金の髪

みると

ギャル

駅を出て広がる高層ビルを前に、信号待ちをする十数の人の中に彼女はいた。金髪の派手な髪に、胸元のひらけた制服、大きすぎて蛇腹のようになった白ソックス。おそらく、彼女はワイシャツの第二ボタンが外れているのを知っていたし、この靴下が自分には大きすぎることも分かっていた。


通勤時間と言うこともあってか、信号が切り替わったと同時に人々がせかせかと歩きはじめる。それにつられる人。僕もそれにならってついていったが、先頭を歩く人も何かにつられているような気がした。ただ、金髪の彼女は違った。スマホを片手に、大きい靴下にさえ波一つ立たせずに歩いている姿は、まるで何にも縛られていないように感じた。厳密にいえば、時間というものに縛られているのかもしれないが、少なくとも僕には自由に歩く彼女はとてもうらやましく思えた。そして、渡り切ったときには、まぶしいほどの金色を目で追ってしまっていた。



いつも通り、時間厳守で会社についた。部長に新しい顧客データの解析を頼まれたが、僕の頭の中は彼女のことでいっぱいだった。新種の生物でも見たかのような、そんな感じだった。結局、この日は仕事がはかどらず残業になってしまい、帰るときにはすでに零時を回っていた。




普段より、少し黄味がかった空気に目を覚ました。昨日の残業が相当きていたのだろう。妻が用意してくれていた朝食には手を付けず、横にあったコーヒーを一気に飲み干した。


「今日は何時ごろになるの。」彼女は夕べ使ったお皿を回しながらそう言った。独り言のようなトーンの質問に、僕はだいたい「今日は早めに帰るよ。」と返す。答えにそぐわない言葉だが、明確な返事が思いつかなかった。なにより、彼女は僕のことなど、さほど気にしていない様子だった。



妻とは、結婚して五年目になる。当初は、週末はデートをしたり、子作りにも励んでいた。しかし、五年ともなると一年目のようなフレッシュさはなくなってしまう。それこそ、レスになっていったり、ろくに顔を合わせて会話することも減っていった。別に、それに対して不満があるわけではない。彼女がどうかはわからないが、僕は彼女を必要としているし、今更、新しくほかの人と結婚したいなんて思わない。それは、愛しているというよりも、昔ガチャガチャで当てたストラップのような、希薄な思い入れがあった。



「いってきます。」



靴ひもを結びながら僕は言った。


当然のように、「いってらっしゃい。」は聞こえなかったが、僕はそれでいいと思えた。



一時間ほどの遅れで会社の最寄り駅に着いた。すでに遅刻は確定していたが、義務感からか少し足を速めた。建物越しに会社を見つめながら信号を待っていると、目尻から金色の髪が見えた。昨日の彼女だ。なんで、こんな時間に。なんて考えが脳裏をかすめたが、そんなことより初めて見た彼女の顔に驚いていた。銅色の眉毛、カールした長い睫毛、眼球のほとんどを占める黒目。目の周りにはキラキラと光るラメのようなものもあった。あるいは、あまりにも派手な目元のせいで輝いて見えただけかもしれない。これほどまじまじと人の顔を見ることはない。傍から見れば、変なサラリーマンに見えていたかもしれないが、それさえ気にならないほどに彼女の顔には不思議な魅力があった。いつのまにか、信号は青になっていた。疾うに、出社することなど頭からなくなっていた。



高揚感を片手に、帰路に着いた。だいぶ早めの帰宅ではあったが、なぜか後ろめたさはなかった。



家に着くと、掃除機の音がしていた。



「ただいま。」



そういいながら、靴を脱ぎすてリビングに向かった。もう一度「ただいま。」と声をかけると、妻は驚いた表情で振り返った。こんな早く帰ってきたら驚くのも無理はない。と思ったが「どうしたの。そんなうれしそうな顔して。」と彼女は言った。ふと、顔に手をやる。汗ばんではいたが、違いは分らなかった。ただ、明らかにいつもとは違う何かが脳内で分泌されていることは感じていた。「そんなことより、」考えるより先に口が動いていた。そして、昨日今日で見かけた金髪の彼女のことを、すべて話した。



「それって、ギャルじゃない?」「なにギャルって。」食い気味に僕は言った。聞き覚えのない単語に、そもそも聞き間違えではないのかと耳を疑ったが



「ギャル知らないの?」



やはり聞き間違えではない。おもむろに携帯を取り出し「ぎゃる」と打ってみた。すると、数枚の写真が出てきた。その中でも左から三枚目の写真が完璧に金髪の彼女と一致していた。



「ギャルってこれのこと?」



「そうそう。」



何年かぶりに妻と顔を合わせて話した気がする。優しそうな眉毛、少し垂れている目、ちょこんとした鼻、薄い唇。これほどまじまじと人の顔を見たことはない。彼女は鬱陶しそうな顔をしていたが、それさえ気にならないほどに彼女の顔には確かな魅力があった。いつのまにか、僕の顔は赤になっていた。



僕が彼女の夫であることや、彼女が僕の妻であることはお互いの認識でしかない。それは、他の誰から見てもギャルな人に比べて、愛がなければ存在し得ない、とても揺らぎやすいものだ。たぶん、僕は金髪の彼女のそこをうらやんでたのだろう。



母が僕を生んだ年齢より、もう五つも歳を取った。



きっと、僕は彼女の夫ではない。が、彼女は僕の妻なのかもしれない。

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金の髪 みると @gakusei_tadano

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