第34話 奇跡も魔法もない世界で
こうして、結婚式は終わった。
牧師とオルガン奏者が去り、会場には三人だけが残される。
「依頼達成よ。喜んでドナー提供させて頂くわ」
放心状態でチャペルの椅子に腰かける俺と茜に、レイさんが語りかけてくる。
その目は真っ赤だったけど、それでも俺よりはマシだろう。
「ありがとうございます」
「それで、具体的にはいつなのかしら? なるべく早い方がいいわよね?」
「はい。他のドナー候補との都合がつき次第、すぐに手術を行います。俺のわがままが許されるなら、このまま一緒に手術場所に――福岡県に来てもらってもいいですか?」
さきほど一報を入れ、もうすでに、譲二経由で皆に連絡はいっているはずだ。
今晩にも手術日は決まるだろう。
「構わないわよ。あんまり間を置かれると、思い残すことのない私は天国に逝っちゃいそうだもの」
レイさんはそんな洒落にならない冗談を言って頷いた。
* * *
(早く。早く。早く)
後は、ただひらすらに急いで帰るだけだ。
服を私服のパーカーに着替えて、空港に向かう。
飛行機を待っている間に、早速、譲二から連絡がきた。
手術は、明日の午前5時。
全員、今から全力で駆けつけてくれるという。
本当にありがたい。
俺も金のことは気にせずに、最短時間のルートで帰路につく。
家に着く頃には、ちょうど具合よく、じょうじメンタルクリニックの診療時間も終了していた。
クリニックに備えた患者用の病室にレイさんを案内してから、俺は躊躇なく譲二の待機室に突入した。
「ただいま」
俺の呼びかけに、カルテの整理をしていた譲二が顔を上げる。
「本当に集めてしまったんですね」
譲二は俺と茜の姿をじっと見つめて、感心と寂寥を二等分したような声色で呟いた。
「で、いつ始められる?」
「『喜』はもう到着しています。『怒』と『哀』も、数時間の内にはやってくるでしょう。全員揃ったら、ドナーや移植対象者も含め、みんなに睡眠導入剤を飲んでもらいます。効果が出て、全員が眠りに就いたら手術開始です」
タマイシの移植手術に痛みはないので麻酔は不要だが、それでも心理的動揺はあるため睡眠状態で行うのが常だ。
「わかった。言うまでもないと思うが、手術には俺も立ち会うからな」
もちろん、譲二を信用していない訳ではない。
奴の腕は超一流だ。
ただ、俺は外で茜の手術が終わるのを待っていることなど到底出来そうもない。
「それは構いませんが、手術までにやっておくべきことは当然、お分かりですね?」
「ああ」
仮に手術が成功したとしても、次に茜が目覚めるまで数日はかかるだろう。
茜を風呂に入れ、排泄の介助もして、身だしなみを整える。
これが最後になるかもしれない。
それは分かっている。
何か言ってやらなければと思うけれど、何も言葉が出てこない。
ただ、茜の体温を身近に感じていた。
結局、時間はあっという間に過ぎて、やがて運命の手術を迎えてしまう。
クリーム色の壁と暖色の灯りで、柔らかい雰囲気に統一された室内。
もちろん、部屋は完全防音で、音が外に漏れないようになっている。
ストレッチャーに乗せられた、茜とドナーたち。
茜を中心にして、他のドナー四人が左右に二人ずつ配置されている。
ちょうど、羽を広げた蝶のような形だ。
俺は茜の命運を握る四人を、感謝を抱きつつ眺める。
『喜』のドナーのサクラさんはすっぴんだとより優しげに見えた。
『怒』のドナーの附子はちょっと日焼けして、よりガキらしくなっていた。
『哀』のひろしさんはちょっと太っただろうか。
『楽』のレイさんは、寝姿もピシっとして綺麗だ。
最後に茜を見た。
眠り姫のような美しさを湛えたまま、ただ彼女は瞑目している。
「では、始めます」
譲二が宣言する。
やがて、彼がモノクルタイプの拡大鏡を装着し、完全な仕事モードに突入した。
そのタマイシのアレキサンドライトが、暁の太陽のような冷静な情熱を秘めた赤に染まる。
譲二の傍らの手術台に並ぶのは、ライト、ドリルやヤスリ、整形、ピンセットなど、様々な工具たち。
それらは一見、宝石職人の仕事道具と大差ないような印象を与える。実際、作業もそれに似ているが、譲二は紛れもない医者であるという点が、唯一にして最大の違いだ。
彼の手には、金銭では贖えないかけがえのない命が委ねられている。
そして、その命を大切に想う人々の心も。
「頼む」
俺はそれだけ言って、譲二の作業を邪魔しないように部屋の端に立った。
パーカーのポケットに手を突っ込みながら、じっと拡大鏡と接続されたモニターを見つめる。
キュルキュルキュルキュル。
ガガガガガ。
ザリザリザリ。
人工的な機械音が場を支配する。
譲二の手つきは、相変わらず見事だった。
彼がタマイシを扱う手つきは女性を扱う時のように繊細で、だけど必要な時にはこの植えなく大胆だ。
ふと、ガキの頃は、よく奴の闇の手術を覗いて怒られていたな、なんてことを思い出す。
こう見えて夢見がちな少年だった俺にとって、自由自在に細々しい工具を扱うその様は、まるで魔法使いに見えた。俺の頭の出来が譲二ほど良くないと知るまでは、無謀にも同じ職業に憧れたこともあった。
「ふう……」
譲二が小さく息を拭き出して、額の汗を拭う。
モニターが、ドナー四人のタマイシを次々と映し出していく。
人それぞれ違って、でもどれも素晴らしい人生を重ねている宝石たち。
どれも綺麗だ。
俺のタマイシはどんな宝石だろう。
それを俺は、一生知ることはない。
「各ドナーからの感情の摘出に成功。これより、移植手術に入ります」
譲二が呟く。
もちろん、俺に言っているのではなく、手術手順に声出しをしての工程の確認が含まれているのだ。
摘出されたドナータマイシ――四つの感情の欠片を武器に、譲二は無人病というドラゴンに挑むのだ。
ガ。
ガガガ。
ガガガガ。
と、茜のタマイシが慎重に削られていく。
カチャカチャとピンセットが音を立て、ドナータマイシと茜のタマイシが接触する。
一回ではお見合いは終わらず、何度も、何度も、何度も、気の遠くなるような微調整を加えつつ、収まりのいい所を探す作業が続く。
それは、まるで難解なパズルを解くかのようで、譲二の眉間の皺は、刻一刻と濃くなっていった。
心科学は、今の医療の花形だ。
それを担う心科学医は、外科的な知識と、精神学的な知識と、内科的な知識の全てを要求されるスーパーマンである。譲二本人は多くを語らなかったが、かつては彼も、東京の大学病院の一線で活躍するエリートだったらしい。
「はあ。はあ」
譲二が激しい運動を終えた後の様に荒く息をしながら、作業の手を止めた。
茜のタマイシには、今や四つの欠片がはめ込まれ、五色の奇怪な
「セッティング完了。定着を試みます」
譲二がスポイトでビーカーから液体を吸い取り、茜のタマイシへと垂らした。
『無意識』を抽出したとても高価な薬らしいが、詳しい原理は難しすぎて俺には理解できなかった。
ギュッっと、新雪を踏みしめたような音を立てて、タマイシが引き締まる。
しかし、それは数秒で、元のバラバラな曼荼羅に戻ってしまった。
「くっ。やはり、彼女の『
譲二が唇を噛みしめる。
「そうか。やっぱりそうだよな」
それは半ば予期された事態だった。
ドナー探しに時間をかけすぎた。
そして、そもそも、20%の手術成功の確率に当選するほど、俺は自分の運の良さを信じていなかった。
奇跡もない。
魔法もない。
ヒーローは存在しない。
だから、俺は意思と必然で茜を救う。
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