其ノ96 彼は魔物

 なにひとつ思い出せないまま期末テストに突入し、全科目と戦った。そんなテスト期間中も、わたしの脳内は鷹水さんのことでいっぱいで、テスト結果は間違いなく赤点ラインすれすれだ。

 そんな状態のわたしを尻目に、父さんも鷹水さんもいつもどおりだった。でも、鷹水さんの顔色はあきらかによくないし、身体も弱っているらしく、ふとした拍子に廊下でよろめいてるのも知ってる。そんな姿を目にしてしまうたび、早く思い出さないとってめちゃくちゃ焦る……つっても、なんとかしたいのにどうにもならない自分の頭をどうにかしたい!

「やっ、山内さん!」

 テスト明けの、木曜日。

 鷹水さんの心配をしすぎて髪もボサボサのまま登校し、二時限目を終えた休憩時間。

 トイレから教室へ戻るために歩いていた廊下で、いきなり背後から呼び止められた。

「……へい?」

 のっそりと振り向ると、見たことがあるようなないようなぼんやりとした輪郭の男子が、緊張した面持ちで立っていた。

「ちょ、ちょっといいかな?」

「なんすか」

 男子はあきらかにビクつきながら、ここじゃなんなんでと告げる。どこならいいのだと訊くと、ちょっとこっちにと男子は背中を向けて歩きはじめた。なんなのだ。

 寝不足でぼんやりしているわたしの思考回路は、完全に止まっていた。男子に言われるがまま、うしろにくっついて歩く。階段をのぼって三年生のクラスゾーンをさらに過ぎ、幅の狭い螺旋状の階段をのぼりきると、そこは校舎の屋上だ。 

「え、なんすか?」

 短い休憩時間に、屋上まで来る生徒はいない。誰もいない屋上でもう一度訊ねると、くるんと振り返った男子がいっきにまくしたてた。

「一組の鈴木です、ずっと山内さんのこと見てました! サ、サッカー部の村井と付き合ってるって噂だけど、一緒に帰ってるとことかあんま見てないし、もしかして噂だけかなとか思ったんで! あの、よかったらその、明後日一緒にお祭りに行かないかなとか誘いたいと思って勇気出しちゃったんですすみませんごめんなさい殴らないで蹴らないで!」

 自分をかばうように、とっさに両腕で顔を隠す。

「……え?」

 突っ込むべきポイントが多すぎる。まず、衣心とは付き合ってないし、誘ったあとでなんで顔を隠して謝る? って、思い返せばこういうことをイジメと勘違いして、反撃してた自分が招いた結果か。

 これまでだったら、有無を言わさず一蹴してた。でも、こんなふうに誘ったりするのがどれほど勇気のいることか、いまならわかる。だって、わたしも鷹水さんが好きだから……って、あれ?

 なんか、いまだからってわけでもないような。もっと昔、もっと前に、それを悟ってたような気がするような……?

「あの、山内さん?」

 鈴木くんが、おそるおそる腕から顔をのぞかせた。そうだった、返事をしないといけない。

 わたしはペコリと頭を下げ、「どうもです」と言う。すると、顔から腕を離した鈴木くんは目を丸くした。

「……え」

「あ、いや。誘ってくれてどうもですってことです。でも、明後日は一緒に行けないので、すんません」

 もう一度頭を下げると、鈴木くんはほっとしたように息をついた。

「そ、そっか。うん、べつにいいよ。そうかなと思ってたけど、誘わないで後悔するより、誘って断られたほうがいいなと思っただけだから、気にしないで」

 鈴木くんがにこっとした。直後、チャイムが鳴る。校舎に通じるドアに手をかけた鈴木くんは、照れくさそうに頭をかく。

「実はさ、殴られるかなって覚悟してたんだ。そういう噂だったから。でも、噂は噂だよね。わかってよかったよ」

 いや、その噂は真実です。気まずくて視線をそらし、突っ立ったままうなだれる。

「山内さん、教室戻らないの?」

「あ、戻るけど……お先にどうぞです」

「うん、わかった。じゃ」

 ドアが閉められる。わたしは空を見上げた。雲ひとつない快晴だ。

「なんか……サボりたい」

 鉄柵に近づき、グラウンドの向こうに広がる景色を眺めた。遠くに見える山のふもとが、お祭りのある御影町だ。

 一緒に行ってやると鷹水さんは言ってくれたけど、父さんは知ってるんだろうか。っていうか、それよりもたぶん。

「そろそろ賭けの期限切れ……かもだし」

 声にしたとたん、じんわりと目に涙が浮かんできた。わたしが思い出せないせいで、鷹水さんが消えてしまったらどうしよう。べつに魔物のまんまでいいし、普通の人とかになんなくてもいい。彼女がいてもいいから、ずっとこの世界にいてくれたらいいのにな。

 自分が情けなくて悔しくて、鉄柵を握りしめながらバカみたいに泣いた。こんなの、母さんのとき以来だ。

「……おい」

 突然うしろで声がした。聞き覚えのある声にぎょっとしてうつむき、思わず息を止めてしまう。

「なんだよ、山内」

 横からぐいと顔をのぞかせたのは、案の定衣心だった。

「……泣いてんのか?」

 とっさに袖で顔をぬぐう。すると、なぜか衣心はキレた。

「おい、あいつになにされたんだよ!?」

 そうじゃないし!

「なんもされてないよ! ってか、あんたこそなんでここにいんのさ」

「一組の鈴木にくっついて行くとこ見てたから、追いかけたんだよ。途中で先輩につかまってしゃべってるうちに、あいつは戻って来たけどおまえは来ないし。っつーか、あいつのせいじゃないならなんのせいなんだよ」

 鷹水さんが消えたらどうしようなんて、こいつに言えるわけがない。涙目でぐっと堪えていたとき、こちらに向かって急降下してくる鳥が視界に飛び込んだ。

 一瞬、カモメかと思った。でも、カモメにしてはでかすぎだし、そもそも海から遠いこんな場所に飛んでるわけがない。不審に思いながら目で追っていると、

「なに見てんだよ」

 衣心が気づき、顔をあげた。と、その直後。

 翼を広げた鳥が、大きく旋回しながら降下する。あっという間に屋上の床に降り立った。同時に、黒い塵のようなものに包まれたかと思うと、人の輪郭になっていく。わたしと衣心は、そのすっきりとした立ち姿の人物を目にし、固まった。

 鳥の姿から人となったのは――鷹水さんだった。

 闇夜で見かけたのとは違う、はっきりと視界に映った光景が衝撃的すぎて、さすがに言葉につまってしまう。すると、鷹水さんは自嘲気味に微笑んで見せた。

「あーあ、こりゃもうダメだな」

 作務衣姿で腕を組み、軽く首をまわす。

「和尚が出掛けたとたん我慢ならなくなって、このざまだ。俺の寿命も長くねえな」

 からんころんと下駄の音をひびかせながら、近づいて来る。

「どっ……どうしてここに」

「あんたが泣いてる気がして、ちっと様子を見に来ただけだ。案の定泣いてんじゃねえか。こいつになんかされたのか?」

 目を見開いている衣心の正面に立ち、鋭い眼差しを向けた。

「い、いや。違うけど」

「そうか。ま、どっちでもいいぜ。ちょうどこいつに言っときてえことがあったしな」

「は? なんだよ、化け物」

 鷹水さんは否定するでもなく、ただにやりと不敵に笑む。

「おまえの兄貴がこそこそ動きまわってるのは知ってるぜ。けど、もうその必要もねえよ。俺は見てのとおり、人の姿でいられる暇がなくなってきちまった。だから、おまえらの勝ちだ。よかったなあ西崎。これで満足か?」

 ……ん? 西崎って、誰? なにを言っているのか謎すぎる。

「あ? 誰だよそれ。俺じゃねえし」

 衣心が否定する。鷹水さんは「だよなあ」と笑い、けれど言葉を続けた。

「おまえに言っても意味ねえけど、因縁ってのはおそろしいもんだなと思ってな。時間もねえから言わせてもらうが、西崎って野郎がおまえの先祖にいるはずだから、親父かおふくろに訊いてみろ。そいつの無念が、そいつに生き写しのおまえに覆いかぶさって、執着させてんだよ」

 わたしを見て、

「こいつに」

「あ? 意味わかんねーし!」

「わかんなくてもいい。けど、念を押しといてやる」

 衣心をきつくにらむ。

「椿が嫌がるようなことは、絶対にするな。もしもしたら、地獄で亡者と化した俺が、あらゆる手を使っておまえを地獄に引っ張りこんでやる。覚悟しとけ」

 意味不明でも、おどされているのは衣心にもわかったらしい。でも、怯えていると悟られるのはかっこ悪いと思ったのか、精一杯の虚勢を張って声を震わせた。

「……うるっせえよ、魔物のオッサン。なんでおまえの言うこときかなきゃなんねーんだよ。やっぱおまえ、いなくなるんじゃん。だったらさっさと消えちまえ。目障りなんだよ!」

 鷹水さんが笑った。

「威勢のいいこった。目障りっつったな? それはこっちのせりふだ」

 そう言っておもむろに右手を広げ、衣心の額に向けた。

「とりあえず、おまえはこの場から去りやがれ。うざってえ」

 手のひらからかすかに放たれた黒いもやのようなものが、衣心の額の中へ吸い込まれていく。すると、衣心の目がとろりとなり、操り人形のようにくるんと背中を向ける。そうして、ぼうっとした顔でドアへ歩きはじめた衣心は、ノブに手をかけて開け放ち、屋上から姿を消してしまった。

「……え」

 なにいまの。もしかして、魔力的なやつとか……?

 呆然として衣心が立ち去ったドアを見ていると、鷹水さんが言う。

「あんたや和尚にはいまみてえなことしてねえから、安心しろ。それより、ホントにあいつになんかされたわけじゃねえんだな?」

「え」

 鷹水さんに顔を向けると、冷たい親指が頬に触れた。

「なんで泣いてたんだ?」

 乾いた涙をぬぐってから、名残惜しそうに手を離す。

 なんて優しい眼差しで、わたしを見るんだろ。そんなふうに見つめられたら胸が苦しくて……苦しすぎて、むしろガチで吐きそうだ。

「……なんか、申しわけないなあ……って」

 言葉にしたら、また泣きそうになってくる。

「全然なんにも思い出せなくて、申しわけないし悔しいんだよ。怪しいなあってことはいっぱいあるのに、なんにも浮かばない。だんだん鷹水さんの具合が悪くなってるの知ってるし、さっきみたいに鳥になってるのも夜中に見たし、賭けの期限がもうすぐなんだってわかってて焦るんだけど、でもダメなんだよ。まったく、なんにも、ダメなんだよ!」

 泣きたくない。だって、泣きたいのは鷹水さんのほうだと思うから。

「ああ、なんだ。それで泣いてたのか?」

 わたしの頭に、鷹水さんの手がのる。ぐりぐりされながらのぞかれたので、うなずいた。すると、鷹水さんはため息をつく。

「あんたのせいじゃねえよ。俺が決めたことだし、誰のせいでもねえの」

 だけど、でもさ。それでも。

「……マジでごめんなさいです。だけど、できればどこにも行かないでほしいです!」

「あ?」

「ほかにべつな方法とかっていうのはない? もう時間があんまないっていうのはわかってるけど、それをのばすとかさ。なんかほかの、もっとべつな方法とかはない!?」

「ねえよ」

 即答された。

「けど、これでよかったのかもしれねえなあ」

 さみしそうに苦笑して、私の頭から手を放す。

「なんで? なんでよかった的なことになんの?」

「俺とあんたは、そもそも混じり合わねえ世界の住人だしな。それがほとほと身にしみたってこった」

 空をあおぎ見た。

「地獄の大王の勝ちだ。やれやれ、大王の勝ち誇った顔が目に浮かぶぜ」

 鷹水さんが、わたしからしりぞく。と、突然強い風が吹いた。

「和尚がいいってよ」

「え?」

 腰をかがめた鷹水さんは、床に軽く手をついた。

「……祭りだ。浴衣を出しとくつってたぞ」

 そう告げた刹那、白い鷹に姿を変えるやいなや、屋上から飛び立ったのだった。

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