第24話 物資(ハク)


 ひょっこり姿を見せた白蜘蛛が建物内に入ってきたときだった。

 突然、重低音を響かせる嫌な羽音が急接近してくるのが聞こえてきた。アネモネはすぐに偵察ドローンのビーに指示を出して、接近してくる生物の姿を確認してもらったが、その必要はなかった。


 翅を広げたゴキブリにも似た格好で、怪物は真直ぐ、アネモネたちが潜んでいた建物に向かって飛んできていた。


「危ない!」

 アネモネが言葉を口にした瞬間だった。凄まじい打撃音と共にハクが吹き飛ばされる。


『おぉお!』

 どこか楽しそうで、それでいて驚いているような声を出しながら、ハクはゴロンと転がりながら崩れかけていた壁を破壊して階下に落下していった


 ハクが視界から消えると、アネモネはライフルを肩づけしながら立ち上がり、ハエの頭部にも見える巨大な複眼に向かってフルオートで銃弾を撃ち込んだ。ばら撒かれるように撃ち出された銃弾を受けると、怪物の身体中に小さな穴が無数に開いて、抹茶色の体液が噴き出る。が、怪物の動きは止まらない。


「姉さん、すぐにそこから逃げろ!」

 ケンジの声が室内に響き渡る。


 アネモネに詰め寄った怪物が、奇妙な脚を凄まじい速度で振り下ろして、彼女の頭部に叩きつけようとした瞬間、アネモネは背中に貼り付けられた糸に引っ張られるようにして地面にペタンと尻餅をついた。もう少し遅かったら、彼女の頭は破壊されていただろう。


 茫然としているアネモネを余所に、階下から戻ってきたハクは怪物に飛びついて、凄まじい打撃音を立てながら怪物を地面に押し倒すと、怪物を組み伏せながら、長い脚の先についた鋭い鉤爪を何度も怪物の身体に突き立てた。


 気色悪い怪物は暴れ、ハクの拘束から逃れようとするが、やがて動かなくなり息絶えた。


「おわったの?」

 床に座り込んでいたベティは立ち上がると、ゆっくりハクに近づく。しかしすぐに騒がしい羽音が聞こえてきた。


「また来るぞ、ベティ!」

 ケンジの言葉に急かされるように彼女は窓際まで走っていくと、青い空を背に恐ろしい速度で接近してくる黒い影にライフルの銃口を向けた。怪物にはうんざりしていたが、やってきた怪物は一体だけだったので勝機はあるはずだ。


 トリガーを絞ると目の前でマズルフラッシュが瞬いて、射撃の際に発生する反動が全身を叩く。が、ベティは怪物から視線を外すことなく射撃を続ける。数発の着弾を確認したが、怪物の勢いは衰えることがなかった。


 マガジンキャッチを操作して弾倉を足元に落とすと、ベルトポケットから弾倉を取り出して素早く装填してチャージングハンドルを引いた。

「来るぞ!」


 ケンジの声に反応して横に飛び退くと、黒光りする鞘翅を持つ怪物が建物内に侵入してきた。が、それを待ち受けていたハクは、怪物に向かって網のように広がる糸を吐き出した。粘りのある糸に翅を絡めとられた怪物は、制御を失って壁に衝突して、そのまま崩れた瓦礫の下敷きになる。


 アネモネは瓦礫のうえに飛び乗ると、怪物の頭部に向かって至近距離で銃弾を撃ち込んだ。フルオートで撃ち出された銃弾が底を突くと、彼女は空の弾倉を抜いてベルトに挿し、別の弾倉を再装填して銃口を化け物に向けた。


「さすがに死んだみたいだな」ケンジはそう言うと、怪物の攻撃を避けるために地面に伏していたベティに声を掛けた。「大丈夫か?」


「大丈夫じゃない」

 彼女は不貞腐れたような声で言うと、起き上がってハクの姿を探した。そのハクは、怪物を刺し殺したときに脚先についていた粘りのある体液を壁に擦りつけていた。


『これ、きたない』ハクは可愛らしい声で言う。


「あの怪物の攻撃を受けたみたいだったけど、怪我はしていないのか?」

 アネモネはひどく心配するが、ハクは戦いに夢中だったので怪物に殴られたこともすでに忘れていた。


『いたい、ない』

 まるで首を傾げるように、ハクは身体を斜めに傾けた。


「そうか」アネモネはホッと息をつく。

「それならいいんだ」


 ハクは恐ろしい大蜘蛛の姿をしていたが、幼い子供の声で話すので、どうしても心配してしまう。ベティも同じ気持ちだったのか、ハクのフサフサの体毛に触れながら怪我をしていないか確かめた。


「助かったよ、ハク。ありがとう」

 ケンジがハクに感謝すると、白蜘蛛は口元を隠していた触肢で地面をトントンと叩いて、それからケンジのそばに向かう。


『ハク、たすかった?』

 ケンジはハクに対して恐怖を抱いていたが、幼い声が聞こえるのと同時に、すっと恐怖心が消えていくのを感じた。そしてアネモネたちが話していたことが真実だと理解した。


「本当に話ができるんだな」

『ん。はなし、とくい』ハクはそう言って腹部を震わせた。


 ベティは怪物の死骸を見ないようにして窓際まで歩いて行くと、空の弾倉を拾って、それから地面に座り込んだ。怪物がまた現れるかもしれない。そう思うと、ゆっくりしていられる時間はないように思えた。


 ぬいぐるみリュックから紙製の弾薬箱を取り出すと、空の弾倉に弾薬をこめていく。するとハクがやってきて、その様子をまじまじと見つめた。


『たのしい?』

 ハクの質問に、ベティは思わず笑顔になる。

「ううん。楽しくないよ。でも必要なことなんだ。それより、ハクはわたしたちに会いに来てくれたの?」


『あそび、きた』

「そっか、大変なときに来ちゃったね」


『ん、たのしい』

 ベティは首を傾げて、それからうなずいた。

「ハクが楽しかったなら、良かったよ」


「移動したほうがいいな」とケンジは言う。

「理由は分からないが、あの怪物は俺たちの居場所をすぐに見つけることができるみたいだしな」


『アネモネさまの怪我が関係しているかもしれません』

 突然近くにあらわれたドローンが言う。

『昨夜、怪我をして血液を流しましたから』


 アネモネは怪我していた太腿に視線を向ける。すると血液で包帯が滲んでいるのが見えた。


「血のにおいか……そいつは厄介だな」

「巣を破壊したのが姉さんだって奴らにバレているのか……」

 ケンジは思わず顔をしかめる。


「でも」と、ベティは言う。

「もう怪物は全部倒したんでしょ?」


「わからない」

 アネモネが険しい表情で言葉を口にすると、ハクがトコトコと近づいてくる。

『てき、ない』


「ほら!」と、ベティは笑顔を見せた。

「やっぱり、もう怪物はいないんだよ」


 アネモネはベティのように楽観できなかったが、深淵の娘には敵の存在を感じ取れる特殊な能力が備わっているのかもしれない。と、彼女は考えることにした。


「いずれにしろ、ここから移動したほうがいい」とケンジは言う。「ビー、怪物の死骸を記録しておいてくれ。その映像がなければ、仕事の報告ができないからな」


「怪物だけじゃなくて巣も破壊したんだから、報酬が増えるかもしれないね」

 嬉しそうに話すベティに、ケンジは肩をすくめた。

「そうだといいな。久しぶりに温かい飯が食いたい」

「わかる!」ベティは空腹を感じながらうなずいた。


 崩れかけていた建物を出ると、ハクと一緒に廃墟の街を歩いた。驚くことにハクが側にいると、機会さえあれば襲い掛かってこようとする昆虫型変異体すら姿を見せようとしなかった。


「ハクの存在に怯えているのかもしれないな」ケンジは適当なことを口にした。


 しばらく移動すると、ハクはアネモネたちを薄暗い廃墟の中に連れていった。

「そこに何があるの?」


 ベティの質問にハクは腹部を震わせて答える。

『たからもの』


 天井が抜けて日の光が差し込む部屋に入ると、無数のライフルやバックパックが真っ白な糸で吊るされている異様な光景が目に飛び込んでくる。


「これがハクの宝物なの?」ベティは吊るされた装備品を眺めながら言う。

『ベティ、あげる』


 ハクは吊るされていたリュックの糸を切断すると、リュックを触肢で器用に挟みながら引っ繰り返す。すると紙製の弾薬箱が転がり落ちてきた。


 どうやらベティが弾倉に弾丸を込めているのを見て、アネモネたちに必要なモノだと思ったようだ。


「でも」と、アネモネが言う。

「これはハクが集めた宝物なんだろ? 私たちがもらってもいいのか?」


『たからもの、こっち』

 ハクはそう言うと、壁に立てかけていた大きなスタンドミラーの前まで移動する。


「鏡が好きなのか……」

 ケンジは呆れてしまうが、ハクが楽しそうに自分自身の姿を映しているのを見て、なんだか納得してしまう。


「そいつを綺麗にしてやる」

 アネモネはバックパックから使い古したタオルを取り出すと、汚れていた鏡を綺麗にしてあげた。するとハクはバンザイするように脚を上げて喜んでくれた。


 一方、ベティは糸に吊るされた大量の物資を眺めながら、それをどうやって回収するのかを考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る