとすれば、今回の様な当日にしか内容を知り得ない人事案については意思表示が出来ない事になり、この議案に関して言えば、出席とは見なされないと言えます。何もかも理事総数を分母にすれば、意思表示が出来ない欠席理事の票は、実質的に反対票と同等の効果をもたらします。意思表示が出来ない理事に関しては、賛成にも反対にも票が影響しない、言い換えれば、総数から除くというのも間違いとは言えません。」
「しかし、事前に寄附行為をその様に変更しておればまだしも、総理事数の過半という寄附行為上の定めを曲げることは通らないでしょう。」
「現在、文科省も私学法に於いて、大学の〝自主性・自治〟を推奨しています。今、私(天知)が申し上げました内容は道理が適っています。あくまでも香月理事が白紙委任状を提出されることが前提ですが。」
「寄附行為第17条第12項に、あらかじめ意志を表示した者を出席者とみなし、意志表示が出来ない議案に関しては他者に委任が出来ないことがうたってありますから、その事と、理事総数の過半数との綱引きになりますね。」
「論点を整理すると、人事案の様にあらかじめ内容が明かされない議案については、意志の表示が出来ません。言い換えれば、人事案の賛否を問う場合には委任状は有効とはならず、理事会に出席をして人事案に目を通した上で意志表示が出来る理事のみが出席理事数の分母にカウントされるという理屈は通るということです。反対派理事7名のうち、香月理事は常に白紙委任状を提出されています。通常の議題の場合は、全理事宛にその内容を事前通知しますから、内容が明確なものについては、委任状の1票が有効となります。しかし、理事会の席上でしか議案内容が明かされないもの(人事案等)については、委任状提出者は欠席扱いとなり、1票としてカウントされないのです。」天知の戦略に対し、笠井は感心しながら深く頷いた。
「なるほど。これまで委任状についてそういった議論をした事もなく、問題にもなりませんでした。」
「これまでは賛否の1票が死活を分ける様な騒動などありませんでしたから、何ごとも安きに流されてきた傾向があります。今回は、相手方の〝妨害工作による学校運営の遅延〟を回避する為の、まさしく〝荒療治〟ではありますが、やむを得ません。」
「香月理事の委任状が無効になり、票が6対6に分かれた場合、我々が勝てるのですか?」
「可否同数の場合は、利害関係がない議長に決定が委ねられます。笠井理事長は新理事会に名を連ねられないので、利害関係がありません。よって、議長を務める理事長にどちらにするかの選択権が与えられる訳です。」
「あくまで香月理事が白紙委任状を出されるという前提ですね?」
「そうです。万が一、ご本人が出席された場合は、反体制派が7に対して我々が6となり、反体制派は自分達が思う通りの理事構成にならない限り、永久に理事長の人事案に反対し続けるでしょう。」
「そんな事になれば、何度も理事会を開き直す事になり、間違いなく大学の運営に支障を来します。」
「彼らの元々の大義名分は、大多数の教職員総意の元での笠井理事長不信任に端を発した辞任請求でした。ですから、理事長が退任されると決められた時点で戦旗を降ろすべきなのです。ところが、彼らの真の目的は、理事長を降ろす事よりも、自分達がその後の政権を乗っ取り、学校法人を私物化する事にあったのです。理事長が円満に退任されれば本来の目的が達成出来ないから、何としても〝退任〟ではなく〝解任〟したかったのですよ。」
「私(笠井)が次の理事会に名を連ねないにも関わらず、新しい理事会案に賛成をしないという時点で、大義が消えています。」
「理事長に対する誹謗中傷は全て、その真の目的を果たす為の〝偽りの口実〟に過ぎないのです。私は最初からそう考えていました。はっきり言わせて貰えば、笠井理事長がこのまま更に3年間、理事長を続けられても大学は持ち堪えられないでしょう。船の漕ぎ手がほぼ全員、ボイコットしている訳ですから。新しい理事長へのバトンタッチは必須であると思っていました。その中で貴方(笠井理事長)は潔く退任される事を決断された。そうなれば我々は、新理事会がどういうメンバーであるべきかだけを考えれば良いのです。大学の将来を担う、改革を成せる理事会でなければいけません。どちらの勝利が本学の将来にとって有益であるかという判断をした場合に、迷う理由は何もありません。正義を貫くのみです。」
【6月10日Xデー】
大学は嵐の様な5月を乗り切り、不気味な程に静かな6月を迎えた。
何としても笠井を〝解任〟したいとする反体制派勢力の企ては、笠井の5月末日をもっての〝退任〟により失敗に終わった。
反対勢力のボスであった京極もまた、5月末の任期で退任した。
6月2日、理事会の前座とも言える「常任理事会」が開催された。
〝理事長解任の為だけ〟に招聘された学長の下山は、地元の島根に引っ込んでしまい、大学にはほとんど顔を出さなくなった。
副学長の若山も任期満了で退任となり、常任理事会は笠井と猫田(校長)の2人だけでの開催となった。
ともあれ、一時は反対派から完全に占領されていた常任理事会が、ようやく理事長の元に戻った。
こうして、いよいよ両軍は新理事会メンバーを決定する6月10日を迎えた。
堂本は先ず香月理事がいつも通り理事会を欠席し、白紙委任状を提出している事を確認して笠井に報告した。
反対派理事は7名の理事の全員が翻意しない事を執拗に確認し合った。
今の票数であれば7名対6名で負けることはないが、一人でも笠井側に付けば形勢は一機に逆転してしまうのだ。
反対派理事達は、前日夕刻と当日午前中の2度集合するという念の入れ方で〝裏切りがないこと〟を確認した。
当日、反対派理事達を会場まで送迎する役目は神田が担当した。神田は運転手をしながら何度も〝よろしくお願いします〟と懇願した。
それまで多少迷いがあった猫田も神田の誠意に押されて決心を固めた。
笠井派理事6名、反対派理事6名の全員が出揃い、理事会の成立・開会が宣言された。平成27年度の事業実績・決算の報告、平成28年度補正予算等の承認が滞りなく行われ、議案はいよいよ〝役員及び評議員の改選にかかる推薦〟というメインテーマに移った。
この時初めて理事長から具体的な人事案が配られ、旧理事全員が新理事・新評議員案に目を通した。
みるみる反対派理事達の顔がこわばり、一様に険しい表情になった。
新理事のメンバーは穏健派理事を中心に構成され、強行派からは〝あて職理事〟として任期満了までは理事職を外せないという理由で、学長の下山と校長の猫田の2人が残った。しかし、それ以外の反体制派理事は全て外された。新たに天知、北村が加わり、大学同窓会・中高同窓会の両会長に代えて新たに2人の同窓生が理事として加えられた。更に、宗門理事は既存の2名に加えて新たに2名が追加された。
その後、活発な意見交換がなされ、ひと通り意見が出終わったところで、挙手により決を採ることになった。
その結果、予想通り、賛成6名、反対6名と真2つに票が分かれた。
しかし、強行派理事達は委任状を当て込み7票対6票で理事長案は否決との判断から〝勝ち〟を確信したのか、お互いに目を見合わせ、微笑を浮かべて頷き合った。
「ただ今、賛否の票を採りましたが、賛成6・反対6の可否同数となりました。尚、当学校法人の寄附行為17条12項に於いて、書面にて予め意思表示した者が出席とみなすとされております。当議案は当日に内容を明かす人事案につき、白紙委任状出席は認められていません。よって、白紙委任状を出された香月理事については欠席とみなしました。採決が可否同数の場合は、議案に対する利害関係がない場合に限り、議長が2票を有すると言う寄附行為17条11項に基づき、私は議案に賛成という2票目を行使したいと思います。従いまして、議題6の役員及び評議員の改選にかかる推薦については承認と致します。」
議長である笠井が採決の結果を、採択の理由に基づいて丁寧に説明した。
全く予想だにしなかった決定に、反対派理事達は収まりがつかず反論した。
「これまでの委任状の取り扱い方は出席扱いではなかったか?今日に限り、無効にするというのはおかしいでしょう?樋田監事、どう思われますか?」
京極が興奮しながら監事に質問した。
「寄附行為第17条12項には、予め意志を表示した者を出席者と見なすとなっており、他者への白紙委任は認められていません。予め議題の具体的な提案がされない以上、意思の表示は出来ない為、寄附行為に則れば、今回の白紙委任状は出席扱いには出来ません。」
「過去の理事会では他者に委任をした委任状も出席者としてカウントしていたのではないか?」
「それは精査する必要がありますが、もし、そういった扱いをしていたとすれば、過去の委任状の取り扱い方が間違っています。堂本事務局長代行、過去の議事録を精査され、委任状についてどういう扱いになっているか調べていただけますか?」
「承知しました。」
その後、過去の白紙委任状の取り扱い方を調べたが、議事録上も白紙委任状提出者は出席者扱いにはなっておらず、ただ委任状提出者とだけ記してあった。
過去の理事会においては賛否が割れることなど皆無であった為、〝満場一致で承認〟という表現で纏められ、賛成数と反対数を記すことや、委任状の1票がどちらかに加えてカウントされることもなかった。
言い換えれば、これまでは、委任状により賛否がひっくり返る様な事態に及ぶことがなかった為、委任状の取り扱い方もいい加減であった。
今回、笠井派理事達は、そういった〝緊張感のない大学のガバナンス〟を逆手に取り、形勢不利を一機に逆転する唯一の策略をまんまと成功させたのだ。
「教職員の大半の不信をかう笠井理事長が推薦した方々が新たな理事になっても、笠井理事長の影響が現場に残るのではないかと危惧しています。もう一度、話し合った上で、今回の混乱にケジメをつけないと教職員や学生・生徒に申し訳ない。」
京極が興奮を抑え、冷静を装いながら異議を唱えた。
「今回、私はそれらの責任を取って退任します。新理事にも入りません。一介の住職に戻るだけなのです。私の影響とおっしゃるが、どういう影響を仰っているのでしょうか?新理事に選ばれた方々は略歴を見て頂ければ分かりますが、本学の改革を成すに相応しい立派な方ばかりです。私が後ろで糸を引く様なことを受け容れる方は一人もおられません。ご自分達の判断で大学を立派に立ち直らせる陣容です。」
「理事長、ひと言よろしいですか?」
重鎮理事のひとりである谷川が理事長に発言の許可を申し出て、笠井がそれを承認した。
「話し合いによる解決ならば、これまでにいくらでも機会があったはずです。我々理事に相談もなく、突然、理事長解任請求という行動に出られた。理事長職の満期を数ヶ月後に迎えるというタイミングで、しかも学校法人にとって最も重要な時期にその様な暴挙を起こされ、混乱のきっかけを作られ、つい先程まで話し合いのハの字もなかったにも関わらず、寄附行為に則り議案を可決した途端に〝話し合い〟というのは、いささか虫が良すぎませんか?」
この言葉に、反対派理事達は一同沈黙した。
「理事会・評議員会のガバナンスが上手く機能しておらず、これは旧理事会全体、旧理事全員の責任であるため、旧理事全員が辞任をすべきであると思います。」
反対派理事の一人である大学同窓会会長がこの期に及んで捨て身の発言をしたが、一蹴された。
理事会(前)が終わると、評議員会が開催される。そこでの意見を踏まえて、理事会(後)を開催し、理事の最終決裁を仰ぐことになる。
評議員会は予想通り、荒れ狂った。焦点は〝委任状〟の取り扱いに絞られた。
当学校法人の評議員数は現時点で36名であったが、その大半が笠井やそれを支える理事を敵視する教職員で占められていた。その大将が別府、参謀が黒川であった。
評議員の約7割は〝笠井がやることは全て悪〟と思い込んでいる教職員なので、今回の結果を素直に受け容れられないのは無理もなかった。
評議員会の議長を務めた職員が〝反笠井派〟の一人であったこともあり、議論は延々2時間以上に及んだ。
「徹底的にやりましょうよ。徹夜で議論しても良いじゃないですか?本学の将来がかかっているのですから。」
反乱軍の街宣役を務める別府が興奮して叫んだ。
今回の理事会・評議員会を大学構内で行えば〝エンドレス〟になりかねない事を予測した堂本は、時間制限を設けられる外部のホテルをあえて会場に選び、デッドエンドを20時半に設定した。
教職員の興奮冷め止まぬ中、(ホテル)会議室の賃借時間を口実に、辛うじて評議員会を終了させることが出来た。
評議員会終了後、直ちに理事会(後)が開催されたが、常務の京極は委任状を猫田(校長)に託して理事会(後)を欠席した。
人事案について再度、理事による採決を行ったが、結果は前理事会と同じく可否同数の6対6であった。寄附行為第17条に則り、議長が承認可決した。
笠井派の理事達は〝これでようやく大学が落ち着きを取り戻し、真の改革を進められる〟と胸を撫で下ろした。
しかし、これまでは序章に過ぎず、〝三毒〟に満ちた人間の醜さ・愚かさを露呈する真の争いは、まさにここからが本章であった。
【新理事長誕生】
疾風怒濤の6月Xデーから10日後、新しいメンバーによる第1回目の理事会が開催された。
笠井は前理事会において、理事長としての最後の務めである新理事会の組成及び承認を、極めて異例なやり方ではあったが何とかやり遂げた。
今日は、新理事メンバーの中から、笠井の後任である新理事長の選出を行わなければならない。
議長は〝あて職〟として辛うじて理事に名を連ねた反対派の下山(学長)が務めた。
「寄附行為第6条に、理事長は原則として東京教区寺院の僧侶である理事のうちから理事総数の過半数の議決により選出するとなっていますが、自薦他薦は問いません。どなたかご意見はありますか?」
議長の提案に対し東京教区寺院僧侶理事のひとりが発言を願い出て許された。
「前理事長が退任され、新理事会が発足したとは言え、本学は未だに未曾有の危機の最中にあると言えます。こういう危機的状況を脱するリーダーシップを発揮出来る人が東京教区の僧侶におりますでしょうか?ここは僧侶にこだわる必要はないと思います。」
「しかし、原則は僧侶ということになっていますから、ここは東京教区の僧侶として理事長になる権利を保有される理事の皆さん全員のご意見をお聞きしてはいかがですか?」下山(議長)が発したこの提案に対して、別の寺院僧侶の理事が答えた。
「先日の評議員会を見ても分かる様に、新理事会に強力なリーダーシップが無く、弱腰であると判断するやいなや、直ぐにでも転覆を狙おうとする輩が、学内の教職員の中には多く存在すると思われます。僧侶ではこれを鎮め、ガバナンスの強化を推進するのはかなり難しい。ここは〝原則〟の枠を〝一時的に〟破り、改革を成せる人物に理事長職をお任せするのが、本学にとって最良であると考えます。」
「具体的に、どなたを指しておられるのでしょうか?」下山(議長)が質問した。
「私は、谷川理事を推薦します。彼は全国規模の事業を展開され、政治・経済にも通じておられ、政財界等に幅広い人脈もお持ちです。宗門校である大学を卒業され、本学の理事職も既に6年間務めておられる。適任ではないでしょうか?」
「私もそう思います。今、本学の理事長を引き受けることは、まさに〝火中の栗を拾う〟こと。大火傷をするリスクこそあれ、良いことなど何もない。誰も引き受けたくない。だからこそ、ここは百戦錬磨の谷川理事にその大役を担って頂きたい。」
「本学はこれまで、歴史と伝統に守られ、黙っていても学生さん・生徒さんが集まりました。教職員の給与水準も相対的に高いと言われています。財務体質も健全でしたから、身を切る改革などとは全くの無縁でここまで参りました。誰もが現状若しくは現状以上を望み、身を切ることなどやりたくないでしょう。だからこそ〝改革をやらない優しい人達〟に群がったのです。しかし、これからは、そこにメスを入れる必要があります。その為には、理事長の人選というのは非常に重要です。私も、ここは谷川理事をおいて他にはないと考えます。」
僧侶理事のすべてが〝原則〟に拘らず〝例外〟を認めるという発言をした。
下山(議長)は他にも意見を求めたが異論は出なかった。決を採った結果、全会一致で谷川が新理事長に選ばれた。
「それでは、谷川新理事長より就任にあたっての所信表明をお願いしたいと思います。」
「議長、ありがとうございます。それでは僭越ながらひと言あいさつを申し上げます。実は、今回私を推薦頂きました理事の皆様から、数日前に理事長就任を打診されました際に、一度お断りをしました。やはり、原則に則り、教区の僧侶が理事長になるべきだと。しかし皆さんなかなか引き下がってくれませんでした(苦笑)。熟慮に熟慮を重ねた上で、もし本日、満場一致で承認されるのであれば、理事長をお引き受けする。しかし1票でも反対があればお断りするという条件をお返ししておりました。」谷川は、ひと呼吸を置いて話を続けた。
「私の予想に反して〝満場一致〟を頂戴しましたので、お約束通りお受けしますが、あまりの重責に身が引き締まるという思いを通り越して、正直、軽々に挨拶出来ない緊張感がございます。先ほどの理事のご発言にもありましたが、本学の立て直しはまさに〝火中の栗を拾うがごとし〟。皆様のお力添えなしでは改革は出来ません。理事一丸となってこの難局を乗り越えたいと思います。何卒、よろしくお願いいたします。」
谷川は、〝あて職理事〟としてメンバーに残った下山(学長)と猫田(校長)のふたりのうちどちらかは必ず反対するだろうと考えていた。どちらかひとりでも反対する様であれば、理事長就任を断るつもりでいた。
谷川は、新理事長の選任については旧反対派勢力も取り込んだ〝満場一致〟を以て、新理事会の〝一枚岩〟を示す必要があると考えていた。
〝満場一致〟という結果は堂本にとっても予想外であった。
あて職で残った敗軍の将である下山と猫田の2人に、もし信念や意地というものがあるのであれば、通常であれば手は挙げない。
しかし、もしもこの2人が〝既にノーサイドの笛がなった今、過去の遺恨は全て忘れて、新理事会に全面的に協力し、共に大学を盛り立てよう〟と心を入れ替えて賛成の手を挙げたのであれば、それは賞賛に値することだと、堂本はこの時点では、プラス思考で2人の判断に対し一旦は拍手を贈ることにした。
ところが、やはりこの2人には、そういった殊勝な志などは毛頭無く、多勢に無勢で賛成の手を挙げただけであったことが、数ヶ月後に明らかになるのであった。
7月4日には谷川理事長が誕生して初となる理事会が開催された。
この理事会において、天知が常務理事に推挙され、満場一致で承認された。
これまで空席であった法人事務局長のポストには新理事の北村が選ばれた。
天知と北村とは東京都庁勤務時代に上司と部下という関係で、そもそも天知が〝共に働こう〟と声をかけて呼び寄せたのが北村であった。
こうして、ようやく理事長・常務理事・法人事務局長という、経営を主導する常任理事3役が決まった。
教学のトップである大学学長と中学高校校長の2人を加え、常任理事会のフルメンバーが出揃い、これで学内も安定すると喜んでいる最中、下山(学長)が辞表を提出した。
【訴訟】
谷川新理事長誕生の賛否を問う議案において〝賛成〟の手を上げた下山(学長)と猫田(校長)は、反対派から激しいバッシングを浴びせられた。
下山は、元々、東京仏教大学を救う為に一肌脱いで欲しいと懇願され、過半数の解任請求を以てすれば簡単に理事長を首に出来ると踏んで乗り込んできたものの、予想外の展開になった挙げ句の果てに戦争に負けた。
更にこれからは〝謀反のA級戦犯〟として針のムシロが待っている。その上、味方からは罵られる。嫌気がさした下山は、勝手に「辞表(6月末日付)」を事務局に提出すると、そそくさと地元に戻ってしまった。
笠井派理事達が採った〝苦肉の策〟は、事情を知らない教職員達にとっては到底納得のいくものではなかった。
それまでこの政争に対して中立スタンスを通してきた教職員までもが、笠井に味方をした理事達に対して嫌悪感を抱いた。
そういう大学内外の雰囲気に乗じて反体制派が性懲りもなく再び騒ぎ始めた。
「京極さん、あの様な虚を突いたやり方を許しても良いのですか?納得出来ません。」
「別府教授、我々は皆、あなた方と同じ気持ちですよ。しかし、たとえ〝虚〟を突かれようとも、寄附行為に則っているのであればどうしようもない。笠井を最後まで生かしてしまったのが我々の敗因ですよ。」
「このままでは我々はA級戦犯として葬られます。教職員の殆どは今回の新理事決定方法に疑義を感じています。もう一度、教職員を味方に付けて蜂起しましょうよ。」
「私は既に本学とは関係のない人間になった。下山学長も辞表を出された。猫田校長も理事として残ったからには再決起は出来ないだろう。ここから先、もしも引き続き闘うというのであれば、少し頼りないが、中山副学長にリーダーを託すしかないだろう。」
「裁判を起こすというのはどうでしょう。」
「別府さん、簡単におっしゃらないで下さいよ。裁判を起こすとなると原告と被告を明示する必要がある訳ですよ?訴える相手は大学ですか?個人ですか?大学や新理事を訴える原告の役回りは誰がやるのですか?」
「中山副学長をはじめ、学内で相応の肩書きがある方や、壇家を抱える寺の住職には影響が大き過ぎて債権者(原告)になるのは無理でしょう。今回退任になった同窓会OGの2人にやらせたらどうだろうか?」
「別府さん、その様な大役が彼女達に務まるでしょうか?女性2人に任せるには荷が重すぎませんか?」
「いや、彼女達には名前と体を借りるだけですよ。我々が黒子として裏で2人を操るのです。」
「彼女達の説得は田上さんにお願いすることにしましょう。彼女達は2人とも昔から田上さんを教主の様に慕っている。言うことを聞く可能性は高い。」
こうして田上が2人を説得した結果、2人は訴訟の原告になる事を承諾した。
笠井が退任し、理事会・理事長・常任理事も刷新し、大学がようやく業務の遅れを取り戻し、巡航速度に戻そうとしている最中の7月13日、反対派旧理事2名による「仮処分命令申請書」が裁判所に提出された。
この訴訟を機に大学の反体制派勢力が息を吹き返した。
反体制派勢力たちは、理事会とりわけ谷川理事長を引きずり降ろす為に、これまで以上に姑息で卑怯な手段で新理事会の転覆に全勢力を集中した。
先ず、神田・黒川がすべての教職員や同窓会を巻き込み「同窓会前会長両氏を応援する会」を発足させた。
「教職員の皆さん、同窓会前会長のお2人が訴訟を起こされた動機は、ひとえに、正当性に疑問が持たれている新理事会に本学の未来を託すことは、同窓生にとっては勿論、在学生にとっても申し訳ないという一念から発したものです。我々は、両氏を応援する会を設立し、両氏の訴訟を物心両面から支えていきたいと思います。皆さんの賛同を心からお願いいたします。」
「我々は、皆さんに支援金のご協力をお願いしたいと思います。支援金は弁護士報酬等今回の裁判費用に充てられます。支援金の目標額は450万円です。1口1万円から何口でも結構です。よろしくお願いします。」
これらの所業は完全な労務規則違反であったが、東京仏教大学は長年、苦労もない楽園を、田上ワールドの住民たちが牛耳ってここまで来た為、ガバナンスなどというものははなから存在しなかった。
特に大学は、完全にガバナンス機能がマヒし、今やテロ集団の拠点として、やりたい放題の無法地帯となっていた。
しかし、悲しいことに民衆(教職員)たちはこの呼びかけに呼応し、結果的に目標額まで支援金が集まる事になるが、そのことが重石となり、その後、原告の2人は、退きたくても退けない、旗を降ろしたくても降ろせないところに追い込まれることになる。そして〝東京仏教大学の為に〟という旗印の元で決起したことが、結果的にはグループを更に窮地に追い込むという皮肉な結果になってしまう。
そもそも〝東京仏教大学の為に〟という思いであれば、笠井(前理事長)なきあとは、敵味方無く、グループの将来のために、新理事会に全面的に協力するのが〝真の聖職者〟というものであるが、この大学の聖職者の場合はそうではなく、ただ自分の保身や安寧を優先し、その為ならば手段を選ばないというやり方を続けて来た。
そしてこの後も下劣な手口は更にその勢いを増していった。
学校側は直ちに、顧問弁護士である春海に対し、〝訴訟代理人〟として学校に代わり裁判を争ってもらうよう要請した。
学校側が慌てたのは、今回の原告側の請求が、理事選任決議無効確認請求の本案判決を争うものではなく、あくまで〝仮処分として新理事の手足を縛る〟という、裁判の勝敗に直接関わらない部分であった事だ。
仮処分命令申請書というのは、裁判所が判決を下すまでには時間がかかるため、それまでの間、侵害行為を止めさせる事が必要な場合に、裁判所に対して相手方の行為を止めさせる仮処分の申立てをする方法である。
この仮処分の申立を行うと、裁判所は相手方にも意見を聞いた上で、本案訴訟での結論(判決)が出るまでの間、仮の手続きとして侵害行為を止めさせることが出来るという類のもので、あくまで本案訴訟を争うための仮の手続きに過ぎない。
よって、仮処分の判決がどういう結論に至ろうとも、大学(新理事会)側が実質的敗訴の条件に応じる訳もなく、最初からこの申し立ては足枷にこそなれ、大学に資する可能性はゼロである事は明白であった。
それにも関わらず、反体制派はまたしても同じ轍を踏む行動を起こしてしまった。
万が一、この申し出が認められれば、学校法人東京仏教大学は理事会を開催出来なくなり、心臓部からの血流が止まってしまう。
勿論、判決が下るまでの間に、学校法人の機能がマヒしない為の前倒しの決裁により、血流停止・心肺停止までの〝時間稼ぎ〟は出来るものの、それも数ヶ月がタイムリミットだ。
反体制派が最初から裁判の本線を争わず、仮処分命令という選択をしたことには相応の理由があった。
本案判決の決定を待てば、数ヶ月から数年を要する事があるが、仮処分申立に対する裁判所の決定は、数ヶ月以内に出されることが多い。
あくまで〝副次的な判決〟であるが、裁判所がその判決理由に挙げる主文を以て、本案の仮決定とみなして〝示談・和解〟の交渉を進めるといった事例が多発していることから、この仮処分申立てさえ認められれば、教職員を味方に付けて、〝優越的和解〟に持ち込めるだろうと判断したのだ。
裁判所から仮処分を認める判決がなされれば、その時点で勝訴・敗訴が決定した訳ではないが、後遺症を遺すことなく金銭的解決等で和解出来るのであれば、紳士的に妥協した方が得策だと考え、和解する者も多いのだ。
しかし、今回の場合、裁判の当事者は原告2名・被告7名の計9名であるが、それ以外にも6月10日に選ばれた理事がおり、裁判所からの本訴での正式な〝判決〟が下らない限り、現理事の職責を剥奪し、新たに理事を選出し直すということは出来ないのだ。
裁判の当事者間で和解をして、旧理事が集まり理事会を開いたところで、それは現段階では〝エセ理事会〟にしかなりえず、法的効力がない以上、誰が何と言おうとも登記変更は出来ないのだ。
また、当法人の場合は、一般の訴訟の様な金銭的和解があり得ず、和解の選択肢は〝どちら側が理事会の過半数を取るか〟しか無く、過半数を相手に譲る和解をした時点で、少数派はその後の決定権を失い、自然に存在を消されていくことは明白であった。
もし、谷川理事長率いる新理事会派が政権を失えば、今回理事として招致した学識経験者をはじめ、多くの改革派理事が全て消され、京極をはじめ謀反を起こした落ち武者達が復帰することになる。春海顧問弁護士も解任されるであろう。
よって、本裁判の判決で被告側が敗訴したとしても〝和解〟だけはあり得ないことであった。
本訴で敗訴した場合は、6月10日までさかのぼり、旧理事による理事会の立案・承認の手続きをやり直すだけのことである。
その場合は、笠井が新メンバーをノミネートして旧理事による多数決を採る為、政権を譲る事は決してあり得ないのだ。
どういう判決が出たところで、笠井が議長として次の理事会のノミネート権を持つ限り、彼らに完全勝利はないのだ。
通常であれば、学校を混乱の最中に引き戻す様な事はせず、潔く身を引くか、学校法人東京仏教大学の為に尽力するというのが教職員の責務であるが、彼らは学校よりも私欲を捨て切れない未練が先に立ち、またしても暴挙を繰り返してしまった。
まさしく〝貧・瞋・痴(とん・じん・ち)の三毒〟にまみれた者たちによる、醜い権力争奪戦は、ここから更に激しさを増していった。
彼らの仮処分命令申立の内容は、6月10日開催の理事会に於ける理事選任決議無効確認請求事件の本案判決決定までの間、①新理事6名(天知・北村・新宗門理事2名・大学・中高同窓会新会長理事2名)は理事の職務を執行してはならない。②学校法人は6名に職務を執行させてはならない。③谷川は理事長の職務を執行してはならない。④学校法人は谷川に理事長の職務を執行させてはならない。⑤訴訟を起こした2人(原告)を理事の職務に復帰させるといったものであったが、そもそも本訴を争う気など毛頭無かった。
結果的にこの申し立てが大学を更に深い闇の中へと引きずりこんで行く事になった。
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