白のおくりもの

小畑 こぱん

白のおくりもの

『おじいちゃん、おじいちゃん! ねぇ、なんでタヌキさんはいってないのに、たぬきそばっていうの?』


 私の目の前にあるお揚げが乗っかったうどんとは別に、天ぷらが乗っかったそばの、まだ蓋が閉まった状態のカップ麺。

 それぞれのその上にティッシュの箱をちょこんと乗せて出来上がりを待つ間、私は祖父へとそんな質問を投げかけていた。


 こたつでぬくぬくとし、時計の秒針を見つめていた祖父はそこから目を離さぬままに、ふわりと口を開けた。


『そうさなぁ……。色々理由はあるんじゃが、関東と関西……分からんか。東と西はわかるかのう?』

『え? うーんと、うーんと。あっちとこっち!』


 指を左、右へと順に指す私の仕草を見てもいないのに、『賢いのぅ』と言う。

 しかし単純な私はその言葉を聞いて、誇らしげにえっへん!と胸を張っていた。


『東の方ではのう。天ぷらを乗せたそばのことを“たぬき”、と言うんじゃ。動物のタヌキも身体は雪子ゆきこのように貧相なのに、毛を生やして雪子みたいにいっぱい着こんでぬくぬくしとる。乗せる天ぷらものう、具を包んでいる天ぷらの衣の大きさのわりに、中身が小さいんじゃ。その中身のことを“たね”がないという意味で、“たね抜き”。それが“たぬき”と言うようになったそうじゃ。分かったかの?』

『うーん。ゆきよくわかんなぁい!』

『まだ小さいけぇの。えぇ、えぇ。大きくなったら分かることよ』


 時計を見てコク、コク、と頷く祖父に答えが理解できなかった私はぷぅと頬を膨らませる。

 そして視線を時計からティッシュ乗せカップ麺へと移した祖父の手がそれをどけ、蓋をペリリと開け始めた。


『おぉ、つゆのえぇ香りがするのぉ』

『できた!? ゆきもたべていーい?』

『雪子はダメじゃ。お前のはあと二分待つんじゃ』

『えー!? おじいちゃんさきにたべちゃうの!? ゆきのことまってくれないの!?』

『待っていたらわしの、のびるじゃろうが』

『ずるーい! おじいちゃんずるーい!!』


 わめく私を尻目に、ズルズルとそばを啜り始めた祖父にこたつをテシテシ叩きながら、『おじいちゃんのイジワル! かみのけまっしろー!』とただ事実を言っただけの悪口にもなっていない文句を聞いて、祖父は『ふぉっふぉっふぉ』と笑っていた。

 そうして祖父がゴーサインを出してようやくお揚げの乗ったうどんを、待たされた私は期待に胸を膨らませて、ちゅるちゅると頬を赤く染めながら食べ始める。


 それまで抱いていた祖父へのモヤモヤを、現金にもうどんを食べることが叶って気持ちホクホクになった私は隣の祖父を見上げて。


『おいしいね! おじいちゃん!』

『おいしいのう』


 相変わらず私の方を見ずに、祖父はそばをズルズルと啜っていたけれど。

 『いただきます』のタイミングは違っても、『ごちそうさま』を言うタイミングは同じだったので、最後はいつもほっこりとした気持ちになった。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「……もう、二十八年かぁ」


 祖父は私が小学校に入学した冬の季節に、患っていた持病が悪化して亡くなった。


 私の実家は飲食店を営んでいて一人娘だったことから、忙しい時期は近いところに住んでいた祖父の家へとよく預けられていた。

 既にその時は祖母も亡くなっていて、いつも私と祖父の二人だけだった。


 冬の季節に預けられていた私と祖父のお昼はいつもカップ麺。

 祖父曰く、『朝と夜は家で手の込んだ手作り食べるんじゃから、昼くらい簡単なものでもよかろう』ということ。

 普段祖父は自分でちゃちゃっと料理するくせに、私がいる時だけカップ麺だった。どういうことだ。


 目の前にある、ティッシュ箱を乗せた緑色のカップ麺を見つめていたら、ふとそんな昔の記憶が呼び起こされた。


 私も今はもう三十四歳。

 二十七の時に結婚しその翌年に子供を出産して、立派な一児の母となっている。

 子供は現在小学一年生。夫は中小企業の管理職と、中々平穏な人生を歩んでいる。


 今日はパートが休みの日で、平屋の一軒家でまったりとダイニングテーブルに置いた緑のたぬきが出来上がるのを待っている状態。

 テレビをつけない、時計の秒針がカチ、コチ、と鳴るのをBGMに頬杖をついてその時を待つ。


 ……そう言えば、祖父と二人で出来上がりを待っている間もテレビはつけていなかった。

 あの場にあったのは、時計のカチコチ音と幼い私が喋る言葉だけだった。祖父の目はいつも時計の針を追っていたけれど、耳はいつも、私の方を向いていた。


「難儀なおじいちゃんだったなぁ」


 大人になってから分かるとは、本当にあの祖父はイジワルだ。


 そして祖父が亡くなった時を皮切りに、それまで甘いお揚げが好きで選んでいた赤いきつねよりも、緑のたぬきを自然と選んで食べることが多くなった。

 一階でお店をしている家の二階で一人、テレビをつけて緑のたぬきが出来上がるのを待っていた。


 いっつもあと二分待たされていたから、出来上がったそれは少しだけのびていたけれど。


 ボーッと時計を見てそんなことを思っていたら、ハッとした。


「あっ! また時間過ぎちゃった!」


 慌ててティッシュをどかしてペラリと蓋をめくり、箸で麺の硬さを確かめると、やっぱりあの頃のように少しだけのびてしまっていた。


「あーあ。まぁ柔らかくても美味しいから、別にいいんだけど。つゆの染み込んだ天ぷらの旨みがそんなの関係なくするから、別にいいんだけど」


 けれど麺はどちらかというと硬い方が好きなので、いつもやっちゃったという気持ちになる。

 猫舌なので湯気の立つ麺をふーふーと息を吹きかけて冷ましていると、コンッとダイニングから直接庭に出られる、掃出し窓に何か軽いものが当った音が聞こえた。


 何かと思って顔を向けると、掃出し窓から庭に出るために設置している木製のステップ台に、緑色をした何かがあるのが見える。

 一応住宅と道路はコンクリートブロック塀で仕切られており、家の周りも目隠しフェンスで覆っているから、まず泥棒の線はないと思いたい。


 部屋の中から一応護身用に夫のゴルフクラブを持って窓を開け、恐る恐る庭へと出て見れば、緑色の何かは私が食べようとして中断している、あの緑のたぬきだった。


「……え? 何これどこから??」


 と、その時ガサッと葉が擦れる音がしてハッと顔を向けると――白い体毛の犬のような動物がいた。

 え、どこから侵入した?


 その白い犬のような動物と見つめ合うこと数秒、犬っぽいものはその身を翻してコンクリートブロックの透かし模様で開いている箇所から、軽々と脱出して行った。


「え? 野良犬? でもあの形、どちらかと言うとタヌキっぽかったような。え、白いタヌキとかいる??」


 どちらにしても家の裏側が山なことから、恐らくあの山からやって来たのだとは思われる。


 けど、え?

 もしかしてあの白いのが、この緑のたぬき置いていったの? どうやって持って来たの??


 呆気に取られながらもそのままにはしておけないので、その緑のたぬきを手に室内へと戻る。

 裏側を見ると引き摺ってきたのか、擦れてちょっとだけ底がちびていた。


「……おじいちゃんの髪の毛も、あの白いのみたいに真っ白だったな」


 昔のことを思い出していたからだろうか。

 何となくそんなことを呟いて、取りあえず泥棒ではなかったことにホッとしはしたのだが。


 テーブルの上の未だ湯気を立たせている中断したままのそれを見て、再度私はハッとした。



「――麺めっちゃのびたじゃん!!」



 どこからか、『ふぉっふぉっふぉ』と楽しそうな声が、聞こえた気がする。


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白のおくりもの 小畑 こぱん @kogepan58

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