君の心は物理的に宝石で、あの海の色をしたサファイアである

穂積潜@12/20 新作発売!

プロローグ 海と君のいない町で

第1話 君のいない町で(1)

「物理的な心の在り処が判明したのは、1871年、イギリスでのことだった。当時は良くて擬似科学、大半の人間がオカルトだと思い込んでいた俗説。しかし、ある物好きの心霊サロンが行った、当時は非合法だった人体実験でもって証明された真理によって、社会は一変した」


 誰でも知っている公然の事実を、社会科の中年教師がもったいぶった調子で垂れ流す。


 夏だ。時間差でやってくる暑さは、5時限目の今がもっとも凶悪である。


 俺は、開け放たれた窓から流れ込んでくる風の恩恵から一番遠い位置にある、出席番号6番の席――ドアから近い一列目の最後尾で漫然と教科書をめくっていた。


 俺自らの意思でこの学校に転入してきてから三ヶ月。


 最近としてはむしろ珍しいクーラーの設置されていない教室。


 潮の匂いがしない風。


 あいつのいない生活にも、もう慣れた。


「心は概念上の存在ではなく、心臓の裏にある実在の器官である。心は透明かつ不安定で、生命活動の停止と同時に失われる特殊な臓器のため、それまでの人類史においてははっきりと確認されたことはなかった。その重量は、不思議なことに、体格・性別・人種の如何いかんに関わらず、誰でも平等に3グラム。かつて魂の質量とまことしやかにささやかれていたそれは、心科学しんかがく的な証明を経て研究の対象となり、やがて人類が取り扱える技術となった。ソウルリアリゼーション――日本語においては、タマイシ魂石化と呼ばれる、心を宝石として具現化する技術だ。お前たちも知っての通りな」


 そう言って教師は、ノンネクタイのスーツの襟をバタバタさせ、空気を取り込んだ。


 第三ボタンまで開け放たれたシャツ。


 おそらく、教師の言う1870年代にはマナー違反であったであろうそれも、今では逆に正式な着こなしとなっている。むしろ、第一ボタンまできっちりとめている人間がいたとしたら、そちらの方が不審に思われることだろう。



『どうしてタマイシを隠すのか。何かやましいことがあるのか?』


 そう思われて、警察から職務質問を受けてもおかしくはない。


 教科書によれば、なんせ先進諸国のタマイシ化手術の実施率は94%を超えているらしいからそれも仕方ないことなのかもしれない。


「タマイシ化によって心が可視化された社会的な効用は絶大だった。犯罪的傾向をもった人間や、心に問題を抱えた人間のタマイシは、その色の変化によって一目で分かる。問題行動が表出化される前に対処することが可能になったという訳だ。そうでなくても、心が見えるということは人々のコミュニケーションの齟齬をなくし、社会を円滑にする」


 教師はそう言って、シャツを開き、誇らしげに彼自身のタマイシを見せつけてくる。


 鎖骨の下、心臓の斜め右上の位置にあるそれは、透明な石英だった。


 清廉潔白と秩序を証明するように透き通ったその色が、俺は率直に言って苦手だった。


 人々のほとんどが、M78星雲からきたヒーローのカラータイマーみたいにタマイシを張り付けている様を、昔の人間が見たらなんて言うのだろう。

 まだ、隠し事が許されていた社会で生きていた人たちが見たのなら。


「タマイシは本人の心的な特性によって、どの宝石になるかが決まると言われているが、必ずしも宝石の市場的価値とタマイシのそれは一致しない。つまり、ダイヤモンドが偉くて、私の石英が劣っている訳ではないということだ――わかったか。関口!」


 チャラいキャラで通っている、下の名前は知らない男子生徒が自己アピールをするように上体をくねらせ始めるのを、教師が制する。


「つまり、だ。どのようなタマイシを持とうとも、それは本人の個性であり、尊重されなければならない。また、やむにやまれぬ事情でタマイシ化をしていない者もいるが、あくまでタマイシ化するかどうかは個人の自由意思に委ねられているから、理由のない差別的取り扱いは許されない。そうだな――久世、久世くせ じゅん


 教師は名簿を確かめてから呟く。


「はい」


 名前を呼ばれた俺は、静かに立ち上がる。


 個人の自由意志と言いながら、『やむにやまれぬ』者以外はタマイシ化して当たり前といったような口ぶりにこの教師は自己矛盾を感じないのだろうか。


「どうだ。タマイシのない生活というのは。不便だろう」


「いえ。慣れてしまえば、特には」


 タマイシがある種の身分証明になっている社会だ。


 買い物時に一々、免許証やら保険証を提示しなければいけない程度の不都合はあるが、今のところはその程度だ。もちろん、表には現れない差別を挙げればきりがないが、気にしなければどうということはない。


 そんなことを考えながら、人類の残り『6%』の異端である俺は、手で首筋から胸へと垂れてくる汗をぬぐった。

 俺の指先が、他の人間のように美しい臓器的突起物に触れることは永遠にない。


「そうか」


 教師が憮然とした声を出す。


 期待していた答えではなかったのだろう。


 彼のタマイシが若干赤みがかって、ほのかな怒りの呈している。


「ええ。みんなが親切にしてくれるので、困らず生活できています。タマイシ化していない俺にも、タマイシ化した社会の恩恵があるので、ありがたいと思います」


「そうか。そうだろう」


 俺がそう補足すると、一転、教師は機嫌を良くして何度も頷いて見せる。


 それに呼応するように、彼のタマイシも再び無色透明に戻っていった。

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