恋心

海里

恋心

第1話 慣れない生活

地元の大学を卒業して地元で働くことは、高埜たかのなつきにとっては悩む余地がない選択だった。


その計画が大きく崩れたのは、採用先の企業からの入社直前の連絡に端を発する。


勤務地はなつきの地元ではなく、本社のある東京に変更したいという通知に、まず拒否反応が出る。内定辞退をしようと周囲に打ち明けたところ、せっかく名のある企業に就職できたのだからと説得されて、なつきは生まれ育った街を離れることになった。


寮制度があると人事部経由でいくつかの候補物件の提示があり、その中の一つを駅からの近さで選んだ。


少ない私物だけを運んで、見知らぬ街でなつきは生活を送ることになった。


高校時代の友人の中には、大学から地元を離れた存在もいる。この大きな街のどこかで暮らしているらしいことは知っていたものの、あまりにも大きすぎる街ではすれ違うことなどまずないだろう。


とはいえ、大学時代には一度も連絡をしなかった相手に今更連絡することは躊躇われた。

 

不安を抱えたままなつきは入社式当日を迎え、忙しない社会人としての日常が始まる。

 

仕事内容は先輩が親切に教えてくれたので、それほど戸惑うことはなかったものの、聞き慣れた方言のない標準語での会話は無機質に感じて、地元への恋しさで夜によく一人で泣いていた。


「なつき、来週金曜に合コンやるんだけど行かない?」


なつきにそう声を掛けてきたのは同期で営業部門に配属された浅河あさかわ雛葵ひなきだった。雛葵はいい男を捕まえるためだけに努力して今の会社に入ったと公言する存在で、その考えに協調はできないものの、なつきにとっては話しやすい存在だった。


「うーん……」


恋人がいれば淋しさが紛れるかもしれないという思いがあり、何度か雛葵の誘いで合コンには参加した。


ただ、今まで積極的に異性との出会いの場に出たこともなければ、ノリのいい方でもないなつきは、ただその場ににいて流れに身を任せているだけで、いつも帰り道には参加したことへの後悔を感じるだけだった。


合コン相手から雛葵経由で連絡先を聞かれたこともあったが、数名の参加者のどの人からの申し出かもなつきには判断ができず、そんな自分にはまだ他人とつき合うようなスキルはないと断ったこともある。それでも雛葵は何かとなつきに声を掛けてくれる存在だった。


「私が行っても盛り上がらないよ?」


「今回はなんと全員T大卒のエリート。真面目ななつきにも合う人が見つかるかもしれないよ?」


「人数が足りないなら参加してもいいけど……」


声を掛けてくれた友人の誘いを無下に断るわけにもいかないと曖昧な返事を返した。


数日後に雛葵から集合場所と会費を知らせるメッセージが届き、金曜日の定時後の予定が決まってしまう。


なつきの定時後の予定など日常生活に必要なものを帰り道のスーパーで仕入れて家に帰るだけで、合コンによって何か支障が発生するわけではない。


それでも気重なままで金曜日を迎えていた。


朝、いつもより少しだけ着る服に気を配って準備を整え、満員電車で会社に向かう。


雛葵に可愛い格好でと指定されていたが、なつきは自分には『可愛い』と形容される服が似合うとは思えなかった。


なつきは感情を表現に変えることが苦手で、そのせいでクールだったり、無表情だったりと言われることがよくある。可愛らしい格好には、それに相応しい表現力も必要で、ちぐはぐになるくらいならと、単色同士のシンプルな上下の組み合わせを選んだ。


今回もただ参加するだけのものなるだろうと予測できていたものの、定時後に雛葵ともう一人声を掛けたという雛葵の知り合いと合流して集合場所に向かった。


集合場所の駅前の彫像の前には、程なくして男性3人も現れる。

一人は眼鏡を掛けたスーツ姿の男性で細身でマラソンでもやっていそうなタイプ。もう一人の眼鏡を掛けていない方のスーツ男性は中肉中背だが爽やかな笑顔が印象に残った。最後の一人だけはスーツが必須の会社ではないからとTシャツにジャケット姿で、眼鏡を掛けているせいか知性的に見えるタイプだった。


顔を覚えるのが得意でないなつきにとっては、ぱっと見た違いがある3人で、間違えることがないのは助かった。


店では大学時代からのつきあいだという3人の学生時代の話で盛り上がったが、なつきは相槌を返した程度であまり話には乗れなかった。


なつきの大学時代の友人たちは地元に帰ったか、そのまま大学のあった街で就職した人がほとんどで、なつきのように就職で遠方に移った存在はいない。


だからこそなつきの身近にはあの頃を語り合える友人が今はおらず、3人の仲の良さに羨ましさがあった半面、友人に会えない淋しさも感じていた。


大学を卒業して、引っ越して1年以上経っているのにまだなつきは何も変われていない。


「高埜さん、大丈夫?」


トイレに行く振りをして席を立ち、少し店の外で休憩していたなつきに声を掛けてきたのは、唯一眼鏡ではない存在で、名前は古嶋こじまだったと薄い記憶を呼び覚ます。


酒に少し酔ったようだと誤魔化すと、古嶋はなつきの隣に並び壁に背を預ける。


「無理して飲まなくていいですよ。俺たちは際限なく飲むので」


「強いんですね、3人とも」


「3人で飲むようになって余計に強くなりましたね。高埜さんはあまり飲みに行かれないんですか?」


「私は社会人になって地元を離れたので、そういう友人も少なくて」


「じゃあ、今度2人で飲みに行きませんか?」


「えっ?……」


「いきなり2人は無理ですか? 高埜さんのことをもっと知りたいなって思ってます」


その日は考えさせて欲しいとだけ返事をして、その後雛葵との相談の結果、雛葵とジャケットを着ていた方の男性と4人で遊びに行くことになった。


悪い人ではないとは思っていたが、なつきは古嶋にどうしても興味を持てなかった。やさしくて、紳士的だが、会話が上滑りするだけで、自分が求めている淋しさを埋める何かになる気がしなかった。


その後正式につき合って欲しいと言われたタイミングで、なつきは古嶋に断りを入れていた。


雛葵にはそんなものはつき合っていく中で徐々に変わって行くものだと文句を言われたが、誰ともつき合った経験のないなつきが想像することは難しい。古嶋のことが嫌いなわけではなかったが、古嶋に何を言われてもノーしか返せそうになかった。


一方で、雛葵は交際が順調に始まったらしく、それ以降合コンに誘われることもなくなっていた。




帰りたい。




なつきにあるのはそれだけだった。


家族が恋しいではないが、今の街に自分の居場所がない気がしていた。

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