梅雨入り

ユウキ

無題

 胸元までかかる黒髪、膝丈の黒いワンピース(本人曰くグレーがかった紺色)、真っ赤なランドセル。

 私の、娘。


「生理きたから。」

 私が仕事から帰ると、事もなげに娘はそう告げた。

「えっ。」

「自分でできるから。報告しただけだよ。じゃあ。」

 娘は自室へとスタスタ向かっていく。ドアを閉めきる直前、「あ」と思い出したように隙間からニュッと顔を出して「赤飯とかいらないからね。」そう言い、今度こそぱたりとドアを閉めた。


 その日から我が家のトイレの隅には、百均で売ってるような蓋のついたシンプルなゴミ箱と、これまた百均で売ってるような蓋のついたシンプルなカゴが置かれるようになった。カゴの中身はもう買ってきているようで、テキパキと自分で設置していた。

 その日の夕食はレバニラ炒めを作った


「子供ってどうやってできるの?」

 そう聞かれた時も全てを誤魔化さずにはっきりと伝え、自分の体は自分のものだと教えた。その頃の娘は今よりも更に幼く、非常に淡泊な反応をしていたが、素直にコクリと頷いて見せた。

 生理についてもいつかくるだろうと、いつきても大丈夫なように、前々からネットや本で調べておいた(情報社会様様だ)。…があまりにも娘がしっかりしすぎて私の備えなど不要だったのではないだろうかという気さえしてくる(勿論不要なんてことは絶対にないのだろうが…)。


「今日も早起きだなぁ。」

「うん。」

 娘はスタスタとトイレへと向かう。

「あれ、布団を片付け忘れている。」

 珍しいなと思いつつ、朝食を作り終え丁度手が空いていた私は、片づけておいてやろうと掛ふとんを持ち上げる。その下の淡い水色のシーツには、真っ赤なシミができていた。

「おわっっっ…!!?」

 普段見ることのない大量の血液に一瞬血の気が引いたものの、すぐに状況を把握した私は汚れた布団を片付けようとした。…のだが石鹸と洗剤だけで綺麗に落ちるものなのか、それ以前にこういった後始末を父親の私が勝手にしてしまっていいものなのだろうか。

 どうしたものかとあたふたしていると、いつの間にか娘がトイレから出てきていた。

「あ…」

「ん?あー…」

 娘はスタスタとこちらへ向かい、

「ちょっと失敗しちゃったの。トイレ出てきたら片そうと思ってたんだけど。」

貸して、と私から布団を奪い、テキパキと後始末をし始めた。


「いただきます。」

 今日の朝食は、目玉焼きとベーコンを乗っけたトーストと、スーパーで買ったコーンスープ。

 もそもそとトーストを食べ進め、中央の黄身にかじりつくと、半熟の液体がこぼれだす。

「ほんと、ごめん…」

「なにが?」

 口についた黄身をティッシュでふき取りながら、娘はこちらをジッと見つめる。

「いや、私、デリカシーがなくて…」

「別にいいよ」

「その、ごめんな…」

 私は、心底申し訳なく思いながら頭を下げた。

「あのさ、何回も謝られるほうが気まずいんだけど。そーゆーのやめて。」

「ご、はい…!」


「(はぁ…。)」

 洗い物をしながら、脳内で盛大にため息をついた。

「(娘はしっかりしているというのに、私ばかりが動揺してどうしようもない…。)」


 小学五年生。まだまだ幼い盛りだというのに、周囲よりも大人びた少女。

 幼少期は無邪気に外で焼けていたのに、学年が上がるにつれ、どんどん肌を白くし、髪を伸ばし、まるで亡き妻に羽化しようとしている風にすら見えた。

 きっと、いつも寂しい思いをさせてばかりだったせいだろう。


「よし、そろそろ出るか。…あれ?」

 いつもなら先に玄関で待機しているはずの娘がどこにもいない。

「忘れ物でもあったか?」

 娘はまだ学校まで時間があるものの、私はそろそろ家を出ないと会社に間に合わない。鍵を娘に任せて私だけ先に出ていてもいいのだろうが、極力娘が一人きりになることは避けたい私は、いつも同じ時間に家を出るようにしていた。

 リビングから奥の部屋へと進むと、そこには、畳の上で赤子のように丸まりながら横になる娘がいた。

「どうした、具合、悪いのか?」

「…」

「黙ってたらわからないだろ?」

「…いたい」

「いたい?あっ…!」

娘が辛そうに発した一言で、私はようやく状況を把握した。

「ごめん!」

「…」

私は寝室から季節外れな毛布を持ってきて、横たわる娘にそっとかけてやった。

「あっ、えっーと!他に必要なものあるか?」

「…おなか」

「…お腹を、さすって」

「えっ、俺が!?」

 さっきから声が大きいんだけど、と言いたそうにムッとした表情でこちらを見やる娘。娘はしばらく黙り込んだ後、「わかった、気持ち悪いこと考えてるから嫌なんだ」と、とんでもないことを口にした。

「お前…そういうのは冗談でも勘弁してくれよ…」

 そんなおぞましいことなど考える訳もない。まともな男親なら、年頃の娘への接触に抵抗があるのは当たり前だ。

 私はため息をついた後、「わかったよ…」と、しぶしぶ娘のお腹に手を伸ばす。

「(こういうの、女の子は嫌なんじゃないだろうか…)」

 恐る恐る触れた体は、とても華奢で、薄っぺらい。何があろうと私が守らなければ。妻の分まで、絶対に。

「これで大丈夫か」

「…」

 娘は力のない動作で、さすっていない方の、私の空いている手を雑につかみ引き寄せた後、そっと頬ずりをしてみせた。その仕草はまるで猫のようだった。

「お父さん…」

 そうぽつりと呟いた後、すぅすぅと小さな寝息をたてはじめた。

 穏やかな寝息はやがて降り始めた雨の音にかき消されてゆく。

 秒針と雨音だけが鳴る部屋で、カーテンがじっとりと垂れさがっていた。

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梅雨入り ユウキ @yuu_ki_01

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