浮気相手になってしまった男の話

はちみつ

浮気相手になってしまった男の話

 幼いころから両親に、「男子たるもの礼儀正しく、人に気を配れるような紳士でいるように心がけなさい」と教育されてきた。僕は優しくしてくれる両親が大好きだったから、両親の言うような「紳士」になれるように自分を磨いてきた。


 そのおかげか、高校を卒業するころまでには、自分で言うのもなんだが、かなり立派な男になれたと思う。マナーは一通り頭に叩き込み、誰に対しても平等に親切に振る舞い、かといって女性とは失礼にならないような距離を保つというかなり紳士的な行動ができるようになった。両親も、そんな僕を見て立派になったなととても喜んでくれた。


 そして僕は、高校を卒業し、大学生になった。中学から高校への進学の時にも緊張したが、大学となるとそれ以上に緊張してしまう。もう周りの雰囲気が明らかに子供ではなく大人だからだろう。そんな雰囲気の空間で、僕は周りに馴染めるかとても不安だったが、持ち前の紳士っぷりを発揮することで友達と呼べる人たちもできた。始まってしまえば、僕の大学生活はなんだかんだ言って順風満帆だった。


 そんな大学生活が始まって半年が経った頃だろうか。ある日僕が帰ろうとしていると入学当時から仲良くしている友人が声をかけてきた。何でも、今日の夜に行われる予定の合コンのメンバーで、男性側で一人欠員が出てしまったらしい。それで、もし僕の予定が空いてるならば来てくれないかということであった。


 今日は特に予定もなかったし、友人の頼みごとならば無下に断ることはできないと思い、僕はすぐに了承の返事をした。友人たちも安心したように微笑んでいたから引き受けて良かったと思う。



 そして夜。僕は男性陣4人でまとまって会場であるお店に向かった。するとお相手方はもう揃っていたようで、座って早々に合コンが開始された。僕は端の席に座ったのだが、横を見れば一緒に来た男性たちは積極的に思い思いの相手と会話を始めている。そこで僕はふと困ったことに気づいた。


 ――こういう場所では女性とどう接すればいいのだろうか?


 今までひたすら紳士として女性には安易に近づかないようにしていた僕にとって、合コンは全く未知の世界だった。どうしたら良いのか分からず、友人に聞こうとしても、彼はすでに楽しそうに会話を繰り広げているため邪魔するわけにもいかない。仕方なしにウーロン茶をちびちび飲みながら、ぼーっと周りの様子を観察していることにした。


 そうしていて初めて気づいたのだが、今日の参加者の女性たちはどなたも皆とても美人だった。それは男性陣も積極的に話しかけているわけだとひとりでに納得する。と、どこからか声が聞こえた。


「あ、あの……」


「ん……?」


 誰の声だろうと声が聞こえたほうに顔を向けると、僕の正面にいた女性と目が合った。長い黒髪の、綺麗な女性だった。


「はい、どうかなされましたか?」


 初対面であるため、できるだけ丁寧な口調で話しかける。


「あ、えっと……お話、されないんですか?」


 どうやら彼女は僕がここに来てまだ誰とも話をしていないことを不思議に思ったらしい。とはいえ、そういう彼女もまだ会話らしい会話をしているところを見かけていない。


「えぇ、自分はどうも、こういった場に慣れていないもので。なにせ今日は急遽の数合わせで呼ばれたものですから」


「そうだったんですか。じ、実は私もこういったことには慣れてなくて……。いつも友達に誘われて付いてくるというか……そんな感じで」


 何となく彼女にこういう場所は似合わないように感じていたのがしっくりきた。きっと彼女は友達からの誘いに断れずに来たんだろう。


 ――なんとなく、僕と似てるな。


「あの、もしよろしければ僕と暇つぶしに付き合ってもらえませんか?他の方々とはどうも話しにくそうなので……」


 そういって少し顔を顰めると、彼女はおかしそうにふふっと笑って、それからこくんと頷いてくれた。



 それからお開きになるまで僕たちはお互いにたくさんのことを話した。彼女は大学は違うが、僕と同じ一年生で、文学部だそうだ。本を読むことが好きでそこに入学したそうだが、僕も同じく読書が趣味だったので彼女の話はとても面白く、つい夢中になって聞いてしまった。


「あなたはどこの学部なんですか?」


 彼女が一通り話し終えると今度は僕の方へと話を振ってくれた。なんだろう。なんでかはわからないけれど、彼女とはとても話しやすい。


「僕は経済学部です。将来はそういう系統の職業に就きたいと考えていまして……」


 ――熱心に聞いてくれる彼女の姿がとても嬉しくて、僕はついつい喋り過ぎてしまったように思う。




 そして、数時間が経ったところで合コンはお開きになったのだが、他のメンバーは皆二次会に行くそうだ。でも僕はこれ以上付き合ってもむしろ邪魔になってしまうかもしれないと思い、ここで帰宅させてもらうことにした。


「あ、あの、私もそろそろ帰らなくちゃいけないので。し、失礼します……」


 僕が帰るというと、彼女も同じタイミングで帰るという。まぁ、あの場にいても居心地が悪いだけだし。


「あ、あの、駅までご一緒してもいいですか……?」


「はい、一緒に歩きましょうか。……そういえば今気づいたんですが、お互いに名前を言ってませんでしたね。申し訳ないです」


「あっ!そうですね!全然忘れてました。えへへ、お話が楽しかったのでつい……」


 そう言って微笑む彼女に僕は目を奪われてしまった。光に照らされた彼女の笑みは、とても魅力的だった。


「え、ええと、僕は水城真翔みずしろまなと、19歳です。よろしくお願いいたします」


「は、はい。私は柴崎愛亜しばさきめあ、同じく19歳です。こちらこそお願いします!」


 そして僕らは笑いあい、別れる前に連絡先を交換した。


 これが僕と愛亜の初めての出会いだった。そして、今思えばこれが、皮肉なことにも僕の幸せが崩れ去る、第一歩になってしまったのかもしれない。






 それから僕たちは、最初はおっかなびっくりではあったものの、連絡を取り合うようになり、しばらくすると一緒に出掛けるようにもなった。初めて一緒に遊んだのは夏休みの時だった。携帯電話で本についての会話をしていたのだが、そこで僕が図書館に行かないかと誘ったのだ。そして僕は、自分にも女性と仲良くなりたいという想いがどこかにあったのだと気付き、いくら紳士的に振る舞うとは言っても自分も一人の男なのだと思い知らされた。


 久しぶりに会う彼女は、とても可愛かった。合コンの時はどちらかというと大人っぽい、綺麗と表現するのがふさわしいような恰好をしていたのだが、その日の彼女はどこか幼さを残した、とても可愛らしい印象だった。そんな彼女の横を歩くのが自分だと思うとすごく緊張したが、しかしどこかで嬉しく思う自分もいた。その日は終始笑顔が絶えず、彼女も自分の趣味について存分に話せたのが嬉しかったのか、とても上機嫌だった。自宅に帰ってから、僕はふと今日のあれはデートだったのではないかと思ったが、そんな期待に満ちた思いは胸の奥底にしまい込んだ。




 そしてその日を皮切りに僕たちは頻繁に色々な場所へ出かけるようになった。夏休みにはもう一度会って今度は本屋さんをぶらついたり、秋には紅葉が楽しめるちょっとおしゃれなカフェに行って、二人で本を読んでは感想を言い合った。そしてもうじき冬になるという頃には僕たちはまさにデートスポットとも言うべき水族館にも足を運んだ。いつしか僕らの間を取り持っていた読書という共通の趣味は消え、お互いに同じものを共有する時間を楽しむようになっていた。


 そして僕の中でも変化が起こった。生まれて初めて、女性に恋をした。こんな気持ちは初めてだった。彼女と会うと胸が高鳴って、何気ない携帯でのやり取りでも嬉しかった。それと同時に、彼女もそう思ってくれていたら嬉しいなと思った。



 それから少し経った12月24日、僕は彼女をデートに誘った。この時僕は初めて彼女を誘う時にデートという単語を使った。そう、僕はこの日、彼女との関係を一歩進めようと思ったのだ。もしこれで断られたら諦めよう。そうも考えていた。


 しかし、「いいよ、楽しみにしてる」、そう返事が来て僕は思わずガッツポーズをしてしまった。それくらい、彼女のことが好きになっていた。


 そしてクリスマスイブ。おしゃれなディナーを食べて、彼女をイルミネーションに誘った。彼女もこの先が想像できたのか、無言で僕についてきた。そして、盛大な飾り付けがされたツリーの前にたどり着くと、



「好きです、僕とお付き合いをしてもらえませんか?」



 彼女に、そう想いを伝えた。彼女は予想はついていたもののいざ告白されるとやはり恥ずかしかったようで、顔を赤らめ焦っていたが、やがて小さく息を吸うと、



「……はい」



 と短く答えた。


 僕はどうしようもなく嬉しくて、彼女をその場で抱きしめた。彼女も最初はびっくりしていたけれど、すぐに抱きしめ返してくれた。


「愛してるよ、愛亜めあ


「……うん」


 それから抱擁を解くと、僕たちはまるで引き寄せられるかのように顔を近づけ、そのままキスをした。


 こうして僕たちは恋人になった。





 年が明けた。


 大晦日や初詣は愛亜の家庭の都合で一緒にはいられなかったけれど、寝る前には電話して声を聞けたから十分幸せだった。


 そして、2月。バレンタインの時期になった。


 僕は愛亜をデートに誘うと、彼女はチョコをくれた。手作りだという。人生初の彼女からのバレンタインチョコに、僕は年甲斐もなく大喜びした。


 ……そして、気づけばそういう雰囲気になっていたのだろう。僕が彼女を一人暮らししている家に泊まりに誘うと、彼女は頬を赤く染めて頷いた。


 家に帰って順番にシャワーを浴びて、愛亜からもらったチョコを食べたり話したりして時間を過ごしていたのだが、お互いに緊張は隠せていなかった。そんな雰囲気のまま僕たちは寝室に移動し、二人でベッドに腰掛けた。気まずい空気が嫌で、僕は話し始めた。


「あのさ、僕ずっと親から紳士でいなさいって言われて、今日までそれを心掛けてきたんだ。礼儀正しく、人には親切に、特に女性にはより丁寧に振る舞うようにしてきた。だけど、ごめん。愛亜といると、どうしてももっと君に近づきたいと思ってしまうんだ。もっと君に触れたいって。君が好きだから大切にしたいのに、でも君と一つになりたいと思ってしまう。自分勝手だってことは分かってるんだけど……」


「……いいよ、真翔くん」


 その言葉で、僕は獣になった。彼女を自分のベッドに押し倒して、唇を奪い、彼女の普段は隠されていた部分に触れた。彼女の喘ぎ声が耳に響くたび、僕はより一層欲望に包まれていった。そして、夜がすっかり更けた頃、僕らは一つになった。


 彼女は初めてではなかったようだけれど、そんなことは気にならなかった。ただ、彼女と繋がれた喜びだけが、僕の脳を支配していた。


 そして僕は行為を終えると疲れからそのまま眠りについた。隣で横になる彼女が何かに耐えるように辛そうな顔をしていたことに気づくこともなく……。





 そして、運命の日がやってきた。もうすぐ二年生になるという3月下旬ごろ。愛亜と街を歩いていた時、唐突にそれは起こった。


「あれ? 愛亜?」


 振り返るとそこにいたのは僕らと同じくらいの男だった。いったい誰だろう? 愛亜の知り合いだろうかと彼女の方を見ると、彼女は青ざめた顔をしてカタカタ震えていた。


「愛亜、どうしたの? 大丈夫?」


 そう声をかけても反応がない。仕方がないから目の前の彼に聞く。


「あの、どちら様でしょうか? 愛亜のお知り合いの方ですか?」


 そう聞くと、彼は僕に鋭い視線を向けた。


「そっちこそ、一体誰なんですか? 俺は愛亜の幼馴染で、恋人で、なんなら最近婚約者になったものですが」


 それを聞いて、頭をガンと殴られたかのような衝撃を覚えた。


 ――恋人? 婚約者? 


 こいつは一体何を言ってるんだろうか? だって、愛亜の恋人は僕だろう?


「な、なぁ愛亜。この人の言ってることはでたらめだよね? だって、愛亜の恋人は僕でしょう?」


 頼む……! 頼むからそうだと頷いてくれ……!


 そんな僕の必死の祈りもむなしく、彼女は「ごめんなさい……」と呟きながら泣き崩れてしまった。慌てた様子で幼馴染の彼が駆け寄るが、その彼もどうしたらいいのか分からないといったような顔をしている。僕はただ茫然としていた。


 ――だってこれではまるで、僕は彼女の浮気相手ではないか。


 何も知らなかったとはいえ、僕は幼馴染の彼の恋人を奪ったのだ。彼女は僕と、浮気をしていたのだ。


 そう思うと一気に自分はどれだけ愚かなことをしてしまったのだろうという感覚にとらわれた。気づけば僕は、彼に向かって土下座をしていた。


「申し訳ない! ほんとうにすまない! 彼女にすでに恋人がいるなんて知らなかったんだ! いや、こんなのは言い訳に過ぎない。きっと彼女は、僕の誘いを断り切れなかったんだと思う。そんな彼女や、君のことも知らないで、僕はなんて愚かなことをしてしまったのだろう! 本当に申し訳ない!」


 僕の前で、彼女と彼が動揺しているのを感じたが、それでも僕は土下座をやめなかった。思えばおかしなところなんて今までいくらでもあった。そもそも毎回誘いの連絡をするのは僕だったし、告白したのも僕だった。彼女はもし断って僕に危害を加えられたらと思うと怖くて断れなかったのではないか、そう考えた。それに彼女は僕に、一度だって好きだとは言ってくれなかった。



 騒動を気にして周りに人が集まってきてしまったため、その日は一旦解散となり、後日また話し合うことになった。結局彼女は、一度も僕と目を合わせてくれることはなかった。



 そして別の日、カフェで3人集まった。僕もいくらか冷静になり、そして改めて自分が犯したことの重大さに気づいた。話し合って、幼馴染の彼と愛亜の婚約は一度取り消されることになった。僕は何度も「愛亜は悪くない。僕が彼女に強引に言ったから!」と彼女をかばったのだが、彼は決して意志を曲げることはなかった。これは彼の、彼らのけじめだという。


 そして僕は、彼らに頼み込んで、彼らの両親にも謝りに行った。彼はそこまですることはないと言ってくれたが、それでは僕の気持ちが収まらなかった。




 そして、約束の日。まずは愛亜の家を訪れ、ご両親に向かって全力で頭を下げた。娘さんには婚約者がいたというのに、それを知らずに彼女に言い寄ってしまった。そして最低なことに彼女と関係を持ってしまった。何とお詫びしていいか、申し訳ありません! と、ただひたすらに謝った。


 愛亜のご両親はそれを聞いて、怒鳴るでも僕を殴るでもなく、涙を流して、


「君にきちんと伝えなかった愛亜にも責任はあるから。それに、君には誠意を見せてもらったから、それで十分だよ」


 と、そうおっしゃってくれた。俺はその温情に、ただ涙を流すだけだった。


 そして、その後で幼馴染の彼の家にも訪れた。同じように彼の家でも頭を下げ、自分のようなもののせいで息子さんの幸せを奪ってしまった。息子さんは僕を許してくれたが、自分はどんな処罰も受ける覚悟でいる、と言い、そして彼女には今後二度と近づかないことを約束した。


 彼のご両親は一度僕を睨んで、


「息子が許したのなら親がでしゃばるのもおかしい。ただ、もうここから出て行ってくれ」


 とだけ静かに言われた。僕は何も言わずにもう一度深く頭を下げてその場を去った。




 そして、自分の家に戻る前に、愛亜と少しだけ話した。これまでのことの謝罪がほとんどではあったけれど。


 そこで彼女も、今まで隠していたことの謝罪と、その理由を教えてくれた。やはり、婚約者がいると知った僕が何をするか分からず怖くて言い出せなかったらしい。


 自分の幸せを追求するばかりで彼女に少しも気を配れていなかった自分を恥じ、そしてもう一度彼女に謝罪をしてから彼女と別れた。幼馴染の彼は、その様子を遠目から見ていた。




 それから僕は、大学を休学して実家に戻った。両親は急に帰ってきた僕に驚いていたが、一から事情を話すと、怒るでも悲しむでもなく温かく僕を迎え入れてくれた。親の愛情に、ただただ感謝した。



 そして、二年の歳月がたった。僕は休学していた大学を辞め、完全に実家に戻った。今は実家で家業の農家を手伝っている。田舎の穏やかな空気は心まで穏やかにしてくれるから好きだ。


 そんな僕のもとに、先日一通のメールが届いた。送ってきたのは幼馴染の彼。どうやら無事に愛亜とよりを戻せたらしい。僕はそれを聞いて心の底から安堵した。自分が彼らの幸せを奪ってしまったのだと思うと、どうしようもなく消えてしまいたくなるからだ。僕は文面でありったけの祝福を伝え、どうか二人で幸せになってほしいと再三繰り返し伝えた。彼はもう気にするな、これからはお互いにお互いの道を行こうと言ってくれた。だから僕も、もう何も言わずに、「ありがとう。さようなら」とだけ送って、彼と彼女の連絡先を削除した。




 幼いころから紳士でいるようにと心掛けていた僕は、ふとしたきっかけで自分が最も嫌いな浮気をしてしまっていた。自分が愚かなことをしてしまったという苦しみから、今ようやく解放されて楽になったはずだというのに、なぜか、






 ――僕の頬を、一筋の涙が伝った。

























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 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


 この話は、もし浮気相手がとてつもない善良な人間だったらどうなるだろうと考えたことがきっかけで執筆に至りました。


 私が今まで書いてきたような甘い話では決してありませんでしたが、お楽しみいただけましたら幸いです。


 甘い恋愛の話も他の小説で投稿しているので、そちらのほうも是非ご一読ください。



















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