第46話 思い出(過去)
深い闇に沈み込んだ廃墟の街に、金属的な響きを帯びた音が
黒々とした暗闇に覆われた世界は、窓から差し込む日の光のような
夜の闇を背景に明滅する光は、明るくなったり、暗くなったりを繰り返しながらエムとベティが潜んでいた廃墟に近づいてくる。
混乱と恐怖にエムは激しく息を吸い、氷のように冷たい空気を肺にいれる。彼は羽織っていた毛皮を地面に敷くと、膝で眠っていた少女をその毛皮で包み込むようにして横に寝かせた。それからバトルライフルを手に取ってゆっくり立ちあがる。
正体不明の光は増えていて、不気味な生物の長い影を浮かび上がらせていた。
深夜の廃墟の街を徘徊していたのは、細長い枯れ枝のような四肢を持つ人型の変異体だった。
痩せ細った身体にゴツゴツとした骨ばかりの身体に、布のように垂れ下がる皮膚がついていて、それは夜の街に吹く冷たい風に揺れている。生物の丸い頭部には照明装置のような発光器官がついていて、それが強烈な光を発していた。
体高三メートルほどの生物の群れは、夜の街を照らしながら不気味な行列を作っている。エムが隠れていた建物に光が向けられると、彼は一瞬、攻撃を受けるのではないかと恐怖した。が、何も起こらなかった。世にも奇妙な生物の群れは、サイレンのような甲高い音を響かせながら遠ざかっていった。
その奇妙な光が見えなくなったあとも、エムは暗い廃墟の街を見つめ、遠ざかっていく甲高い音に耳を澄ませていたが、やがて少女の側に戻った。けれど恐怖の
ふと暗闇に視線を向けると、それまで感じていた恐ろしい変異体の気配は消えていた。あの奇妙な生物の群れに驚いて逃げ出したのかもしれない。
汚染地帯には人擬きよりもずっと恐ろしい化け物がいるんだ――と、仲間たちが話していたのを思い出す。昆虫型の危険な変異体が生息していることは、もはや誰もが知っていることだった。けれど化け物の詳細について語れる仲間はいなかった。
人間を食らう樹木のような生物、幽霊のように街を徘徊する半透明の発光体、集団で狩りをする蜘蛛。いくつかは作り話で、それらの
その恐るべき怪物の数々は、我々が生活する領域のすぐ近くに潜んでいるのだ。その真実は――あの化け物と遭遇したあとでは、ある種の現実味を持って胸にストンと落ち、抵抗なく受け入れることができた。
移動したほうがいいのかもしれない。と、エムは眠っている少女の寝顔を見ながら考える。汚染地帯の近くからできるだけ遠くに避難したほうがいい。しかし同時に、エムは夜の恐ろしさを知っていた。
夜の街はとりわけ危険だ。高層建築群に阻まれる月明りだけでは、いとも簡単に道に迷って、人擬きの巣に迷い込んでしまう可能性があった。そしてひとたび戦闘になってしまったら、廃墟のあちこちから危険な変異体を呼び寄せてしまう。日が昇り、変異体が寝床にしている廃墟に帰るまでは、ここで大人しくしていたほうが賢明だ。
長い夜が明けるとエムはベティに食事を与え、移動のための準備を手早く進める。荷物をまとめて、すべての準備を終えると重い毛皮を羽織って暖かくする。もちろん、少女が身体を冷やさないように細心の注意を払う。
子供の世話をするのは慣れていた。拠点にも多くの孤児がいて、仲間たちと協力しながら世話をしていたので忍耐力には自信があった。
崩れかけていた廃墟を出ると、得体の知れない化け物が徘徊していた道路に視線を向ける。あたりは怖いくらいに静まり返っていて、比較的安全な昆虫型変異体の姿も見かけなかった。
付近一帯に潜んでいた変異体は、昨夜の化け物を見て逃げ出していて近くにいないのかもしれない。それが事実であれば、想定していたよりもずっと楽な道程になるかもしれない。二人はしっかり手をつなぐと、早足で移動を開始した。
周囲に警戒しながら一時間ほど進むと、とうとうベティは疲れて歩く速度も落ちてしまう。エムは建物の間に傾いた鳥居を見つけると、そのすぐ側に立つ樹木の陰に少女が休むための場所を用意した。
樹木は廃墟の街で多く見られる黒い樹皮に覆われた木で、身を隠すのに適した幹と太い根を持っていた。毒虫が近くにいないことを確認すると、羽織っていた毛皮を地面に広げて少女を座らせる。
その直後、廃墟の街に騒がしい銃声が鳴り響いた。
エムは震え出した少女を抱きしめて落ち着かせると、情報端末を使って付近の地図を確認した。仲間と情報を共有して作成した古い地図だが、街を安全に移動するためには必要なものだった。その地図を眺めながら言う。
「人擬きの巣に迷い込んだ馬鹿が銃を乱射しているのかもしれない。音に引き寄せられた化け物が姿を見せるかもしれない。付近の偵察に行ってくるから、ベティは俺が戻ってくるまで絶対にこの場所から動かないでくれ」
少女がうなずいたことを確認すると、バトルライフルを持って静かに移動した。
やはり騒ぎを聞きつけた人擬きが集まってきていた。エムはコンバットナイフを使ってすぐ近くに立っていた人擬きを無力化すると、廃車の運転席から転がり出てきた人擬きの顔面に全体重をのせた蹴りを叩きつけた。
化け物が倒れると、
エムは舌打ちするとバトルライフルのストックを肩に引きつけ、
アサルトライフルの弾薬よりも長い特殊な弾薬を使っているだけあって、貫通力は凄まじく、射線上に重なった人擬きの身体にまとめて弾丸が食い込んでいく。さすがに反動を制御しながら照準を合わせるのは難しいが、頼りになる威力だ。
しかし弾薬は貴重だ。人擬きの足を素早く潰して目的を達成すると、少女のもとに急いで戻った。ぐずぐずしていたら人擬きの群れに囲まれてしまう。
ベティは約束を守って木の陰で待っていてくれていた。両手で耳を塞ぎ、瞼を閉じていた少女を抱き抱えると、毛皮を拾ってその場から移動した。それからも何度か人擬きや変異体に遭遇しながらも二人は危険な廃墟の街を移動して、ついに拠点にたどり着くことができた。
◆
情報端末から短い通知音が聞こえると、エムは閉じていた瞼を開いた。薄暗い部屋にはタバコの煙がゆっくりと漂い、窓からは暖かい風が吹き込んでいる。
ベティがアネモネと一緒に行動するようになってから、よく昔のことを思い出すようになっていた。理由はわからなかったが、単純に娘として育てたベティがいなくなって、寂しく感じるようになったからなのかもしれない。
端末のディスプレイを確認すると、アネモネたちと一緒にいるベティから動画が送られてきていた。動画で見るベティはいつも笑顔だった。
それに、あの日の出来事に苦しめられ、悲しみから逃れるために服用していたクスリにも手を出さなくなっているという。彼女の言葉を疑ったが、今ではそれが本当のことだとわかる。動画に映っている彼女の笑顔を見れば一目瞭然だ。
「兄貴」
大男が部屋に入ってくると、エムは視線の動きで言葉の続きを
「客です」
「また教団の人間か?」
「いえ、連中は追い返しました。
「紅蓮か……」エムは指先で机を叩きながら砂漠地帯の鳥籠について考えた。「わかった。すぐに会うと伝えてくれ」
「へい」
大男が扉を閉めると、エムはおもむろに立ちあがり仕立てのいいスーツに
「さて」
エムは端末のディスプレイに映るベティにちらりと視線を向けたあと、特徴的な傷が残る顔から笑みを消し、気を引き締めた。
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