創作お題メーカーより
桜良ぱぴこ
明日いないわたし
いまここにいる「わたし」は誰なんだろう。自分のことはわかる。記憶喪失とかそういう類いのものではなくて、ただぼんやりと、自分の在り方に疑問を抱く。
まるで自分を遠くから見つめているような、幽体離脱とも違うなにかが作用している気がする。俯瞰している「わたし」は誰なんだろう、と先ほどから考えているのだ。答えの出ない問答に、半ばどうでもいいことのようにもおもえてくる。
不思議な感覚。でも嫌な気分はしない。
ふわりと漂う「自分」のことを、わたしは明確に感じ取っている。ではそこにいる「自分」は?
目を閉じてみたらどうだろう。素直に従って両の瞼をくっつける。ひかし残念なことに、なんら変化はなかった。
ただ、「わたし」を強く意識することはできた。でもそれが「どちらのわたし」なのかは判然としない。ゆったりと流れる時に身を委ね、そのまま眠れてしまえたらいいのにと頭の片隅でおもう。日の当たる部屋に転がっているような、冷たい床で熱を冷ましているような、どっちつかずの心地よさがあった。
これはいつまで続くのだろう。そもそもいつからこうなっていたんだっけ。
次第に考えることそのものが面倒になってきて、たゆたう自分のすきなようにさせた。
どこかで鳥がさえずっている。そういえばいまは何時なのだろう。時間的感覚もどこかに置いてきたようで、まるで閉じ込められた籠の鳥だ。いま鳴いた鳥が自分の泣き声のような気がして、流れない涙をこぼしているような錯覚に陥る。
さて、これからどうなるのだろう。
このままずっと漂っているのだろうか。それとも「なにか」に変容するのだろうか。
目を開けて見渡す先にはたしかに光がある。けれど光があるなら反対側には闇もあるのだろう。
どっちに転んでも後悔はない。それがいまの「わたし」だから。
きっと強く望めば「わたし」に還れる。でもそうしたくない自分もいる。
このままただ身を任せて流れ着く先のほうが、「わたし」には重要なことのようにおもえた。
この空間――と言っていいものなのかはわからないが――ではすべてが自然体なのかもしれない。となると、「わたしらしきもの」のままでもいい気がする。
たしかにわたしはここにいる。しかしそこにもいる。なにをどう取り違えたのかはわからないが、この源流から大海原へ進んでいるような感覚はなかなかに面白い。それだけで、もう充分にもおもえる。
特に主張すべきこともない。考えることを放棄するだけでこんなにも楽になれるなら、いっそこのままでもいい。
しがらみから解放されるだけでこんなにも幸せになれるのなら、それはもう「自分」ではないのかもしれない。ただ厄介なことに「わたし」という意識だけはある。どこの誰かさえも忘れてしまえたらもっと楽になれたかもしれないのに。
ふと手を伸ばしてみる。なにかをつかまえるようなことはできないが、その挙動さえ「自分」のものではないような気がする。けれどそれは別に楽しいものではなかった。どころか、どちらかといえば不快だった。
このままじっとしていよう。そうすればほら、またさっきまでの「わたし」に戻れる。
天井の辺りから己を見つめ、「うえにいるわたし」は「したにいるわたし」を見て笑う。
あなたは可哀想ね。こんなにも素敵な気分を味わえないのだから。
しかしここで違和感を覚える。なんだか急に「わたし」が急速に遠ざかっていく気がする。
――あなたは誰?
もはや「わたし」ではなくなりつつある「自分」のことを、どんどん他人が占拠していっているのではないか。それはもう誰でもないのではないか?
彼方からやってくるのは無だ。なんとなくかんじるその存在に、「わたしらしきもの」は身震いした。
ああ、もう戻れないのね。
混沌とした世界に呑み込まれていく「わたし」は、ふいに「なにものでもないもの」になった。
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