3話  コンビニにて、赤の他人


 時刻は21時30分。


 僕は近所のコンビニを目指して歩いていた。徒歩4分の街灯の少ない道のり。


 理由はお菓子やらジュースやら、まだ底冷えする季節だろうに、アイスの注文を受けたからである。それも随分と大量に。自分の為でもないのに僕が金を出し、夜道を一人寂しく闊歩する。見返りは当然無い。別に求めているわけじゃないけど、きっとあの子らは『お前がじゃんけんで負けたのが悪い』と感謝の一言すら無いだろう。しかしここで言い訳をさせてもらいたいのだが、常人が「最初はパー」など想像出来るだろうか。危機を回避出来ただろうか。いや出来るわけがない。僕は文句を言って然るべきだった。「こんな夜更けに女の子を行かせるつもり?」や「男だったら素直に負けを認めろ」などという正論紛いで詐欺紛いの暴論を受け入れる必要など無かった。


「生き難」


 と、暇潰しとして脳内で一通り愚痴を溢して、到着した目的地。


 閑静な住宅街からは僅かに離れ、歓楽街の明かりが溢れる場所。春休み期間中とはいえ平日の夜だ。駐車場に車は無く、年配の店員さんが気怠げな表情で、暇そうに雑誌を並べているのが見えた。入店すると、ガラスに遮られていた明かりが僕を包み込む。夜道に慣れた瞳には少々辛い量の光に思わず目を細めながら目的の商品を思い出していた。入り口のすぐ側にあるアイスは後回し。まずはお菓子の選別を……そう考え、目当てのコーナーを目指し、棚を曲がった矢先、


「っと、すみません」


 突然眼前に出現した人へ、僕は咄嗟に謝罪を口にした。


 棚に隠れていて気が付かず、あわや衝突間近。しかもガムが並べられた低い場所にしゃがみ込んでいたものだから余計に見えなかったし、危ないよ。


「……」


 だがその、同世代かちょっと上くらい? の女の子は僕に視線を向ける事すら無かった。どうやら相当熱中して品定めをしているらしい。手にしていたのは様々な味のあるチューイングキャンディーのイチゴ味。困ったな。その子はそれを凝視したまま、殆ど硬直していると言って良い程に動かない。あれは妹が所望する品の種類違いだから僕も目当てなんだけど。


 仕方が無い。邪魔しちゃ悪いし先に他を選ぶか。


 気に入られなければ、何かしらのいちゃもんを付けられ再度買いに行かされる可能性だってある。熟慮する時間が惜しい。他人に構っている暇など無いのだ。


 まあどう考えても邪魔はあっちだけど。


 カゴを手に入れた僕はまず、袋菓子を詰め入れた。味や食感、甘いものから塩辛いものまでを手広く手早く収容していく。恐らく夜更かしをするだろうからカップ麺や惣菜パンも一応。ドリンクを幾つか数種類、ウェットティッシュなどもあれば便利か。後は雑誌も幾つか買っておこう、こうして目を閉じれば『気が効く』と喜ぶ姿が……いやないな。それにしても何だか遠足前のようだ。童心を思い出して少し楽しいかもしれない。うん。アイスも入れたしこんなもんで良いだろう。


 後は妹に頼まれたチューイングキャンディーを買うだけだった、んだけど。


「……」


 僕が最初に見た時と変わらない姿で、あの少女はまだそこに居る。一体どれだけの時間悩めば気が済む? いっそのこと服屋が如く『何かお悩みですか』と声掛けてやろうか全く。


 フードの付いたスウェットに、足元はジャージにスニーカー。ラフな格好だ、どう見ても時間を持て余しているし他所行きでも帰りでも、道すがらでもないだろう。だとすればこの近辺に住んでいるのかも。もしかして同じ高校……いや、あの癖の付いたワインレッドのポニーテールは、一目見れば忘れたりしないか。


 鋭い目つきと神妙な横顔、ちょっと怖い系のタイプだ、しかし流石に面倒。というかこれ以上見ていると変態っぽいし。僕は強引に前を失礼するプランを決意すると一歩踏み出した。なるべくならもう足音で察して欲しいが、先程の様子を考えるに期待は出来ない。


 と、思ったけど。


 もしかしてようやく僕に気が付いたのだろうか。それとも苦悩の時間を終えたのか、赤髪の少女は突然立ち上がった。彼女の手にはイチゴ味のチューイングキャンディーが握られている。あんだけ散々悩んで結局同じものとは思ったが、まあ立ち退いてくれるなら何より。


 しかしレジには向かう気配が無い。それどころかその、イチゴ味を握った手は徐々に腹部のポケットへ近付いていく。


「マジか」


 マジか。


 呟きと内心が完全に一致し、僕の踏み出した足は止まらなかった。そのまま距離が詰まって……気が付くと僕はその細い腕を……商品がポケットに入る寸前の彼女の手を握っていた。


「僕ならもう少し、人目を気にするけどね」


 まるで幽霊にでも出会したかのように、僕へ向かって驚愕の顔をする見知らぬ赤髪の少女。いや驚きたいのはこっちの方だよ。


「まだ間に合う。欲しいなら僕がお金を出すからこんなことは止めなよ」


 だが犯罪を未然に防げて良かった。今ならあの忌まわしい「最初はパー」のじゃんけんにさえ感謝出来る。


「離してっ」


「ならまず君がそのイチゴ味を離してくれないか?」


「は? イチゴ味?」


 もしかして、何を手にしていたかも理解していなかったのだろうか。少女は言うと首を傾げて自分の手に視線を落とした。それから色白の肌を真っ青に染めて握り締めた手を震わせ、ぽとりと商品を床に落とす。何だか知らんが、どうも欲に駆られての行動ではないらしい。


「もういい、でしょッ」


 少女は呟き、僕の手を強引に振り払うとそのまま……行ってしまった。妙な様子、正直言えば追い掛けて詳しい事情を聞きたい衝動もあった、けど。


「あー。まあ良いか」


 被害者も加害者もいない結果を生み出せたのだから最良だろう。僕はイチゴ味を拾い上げてカゴに入れるとレジへ向かう。会計には現金ではなく電子決済を使った。犯罪も防げたしポイントも溜まった。これ以上何を望もうか。


 支払いを終えてずっしりと重たいレジ袋を受け取ると、ここ最近で一番清々しい気持ちで店から出る。後は帰宅し、心配事は彼女らが満足するかどうかだけ。


 そうして僕は鼻歌混じりで歩き出──


「えー」


 せなかった。


 僕の進行方向、視線の先には、先程の赤髪の少女が居たのだ。


 しかも今度は一人ではなく、大学生くらいの男3人組が少女を囲んでいた。少女に顔を近付けて何やら親しげに声を掛けている。知り合いとばったり遭遇したという事であればどんなに平和だったか……しかしそんな雰囲気ではない。少女は彼らと決して視線を合わせぬよう顔を下げていた。


「ど、どいてよっ」


 そうか細く声を上げ、男達はそんな少女の行手を阻むよう巧みに立ち塞がっている……ナンパだな。しかも結構強引な類のやつ。見れば先程まで閑散としていたコンビニの駐車場に、黒塗りの高級車が一台停まっていた。エンジンは点けっぱなしで、爆音と重低音を同時に響かせている。あれか、恐らく退店した瞬間に目を付けられたのだろう。いたいけな少女に迷惑をかけるだけでなく、環境破壊に加えて騒音被害まで。何と悪い連中だ。


 万引きを未然に防げたと思った矢先にこれ、流石に気が滅入る。


 まさか誘拐などに発展するとは思えない。放っておいても、彼らはいつかは諦めて解放するだろうが万が一もあるか。さてどうしよう。警察に通報? それとも何か嘘で誤魔化す? 望み薄。直接的な暴力手段は取りたくても無理だし、それこそ犯罪だ。どうにかして追い払えれば一番良いのだが……うーむ。追い、払うか。ならば最も効果的な方法は、


「すぅ……」


 と、意を決した僕は深く息を吸い込み、


「こらぁーッ!!!!」


 それから人生で一番と思える程に大声を出し、駆け出した。すると彼ら全ての視線は狙い通り反射的に、僕に集まってくれた。それでこそ喉を潰す程の絶叫をした甲斐があったというもの。


 ちなみに勿論、僕の頭がおかしくなったわけでもなく、恥じらいを失くしたわけでもない。いや勿論恥ずかしいけど、言うなればこれは仕方ないことで、必要な出費なのだ。人間は理解出来ぬものに相対した瞬間に最も恐怖するらしい。加えて動物を追い払うのには大きな音が一番だと、動画サイトで得た知識が正しいものであると証明する為の検証だった。だって僕だったらいきなりこんな、奇声を上げた人間が走って来たら怖すぎて一目散に逃げ出すぞ。


 そして彼らは立ち止まることを選んだらしい。いや効き目は抜群、正確には立ち竦んでいたと思う。これは好機と、僕はそのまま呆気に取られて唖然とした集団に突っ込み、本日2度目となる少女の腕を掴んだ。


「え?」


「走るよ!」


 多少痛いのは我慢して欲しいと脳内で謝罪をしながら、レジ袋の中にある炭酸飲料に一抹の不安を抱きながら──強引に腕を引き、走った。

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