婚約破棄狙いの悪役令嬢は結婚した。ヒロインと!
エノコモモ
婚約破棄狙いの悪役令嬢は結婚した。ヒロインと!
「マーガレット・エイマーズ!!」
晩餐会の場に、一際大きな声が響き渡る。それと同時に人の波が割れ、道が作られた。名前を呼ばれたマーガレットと、そしてその婚約者へと繋がる道が。
「貴様の悪行は全て聞いたぞ!」
ハルフォード王国第三王子、クリフトン・ハルフォード。
端正な顔立ちを怒りで歪ませ、強く引き結んだ口からは悪を断罪する言葉が飛び出す。若い女性から年配の女性まで、人気が高いのも納得の正義漢だ。
「ここに居る、シェリー嬢からな!」
そして同時に、もたらされた情報を裏付けもなく信じる単細胞である。父親の権力を笠にきて、己が正義に違いないと公然と人を断罪する。人間としては下の下の下。だがしかし顔と地位と血筋、そして親の七光りと言う最強の名声は、奴を今時女子が選ぶ結婚したい男ナンバーワンの座に押し上げた。
「くそムカつく…」
「なんだ!?マーガレット!申し開きがあるなら聞くぞ!」
「いえ、なんでも…」
気付かないうちに、悪口が溢れていたらしい。前世モテなかった時の僻みが出てしまった。
そして単細胞王子の隣には小さな影。柔らかな曲線を描く長髪が、照明に当たってちかちかと煌めく。
「シェリー嬢は、マーガレット。貴様のアカデミー時代の学友だ。彼女にしてきた数々の嫌がらせ!忘れたとは言わせんぞ!」
彼女の名前はシェリー・スワン。スワン地方の領主の娘だ。彼女が学友なのは本当だが、それ以外、主にマーガレットによる苛めの件はまるっきり嘘。嫌がらせどころか、話したことすら数える限り。つまるところこの一連の流れはシェリーの計画。好意を寄せる相手の婚約者をその座から引きずり下ろす為の策である。
シェリーが一生懸命この計画を立て、実行しようとしていたことは知っている。そうまでして奪いたい程度には、この単細胞王子が好きらしい。健気なことだ。
「極め付きはこれ!父上の装飾品だ!特注で作らせた唯一無二の品!これが貴様の馬車から出てきたことが、窃盗の何よりの証拠だ!」
印籠よろしく掲げられたのは、スパンコールや宝石など華美な装飾が施された男物のパンティであった。初見のそれを見ながら、思わず呟く。
「趣味悪…」
だいぶギラギラしたパンティを見ながら、思わず感想を述べてしまった。頼まれても誰が盗むものか。て言うか国王はそれを一体何に使うんだ。
さて。悪趣味なパンティを盗むと言う不名誉極まりない濡れ衣を着せられても尚、婚約者から強く責め立てられても尚、当の悪女・マーガレットがここまで冷静でいられるには理由がある。
マーガレットならぬ俺は、男だからだ。
とは言っても物理的に男であるわけじゃない。さらさら揺れる黒髪に、つりぎみの大きな瞳。やや悪役感のあるきつめの顔立ちではあるが、とても可愛い美少女である。
俺は元々、地球で暮らすごくごく一般的な大学生だった。トラックで轢かれそうになった子供を身を呈して助けたことで異世界へ転生。ここまではありがちなコースだろう。
だがしかし生まれ変わる先は最強の勇者かなと期待して生まれた先は何の因果か、女性向け、所謂乙女ゲームの世界であった。
そんでもって転生先は王都でも屈指の良家の令嬢。問題は、両親がだいぶ歳を取った後にできた一人娘だったことだ。他に子供が生まれなかったこと、任期を終えたことなど複数の要因が重なり、残念ながらエイマーズ家は家じまい。誰かが継ぐことはない。領地や仕事は王国管理委員会が引き継ぐだろう。
そして引退を前にした両親は可愛くて仕方のない娘のために、最高の縁談を用意した。その相手が、うら若い女子達に大人気の第三王子。
嫌である。激しく嫌である。相手が誰だろうが、たとえ性別が変わろうが、俺に男と結婚したい趣味など今も昔も皆無。しかしこれが娘の幸せに違いないと信じて疑わない年老いた両親を前に、見合い写真を叩きつけることなどできる筈がなかった。
「王子!マーガレット様は言葉に詰まってしまっています…。どうか寛容な処罰を…!」
「シェリー…!君はなんと慈悲深いんだ…!」
過去を思い返す俺をよそに、事態は順調に進行している。王子は怒りの炎を滾らせながら、俺を睨み付ける。
「それに比べ貴様と来たら、ここまできてもふてぶてしい態度!こんな女と気付かず婚約していただなんて…!僕としたことが、恥ずかしい限りだ…!」
天を仰ぎ、心底悔しそうに語る。そんな彼を前に、俺は思う。
(巨乳のツンデレ金髪美女と結婚したい人生であった…)
転生時に現れた神を前に、俺は多くを望まなかった。可愛い女の子とただ幸せな結婚がしたい、それだけだったのに。
(もう欲はかかない。地雷女としてひっそり余生を孤独に過ごせればそれでいい。それがいい)
なので、現在の俺の目的はただ1つ。
「元婚約者のよしみ…。そして他ならぬシェリー嬢から与えられた温情だと思え!」
視線を戻せば、王子が俺に向かって指を突きつけるところであった。
「婚約は破棄!貴様には王都からの追放を命ずる!!」
普通であれば大いに罰となり得る、絶望的な言葉を吐く。
しかし俺にとってはまさに勝利宣言。無事に婚約破棄を掴み取り、場を後にしたわけである。
「すごいパンツだったな…」
悪の令嬢を成敗したばかりの会場では、歓声が響き渡っている。その外。整備された庭が見渡せる廊下を歩きながら、俺は指を折り今後の構想を口にする。
「ええと、婚約破棄の件は折を見て両親に伝えるとして…先に引っ越しかな」
こっちの父さんと母さんは既に地方で隠居生活。秘密裏に進めてきた屋敷を手放す準備も、長年仕えてくれた使用人への慰労金の支払いなどの手配もバッチリ終わっている。俺が婚約を破棄されたと知ればもちろん心配はするだろうが、迷惑はかけないだろう。
「おっ!お待ちなさい!」
段取りを組んでいると、それを遮る声がした。背後から、高いヒールの音が近づいてくる。
「ああ、シェリー。どうした?」
走ってきたのは、俺に酷いことをされたと言う設定のヒロインであった。追い付くと、シェリーは汗を拭って平静を装って話しかける。
「べ、別に。婚約破棄になったと言うのに、文句のひとつも言わないものですから、一体どういうおつもりなのか気になっただけですわ」
「ああ…」
あれは全て嘘だったと、俺があとから言い出さないか、罪をでっちあげた彼女としては気になるところだろう。
「まあ、俺も都合も良かったし。むしろありがとな」
「は…!?」
気付いた時には、両親により既に婚姻契約はなされた後だった。ここで俺から契約破棄を申し出れば、相手が相手だけに莫大な慰謝料が発生する。王子から解約させるのがベスト。どう婚約破棄をさせようか考えあぐねいていたところに、俺はシェリーの計画を知った。
彼女の王子に懸ける思いは本物だった。何としても婚約を破棄させようと、あの手この手を尽くし、最後に実行したのが今日の騒動であった。俺も罪が大きくなりすぎたり彼女の企みが露見することがないよう、たまに微調整なども行いながら、計画に乗っかったのだ。お陰で俺は最悪の未来を避けられた。唯一パンティは予想外だったけど。
シェリーはふんと鼻を鳴らし、綺麗に整えられた髪をかきあげた。
「ま、まさか王都から追放されるとは思いませんでしたから、もし貴女が頭を下げて懇願するならば、王子にはわたくしから口添えして差し上げようと思いましたのに!そのご様子じゃ必要ないようですね!」
「そうだね。さすがに打ち首とかになったら困っただろうけど、俺は概ね予想通りだったかな」
「っ…!?余裕ぶっていられるのも今のうちですわ!せいぜい追放先でお幸せに!」
「うん。シェリーも元気でやれよ。王子とうまくいくといいな」
のんびり手を振ると、彼女は驚愕の表情を浮かべた。
「何故、自身を地獄に引きずり落とした相手の幸せを祈れるの…!?」
男と結婚する方が俺からすれば遥かに地獄である。しかしそんなことなど露知らないシェリーは柔和なたれ目を逆立てて、俺を睨み付けた。
「貴女のそういうところが気に入りませんの!」
わざわざパンティまで盗み俺を陥れたのだ。もっと悔しそうにしてほしかったのかもしれない。冷静な俺の様子に、彼女はカンカンになって怒り出す。
「貴女のことはアカデミー時代、最初にお会いした時から癪に障ると思っておりました!」
「ん?なんかあったっけ」
遠い記憶を手繰り寄せようとするが、特に該当しない。呆けた俺の様子に痺れを切らし、シェリーは怒りで震えながら口を開く。
「わたくしの出身地であり、わたくしの父が治めるスワン地方…!」
「ああ、いいところだよな」
「その発言です!わたくしをド田舎者だと馬鹿にして!更に言うに事欠いて、いつか住みたいなどと…!あの雪辱、忘れたとは言わせませんわよ!」
そういえばそんなこともあったかもしれない。当時も今も決して馬鹿にした訳ではなく、単なる本音なのだが、コミュニケーションとは難しいものだ。
「挙げ句の果てにあんな人間としては下の下の下の下の下の男と婚約するだなんて言い出して!」
「え?」
シェリーの口からは怒りと共に、予想外の言葉が飛び出した。てっきり、あの単細胞のことが好きでやったことなのかと思っていたが。
「そんなに俺のこと、嫌いだったのか…」
俺を陥れたのは、好きな男を奪う為じゃなかった。即ち、ただ嫌がらせがしたい一心で計画を実行したんだろう。いくら俺でも、女の子にそこまで嫌われるのは少しショックが大きい。
「べっ、別に!貴女のことなど道端の石以下!特別な感情など1つもありはしません!」
「……」
シェリーは慌てた様子でそう話すが、嘘であることは明白である。俺は謝罪を口にする。
「そんなに不快だったなんて…なんかごめんな。でも、もう会うこともなくなるから」
最後の最後に、知らない方が良かった事実を知ってしまった。とりあえずは彼女の目の前から居なくなった方がいいだろう。俺は黙って背を向ける。
「っ…!」
「へ?」
しかし、去ろうとした足は引き留められた。振り向けば、シェリーが俺の袖を掴んでいる。腰を折り俯いているせいで、顔は見えない。視界に入るのは彼女の後頭部。豊かな金糸だけだ。
「シェリー?」
聞くが、返事は返ってこない。その場を沈黙が支配する。静かな空間を、虫の声だけが響き渡る。
「追放…」
「へ?」
やっと絞り出した声は、自然の音に掻き消されそうなほど小さかった。俺は彼女の頭を近付け、耳をそばだてる。
「追放先は決まっておりますの…?」
「え?い、いや」
婚約破棄と追放に向けて準備は進めてたが、さすがに追放先までは選定してない。父さんの関係で探すだろう。できれば自然が豊か、人も良くて過ごしやすいところがいい。
そんなことを考えていると、シェリーが顔を上げた。俺の服を掴む指に、ぐうと力が入る。そうして目の前の巨乳の金髪美女は、小さな声で続けた。
「別に…わたくしのお屋敷に追放されに来ても、構わなくてよ…」
いや、どういう理屈?だとか、なんで?だの疑問は浮かぶが、強気な発言とは裏腹に、シェリーのぷるぷる震える指先、茹で上がるように赤く染まった顔、恥ずかしさで潤む瞳。答えは察するに余りある。俺の中に確信は落ちた。
(…王子じゃなくて、俺?)
と言うわけで、婚約破棄を狙う悪役令嬢は結婚した。王子でもなくぽっと出のヒーローでもなく、ヒロインとである。
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