本文
玉虫イロハは揺るがない
河原で草野球の歓声。近くの高校の、ジャージを着た女生徒たちがひと固まりに横を通り過ぎる。
——ほら、あれ<夕暮れの君>。本物見ちゃった。
生徒の声が途切れ途切れに聞こえ、カケルは苦笑いを浮かべた。
自分が走りにこの時間に来ることが、どうやら噂になっているらしい。
カケルはずっとショートで通しているうえに背が高い。高校の時も、男性よりもむしろ同性(年下)にもてた。
ジャージ越しでもわかる脚の筋肉とちらりとのぞく割れた腹筋。表情に乏しいとよく
しかし自分が他人にどう見えるのかなんて、カケルにはどうでもいいことだ。
愛用の無印良品リュックのひもの位置を直すと、
走るのは好きだ。
リズムに合わせ、自分の肉体と会話する。そこには嘘も駆け引きも存在しない。
いつものコースを半分ほど消化した頃に、携帯が震えた。
『緊急招集、ランクC<
黄昏機関からのメール。場所も近い。
知る者は少ないが、夕暮れ時には魔物が現れる。やつらは人を捕食する。
黄昏機関は、その<トワイライター>に対抗するために作られた組織だ。
<トワイライター>は不定形、あるいは低級な動物を模したような姿をしたものから人間に近いものまで多様である。
中でも<
——お仕事、しますか。
カケルは黄昏機関に属する<
土手で今まですれ違ってきたような、一般人が襲われるのを平然と見てはいられない。それは自分が正しく前を向いている証拠だ。
リュックのひもの位置を直すと、カケルは現場に向かって走り出した。
* *
敵のデータを呼び出す。
<タートルヘッド>は人型とはいっても全身が鱗で覆われている、イメージ的にはリザードマンのような姿をした<トワイライター>だ。コードネームは頭部を体の中にめり込ませて隠すのが目撃されたからだろう。鱗を硬化させて攻撃や盾に使う、防御力に秀でたタイプ。
目撃現場に着いて、あたりを見回す。
そいつは探すまでもなかった。
プロレスラーが無理やりスーツを着たような、パッツンパッツンな体に中学生の頭が乗っていた。
カケルは背負っていたリュックから白いグローブを取り出して両手にはめた。エアの抜ける音がして、自動的に手首が締まっていく。バチンと胸の前で打ち鳴らすと、<トワイライター>へ向かっていく。
そいつはカケルに気づくと、
「あア、<
ぬるりと敵の背後から影のように現れたのは、猫科の大型獣めいたもう一匹の<トワイライター>。目はなく、口が裂けたように長い。そしてデタラメな規則性をもって長い牙が何本も生えていた。
カケルは構えた。シュートボクシングのオーソドックススタイル。打撃技蹴り技が主体だ。関節技もできるが、そもそも相手が人型ではない場合も多いのでなかなか使う機会がない。
獣はぐっと屈みこむと、俊敏に跳ねてカケルに襲い掛かる。
カケルは反応して迎撃する。ジャブからのワンツーが綺麗に
と、不自然に空中で横に一回転し、何事もなかったかのように地面に降り立った。
何か納得いかなそうにしている様子だ。
「アレの牙で貫ケんとハ——グローブは特別製か。だが、アレは隠れルのが得意だぞ。保護色ってイうのを使っテな? 見えナい敵かラ身を守り通セるか?」
獣の姿が見えにくくなる。あの<トワイライター>には体毛はなかったから、恐らくイカのように細胞の体色を変化させるのだろう。
ステルス持ちとは厄介な。
カケルは勘と反射神経のみで攻撃をかわす。しかし、百パーセント避け続けることは無理だ。
けれど、相棒の能力なら。
そう思った時。
目に映る、景色が変化した。
色がより鮮やかに感じる。
画像処理で彩度を上げたような、感覚。
「ごめーん、遅れた」
「……遅いよ」
<
さすがに<女王>は半分くらい
長髪をシルバーに染め、毛先の方には青色を入れている。それをツインテールにまとめ、ガーリーで目の覚めるような青のワンピースを着た彼女は、どこのコスプレ会場から抜け出てきたのかと思わせる。だけど、それが彼女の普段着なのだ。
「仙台から帰ってきたばっかりなんだ。あとでお土産あげる」
「あいつ、ステルス」
「ふーん。一匹だけよね、見たところ」
「ああ」
姿が見えないはずなのに、さらりと彼女は言った。
突然に獣型の<トワイライター>の全身が赤くなった。そいつは戸惑いと焦りに激しく体を震わせるが、ステルスは無効化されて赤く染められたままだ。
カケルは一瞬で距離を詰めると、アッパーカットからの回し蹴りを放った。この強烈なコンビネーションには耐え切れず、獣型の怪物は吹っ飛んだ。
ほいっと彼女はチューブを二つ並べたような
彼女——カケルの
「……奇妙ナ能力だな。強制暗示に近い——ノか?」
「ふっふっふっ、結構いいとこついてるね。あたしは絶対色覚を持ってる。何者もあたしの目を誤魔化すことはできないわ。普通の催眠暗示だと言語で指示しなきゃいけないけど、あたしはイメージそのものを投射できる。カラスを黄色く見せることだって簡単よ。これがあたしの『
「人間レーダーみタいなモのか。索敵にはいいだろウが――戦闘向キではナいな」
<タートルヘッド>は大きく踏み込んできた。巨体にしては素早い動きで、太い腕を振り回しイロハを殴りにかかる。
「そんなこたぁ
<タートルヘッド>の拳は確かに青いものを捉えた。しかし、それはイロハではなかった。
「……人形?」
口を縫われた兎の人形。爆発した。
「ウぉつ!?」
爆弾の威力は高くはない。むしろ閃光と、噴き出した煙があたりを取り巻いて視界を遮る。
目くらまし。<タートルヘッド>は両腕の鱗を硬化させ、防御の体制をとる。
煙を突き破ってカケルが距離を詰める。
「あんたの相手は、私」
それ程重いパンチとも思えないカケルのファイトスタイルは、<タートルヘッド>には無謀そのものに見えた。
カケルの素早いフックが来る。右腕を上げてガード。
「?!」
衝撃は左肩にあった。さらに数発の攻撃をガードする。拳が当たったところと、衝撃の来る場所が違う。
強引に返した一発は、アームブロックで防がれている。
「成程ナ……だガ、相性が悪かっタな」
たいていの相手なら、防御しきれないだろう。だが。
<タートルヘッド>は全身の鱗を硬化させ、頭を半分近くめり込ませた。動きは鈍くなるが、防御力は跳ね上がる。
「全身ヲ守れば済むコと」
「あら、そう」
イロハの粘着風船が足に当たる。足が地面から離れない。
「ふザけるナぁっ!!」
地面を叩いた。アスファルトが割れる。
「ふざけてなんてないしぃ。今度の
動きが鈍ったとみて、イロハは背中に人形を張り付けた。
さっと身を引くと同時に、爆発。
爆風を貫通型に調整した特別製だ。
イロハの能力はそう、戦闘向きじゃない。もっと後方に下がって、支援に徹してもいいはず。
だけど、イロハは違う。敵の牙が届く前線まで来る。私の場合はとりあえず拳の当たる範囲まで接近しなければどうしようもないからだが。
——あなたが叩ける距離まで、あたしがサポートする。だから、あたしと組みましょう——。
そうイロハは言った。
だからここからは——私が仕留める。
ずしん、と妙な音がした。
カケルが両手両足につけていたウェイトを外して、落とした。その音。
<タートルヘッド>は驚愕した。
——俺と今まデ、重りをツけたまマで戦っていタのか。
カケルが来た。
踏み込みが速い。
威力そのものは軽いが、今度は手数が違う。打ち返す隙がない。
——
カケルは打ち続ける。
どうせカケル自身では、打撃点と作用点のズレをコントロールできない。だったら、弱点に当たるまで打ちまくればいい。
そう思って始めた訓練が、意外な効果を生み出した。
「なまじ防御力に自信があるから、受けきってやろうと考える。それが命取りなのよ。カケルの打撃は作用点をずらすだけじゃない。連続してヒットさせるごとに威力が上がっていく特性があるの。つまり、カケルのアホみたいな体力があれば——鋼鉄のドアだってぶち破れる!!」
イロハは言い放った。
「これぞ『猛虎百撃拳』!! 食らって負けろ!」
——いや、やってるの私なんだけど。あとアホとか言うな。
とカケルは思ったが、手を止めることはできないのでとりあえず敵に集中する。
「うおおおっ」
ラッシュ。ラッシュ。ラッシュの上にまたラッシュ。
「なンだ、と——この俺が、押シ負ける!!」
ついに鱗にヒビが入った。
バキッと一つの鱗が割れると、連鎖的に多くの鱗を巻き込んで破壊されていく。凄まじい衝撃の嵐が<タートルヘッド>を襲った。
「グェええ——っ」
内臓に大ダメージを負い、吹き飛ばされる。
<タートルヘッド>は体を捨てて、小さな足が生えた頭部だけで逃げだした。
「あんたの敗因はね、脳筋の体力を
自身が赤く染まっていることに気づく。
カケルが息も切らさず近づいてくる。
大きく振り上げられたかかとが、重力とともに落とされる。<タートルヘッド>の頭部を叩き潰した。
「あー終わった終わった」
「イロハ! あんたさっきからアホだの脳筋だのって、どういうこ——もぐ」
イロハは問答無用でカケルの口の中に萩の月を押し込んだ。
動いた後に心地いい甘さ。
「回収班が来たら支部に顔出さなきゃね。いまどき報告書が紙でないとダメって、バッカみたい」
そのまますたすたと歩いていく。
「待ってよ、イロハ」
カケルが追うと、いきなり振り向いて、タオルを首にかけた。
ふわりと花の香りがする。
「——お疲れさま」
イロハは微笑んだ。
——まったく。
でも、私が見る景色が少し鮮やかになったのは——彼女の能力のせいばかりではないだろう。彼女が己の道を行くその姿は、少しばかり
玉虫イロハは揺らがない。
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