第16話 招き猫が美形とは限らない
「……いい話ね。でも、私は猫について聞きたかったのであって、あなたたちの
サクラさんは目で笑い、唇を尖らせた複雑な表情で呟く。
「ですが、『猫を飼って幸せー』なエピソードは、現実にもオンラインの動画にも溢れてるでしょう。それとも、『男子高校生と猫の日常』みたいな毒にも薬にもならない話がお好みですか?」
俺はそう言い返した。
「いやね。正直聞き飽きたわ。同僚の娘もそうだし、客の男も女はみんな猫が好きだと思って写真を見せてくるのよね。鬱陶しいわ」
サクラさんが顔をしかめた。
「――ともかく、猫なんです。猫を飼いましょう。それが俺の答えです」
「……わかったわ。そこまで言うなら、飼いましょう。あなたが言い出したんだから、猫選びにも付き合ってもらうわよ」
「いいですよ。民間の譲渡会は……色々条件が厳しいので、保健所の方にしましょうか。――東京だと、世田谷区か日野市ですね。まず講習会を受けて、それからお見合いです。あっ、ちょうど明日、日野市の方で講習会があります。時間はありますか?」
俺はサクッとスマホで情報を検索して、サクラさんに問いかける。
「日中でしょ? なら問題ないわ」
「そうですか。えっと、アクセスは――電車だとちょっと時間がかかりますね」
「私が車を持ってるから、そんなことは気にしなくていいのよ」
サクラさんはそう言って、お菓子の群れの中から、高級車の鍵を取り出して苦笑した。
翌日の講習会は、多摩川の近くにある動物愛護センターで行われた。
他にも何人かの講習参加者がいたが、そんな所に高級車で乗りつけ、ブランド物をキメた服で参加したのはサクラさんだけなので、かなり目立っていた。
サクラさんは、万年筆みたいなものでメモを取りながら聴講していた。
茜も、飼いもしない猫の講習を真剣に聞いていた。
俺は、聞くフリをして居眠りをして、時折茜に起こされた。
そして、さらに二日後。
ついに、譲渡希望者が猫とお見合いする日がやってきた。
緑色の床と鉄格子で隔離された面会ブースには、15匹ほどの猫がいた。
譲渡希望者は、五名ほど。
それぞれがブースに入って、思い思いに気に入った猫を物色していく。
といっても、やはり一定の傾向はあり、子猫から優先的に貰われていくのが現実だ。
多少年を食ったのも、愛想が良くてすり寄ってくるようなのは引き取られていった。
「かわいいー」
茜は猫を片っ端から撫でまくり、その全ての猫から好かれていた。
「サクラさん、早くしないと猫がいなくなりますよ」
「そう言われても、どういう基準で選んでいいものかわからないのよ」
サクラさんはブースを睨みつけ、困惑した表情で立ち尽くす。
適当に見えて、命の責任に対して敏感だから、こんなに真剣なのだ。
彼女が夜の世界で人気な理由がなんとなくわかった気がする。
「深く考えずに、フィーリングで好きな感じのを選べばいいんじゃないですか。直感でいいんですよ」
「私はそもそもそんなに猫が好きじゃないって言ってるでしょ」
「じゃあ、気になる猫は? マイナスイメージでもいいんで」
「そういうことなら――あいつ、むかつくわね。身の程をわきまえなさいよ。いくら猫でも大体わかるでしょ。今がどういう状況か」
サクラさんが指さした猫は、成猫――それも、半分老猫にさしかかっているようなやつだった。
他の猫との喧嘩でやられたのか鼻が潰れている。
額には出来物があり、目は不自然に大きく、背中の毛の一部はハゲていた。
お世辞にもかわいい猫とはいえない。いや、はっきり言ってしまえば、かなりのブサ猫だ。
そんな選ばれにくい悪条件のくせにふてぶてしく、他の猫に触ろうとやってきた譲渡希望者をシャーっと威嚇する。年を取った猫らしい落ち着きもなく、この期に及んで必死にジャンプを繰り返し、到底届く位置にない高いところにある窓からの脱出を試みていた。
どうやら、あまり頭もよくなさそうだ。
「じゃあ、あれにしましょう」
「あなた、人が飼う猫だと思って適当言ってない?」
「言ってますよ。決断するのは俺じゃないんで。サクラさん自信が自分の意思で飼うって決めることが重要なんですよ。この猫はいくらだとか、種類がなんだのとか、そういうのを気にせずに」
「はー、言ってくれるわね。一番めんどくさいタイプの男ね、君」
サクラさんは不満タラタラで、ブサ猫に近づいていく。
何匹かの猫がサクラさんに近寄ってきて、媚を売ったような声で鳴く。
しかし、サクラさんはその全てを無視した。
きっとそういうのは、客の男で飽きてるんだろう。
「シャーッ!」
ブサ猫は、当然のごとくサクラさんを威嚇する。
さらに近づくと、速攻で猫パンチを繰り出してきた。
「はん。私の方が強いのよ。わかった? わかったらもうちょっとかわいい声を出してみなさい」
サクラさんは意外なほどの俊敏さで猫の腕を掴み、上へと引っ張る。
干したタオルみたいに、猫の身体は縦に伸びた。
「ゴロロロ、グヒャッ」
ブサ猫は甘い声で鳴くどころか、喉に詰まっていたらしい毛玉を、サクラさんの顔面に吐き出す。
顔を横に動かし、寸前で回避したサクラさんだったが、その茶髪のロングヘアーにブサ猫の吐き出した毛玉が付着した。
「あんたね。この髪がいくら稼ぎだすか知ってんの? あんた払えるの? これはツケよ。ツケ」
サクラさんはそんなことを言いながらも、ブサ猫を強引に抱きかかえて戻ってきた。
「本当にそいつでいいんですね?」
「ええ。こいつに、私の素晴らしさを叩き込んであげなくちゃ」
命を救われた恩など微塵も感じてなさげに、身体をのけぞらせて暴れるブサ猫。
サクラさんの方も目を大きく見開き、口をへの字にしていて、とてもこれから飼おうとする猫に向ける表情ではない。しかし、確かに彼女のタイガーアイは、ネオンのような明滅を止めて、満月にも似た穏やかな黄色を湛えていた。
その反応に、俺は自分の仕事の成功を確信する。
「茜―。行くぞー」
「もう終わり? あー、かわいかったなー。猫飼いたい」
茜が名残惜しそうにブースから戻ってきた。
貰われなかった猫の行く末を考えられるほどの、『心配』の感情は茜の中には残っていない。
「免許を取れる年齢だったら良かったんだけどな」
俺は全てに気付かないふりをして呟く。
車旅なら猫と一緒というのも悪くなかったのかもしれないが、電車旅の俺たちには無理な相談だ。いや、仮に車があったとしても、最後まで飼えるかもわからないのにもらい受ける訳にはいかないのだが。
「じゃ、帰りましょう」
ブサ猫をゲージに入れて、新宿へと舞い戻る。
彼女のタワーマンションの前で、お別れとなった。
「では、俺たちはこれで」
サクラさんに軽く頭を下げる。
「ドナーの件は? 契約書とか交わさなくていいの?」
「はい。『楽』の感情を実感するにはある程度時間が必要でしょうし、そもそも非合法なので、無理矢理契約させても、いざという時に逃げられたら意味ないです。ドナーを引き受けてくれるのなら、また『きまぐれ博士』の方に連絡ください」
「そう。わかった。でも、どうせなら、あなたたちに直接連絡したいわ。それとも、『能面』さんはライン交換も禁止かしら?」
サクラさんはブランド物のバッグからスマホを取り出して首を傾げる。
「本来は禁止ですけど、もう半分引退しているようなものなので、いいですよ」
俺もスマホを取り出して応える。
「ふふっ。茜ちゃん。あなたの彼氏、いい男ね。私がもらってもいい?」
サクラさんが悪戯っぽく笑って、戯れに俺の肩に手を置いてしなだれかかってくる。
ゴージャスな香水の匂いがした。
「はい。純は最高の彼氏です! あっ、私も連絡先交換してください。猫ちゃんの写真みたいです!」
茜はサクラさんのからかいにも気づかずに――というより、後半の言葉がまるまる全て聞こえなかったかのように、無邪気にはしゃぐ。
もはや、茜が俺のために嫉妬してくれることはないようだ。
その瞬間、俺は茜の中から『怒り』が失われたことを知った。
それを証明するように、茜のオパールから赤の輝きが消え失せている。
彼女の無人病は、確実に進行している。
* * *
サクラさんからのラインが来たのは、それから四週間後のことだった。
最初に送られてきたのは画像。いくつもの噛み傷とひっかき傷を作ったサクラさんの手が、床を指さしている。その示す先には、粗相をしたらしい水たまりが一つ。その横では、相変わらず不細工でふてぶてしく、だけど少し毛並みが良くなって、穏やかな目になった猫が映っていた。
茜が、猫の写真を見て、「素敵だね」と呟く。
次に送られてきたのは二行ほどの短い文章。
そこには、ドナー提供者になることを受け入れる旨が、簡潔に記されていた。
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