第30話 緊張(ミスズ)


 街の何処からか甲高い警報音が聞こえて、騒がしい銃声が鳴り響くと、レイラは足を止めて高層建築群に視線を向ける。ミスズはちらりとレイラの横顔を見たあと、厚い雲に覆われた空に視線を向けた。


 先行していたレイラは道路に落下していた案内標識の陰に身を隠し、ライフルから弾倉を抜いて残弾を確認しながら言う。


「この先に集落があるのを確認した。周囲に人擬きが潜んでいるかもしれない。戦闘の準備をしてくれ」


 ミスズはカラスから受信していた映像をタクティカルゴーグルに表示して、素早く集落の様子を確認する。


「見えました」彼女はそう言ってから眉を寄せる。「こんなに危険な場所なのに、人がたくさんいます」


『レイダーギャングの拠点なのかもしれないね』カグヤの声がイヤホンを介して聞こえる。『露店も出しているみたいだし、買い物客の姿も大勢確認できる』


 青色の線で縁取られていく露店を見ながらレイラは思案する。

「今日の探索は成果がなかったし、何か掘出し物がないか見に行くか」

「レイダーギャングの拠点ですけど、大丈夫でしょうか?」


 不安そうな表情を見せるミスズにレイラは思わず苦笑する。

「大丈夫だよ。他にも買い物客がいるみたいだし、俺たちだけが標的にされる理由はない」


 ミスズはレイラの言葉にうなずくと、戦闘に備えて素早く装備の確認を行う。略奪者たちの拠点にいくのだ。備えを怠る訳にはいかない。


 上層区画に続く高架橋を歩いて集落に向かう。案内標識からホログラムで投影されていた距離を示す数字を眺めていると、瓦礫の隙間に身体を丸めている人間の姿が見えた。ミスズは人擬きに変異した人だと思ってライフルを構えるが、レイラの反応でそれが子供の死体だと気がつく。


 死んで間もないのか、幼い子供の死体は不自然な姿勢で硬直していた。身につけているのは衣類と呼ぶにはあまりにも粗末なボロ切れで、ほとんど裸と変わらない姿だった。


 レイラはいつもの物憂げな目でじっと死体を眺めたあと、そっと手を合わせる。


 ミスズもレイラに倣って手を合わせたが、彼のように心が激しく揺さぶられることはなかった。きっとこの子供は、死ぬまでに想像もできない苦労や苦痛を経験したのかもしれない。でもとにかく、その子供は死んでしまったのだ。誰に知られることもなく、廃墟の街の片隅で。


 憎しみや無念を抱えて死んだのかもしれない。けれど死にも優れた点は存在する。一度死んでしまえば、もう苦しむことはない。誰かに何かを強制されることも、傷つけられて痛みを感じることもない。


 いや。と、ミスズは頭を振る。死後について語れる人間なんていない。これは自分の願望でしかないのかもしれない。


 でもだからこそ祈る。

 名も知らぬ子供に、どうか安らかな死を。


 死体の側を離れてしばらく歩くと、放置車両で簡易的な防壁を築いた集落が見えてくる。旧式のアサルトライフルで武装したガラの悪い人間が警備している入場ゲートは、錆びついた飾り気の無い鉄柵で、小さな車輪でゴロゴロとスライドしながら開くものだった。


 警備の人間はレイラとミスズの姿を見つけると、仲間に指示を出してゲートを開かせた。所持品検査もなければ、ジャンクタウンのようにIDカードを確認されることもなかった。警備の人間は昆虫型変異体や、人擬きの襲撃に備えて配置されているのだろう。


 道路に沿って無数の露店が間隔を取りながら並んでいる。その店の前には、あるいは店と店の間には武装した人間がいて、周囲の動きに目を光らせている。貧相な身体つきの子供たちが働かされている多くの露店では、電子機器や用途不明のガラクタが売られていたが、この集落で販売されている主な商品は奴隷だった。


『奴隷商人が支配している集落みたいだね』

 ミスズはカグヤの言葉にうなずくと、買い物客にぶつからないように注意しながら周囲を見渡した。


 地面に敷かれた汚れた絨毯には、ボロ布を身にまとった無数の人間が、男女関係なく立たされている。労働を強いられる奴隷や、性奴隷、それに戦闘奴隷。理由は分からなかったが、商品としてそこに立たされていた人間たちと目を合わせることができず、ミスズは思わず顔を伏せた。


 ふと立ち止まったレイラは首に巻いていたシュマグをとると、ミスズの首に掛けて、それから優しい声で言う。


「ミスズは目立つから、ここでは顔を隠したほうがいいのかもしれない」

 ミスズは顔をあげると、すぐにレイラの意図を察して布で口元を隠した。

「あの……レイラは?」


「俺は大丈夫」レイラはそう言って苦笑するが、ミスズよりもずっと目立っていた。背が高く、整った顔立ちに濃紅色の瞳は、女性に限らず人々の視線を惹きつけた。


「それより気になることがある。先を急ごう」

「はい」ミスズはうなずく。


 人波をかき分けて、警備のための人員があちこちに配置されているゲートを通って集落の外に出る。


「えっと……」と、ミスズは遠慮がちに訊ねる。

「気になることってなんですか?」


「近くにハクの気配を感じたんだ」

「ハクの気配……ですか?」


 彼女は首をかしげて、そらから周囲に建ち並ぶ高層建築物に視線を向ける。しかし白蜘蛛の姿は何処にもなかった。


「呼ばれているような気がするんだ」

 レイラが歩き出すと、ミスズは早歩きで彼のあとを追った。


『レイ。集落からつけられているみたい、武装した人間を三人確認した』

 カグヤの声が聞こえると、ミスズは慌てることなくカラスの映像を確認する。どうやら集落を警備していた人間が追ってきているようだ。


「奴隷商人の手下だな……」レイラはライフルを背中に回すと、太腿のホルスターからハンドガンを抜いた。「増援が来たら厄介だ。静かに殺そう」


 瞬時に冷酷な判断を下したレイラにミスズはうなずきで答えたあと、攻撃に備えて廃車の陰に隠れる。


 上空のカラスによって、赤色の線で輪郭を縁取られた追跡者の姿が遮蔽物を透かして見えると、レイラは相手の意図を確認することなく射撃を行う。


 胸部と頭部に一発ずつ弾丸を受けた追跡者が倒れると、レイラは物陰から飛び出して目の前の男性を蹴り飛ばし、離れた位置に立っていた女性の胸に二発、的確に銃弾を撃ち込む。あっと言う間のことで、ミスズが動く前に戦闘は終わってしまう。


 レイラは増援がないことを確認すると、倒れていた男性の顔面を蹴り上げて、彼の髪を乱暴に掴む。


「奴隷商人の指示か?」

 追跡者は黙っていたが、ハンドガンの銃口を側頭部に押し当てられると、すぐに質問に答える。


「いや……手柄を立てようとして勝手に動いた」

「俺たちを捕まえて奴隷にする気だったのか?」


「……そうだ」

 それを聞いたレイラは、男性の髪を掴んだまま高架橋の端まで引き摺っていき、まるで橋からゴミを捨てるように、片手で男性を投げ落とした。数秒もしない内に数十メートル下から衝突音が聞こえる。


 レイラはしばらく眼下に広がる廃墟の街並みを眺めていたが、やがて何事もなかったかのように振舞う。


「行こう、ミスズ」彼は優しい声で言う。

「ハクの声が聞こえた」


 レイラがいつもの調子に戻ったことにミスズはホッとする。やはり子供の死体を見たことで、レイラの感情は昂っていたのかもしれない。もしも追跡者たちが奴隷商人の指示で動いていたら、奴隷市場を管理していた商人もろとも、レイラの手で略奪者たちは皆殺しにされて集落は壊滅していたのかもしれない。


 レールから吊り下げられた錆びついた巨大な車両が見えてくると、白蜘蛛がトコトコとやってくるのが確認できた。


『スズ!』

 ハクの可愛らしい声が聞こえると、張り詰めていた緊張の糸が切れたような気がして、ミスズは心から安心した。

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