ポストアポカリプスな日常
パウロ・ハタナカ
2.5
第1話 たからもの(ハク)
崩れかけた建物の鉄骨に、
けれどフサフサの体毛に守られた白蜘蛛は、風の冷たさを気にすることなく、建物の外壁を悠々と移動していた。
廃墟の街に銃声が響き渡ると、フクロウは驚いて大空に向かって飛び立つが、白蜘蛛はお気に入りの歌をくちずさみながらトコトコ移動を続ける。
文明崩壊後の世界で生きる人々に『深淵の娘』と呼ばれ、廃墟の街で恐れられる大蜘蛛の姿を持つ『ハク』は、拠点を離れて街を散策していた。これといった目的はなく、ただ廃墟の街に遊びにきているだけだった。高層建築物が立ち並ぶ通りは、糸を使って自由自在に移動できるハクにとっては格好の遊び場になっていた。
口から糸を吐き出して高層建築物の間に足場をつくると、反対側の建物に器用に移動する。廃墟の街にそびえる建物は雲に届くほど高く、絶えず強風に身をさらすことになったが、目的地が近かったのでハクは我慢することにしていた。
『もう、すこし』
ハクはたどたどしい言葉でつぶやくと、建物の外壁にポッカリと開いていた大穴から建物内に侵入する。吹き込んでくる風や、建物に出入りしている鳥が種子を運んできていたのか、フロア全体が背の高い雑草に覆われていた。
『これは、たいへんだ』
ポツリと言葉をこぼすと、ハクは草のなかに分け入っていく。
ハエトリグモにも似た八つの大きな眼を使って、ハクは周囲に危険な生物がいないか慎重に確認する。と、何かが視界の隅を移動するのが見えた。ハクは身を低くして、雑草のなかに潜んでいる生物の気配をじっと探る。
すると猫ほどの大きさのネズミが、草の中から顔を出すのが見えた。ハクはネズミに向かって無性に飛びつきたくなったが、廃墟を住処にしているドブネズミは臭く、毛皮に大きなダニを飼っているので、できるだけ近づきたくない相手だった。
ハクはトントンと床を叩いて、自分の存在を周囲の生物に知らせる。するとドブネズミは恐怖に身体を硬直させて、脚をピンと伸ばしたまま横に倒れた。蜘蛛という絶対的な捕食者に対する恐怖もあるが、深淵の娘が持つ気配に圧倒されたのだろう。倒れたネズミの姿を確認すると、ハクはすぐに気配を消してドブネズミから距離をとった。
人間の大人ほどの体高があるハクの姿が隠れてしまうくらい背の高い雑草の間から出ると、ハクは昆虫型の変異体が潜んでいる植物を避けて、日の光が入らない薄闇の先にトコトコと向かう。
「……オレは、ここだぁ」
ふいに声が聞こえると、ハクは立ち止まって薄暗い通路を見つめる。
「……たすけてくれぇ」
もう一度声が聞こえると、ハクは声が聞こえた方角に向かう。かつて会議室として使われていた部屋の扉は破壊されていて、壊れたホログラム投影機からは、避難経路に関する情報が表示されては瞬いて消えていた。しかし漢字がただの模様にしか見えないハクは、浮かび上がる警告表示を無視して部屋のなかに入る。
テーブルやイスが雑然と転がる暗い部屋の奥で、グロテスクな肉塊が壁に寄り掛かっているのが見えた。それはかつて人間と呼ばれたモノで、人類が最も繁栄した旧文明期と呼ばれる時代から現在まで生き続ける化け物〈人擬き〉だった。
不死の薬を服用していた大昔の人間が、未知のウィルスに感染して誕生したとされる人擬きは、彼らを産み出した人類が消え去った世界で、あてどなく地上を
「たすけてくれぇ」と、人擬きは男性の声にも、女性の声にも聞こえる奇妙な声を出した。
本当に助けを必要としているのではなく、外部から得る刺激によって、死に際に多用していた言葉を反射的に繰り返しているだけなのだろう。
血管や筋繊維が粘菌のように広がって壁を侵食している光景を見ながら、ハクはそっと人擬きに近づいた。すると、ぬめぬめとした淡黄色の脂肪の間から無数の指が伸びて、もぞもぞと動き始める。ハクは気色悪い肉塊をじっと見つめて、それから何とはなしに糸の塊をペッと吐き出した。
強酸性の糸の塊を受けた人擬きの身体は、蒸気をあげながらゆっくり溶けていく。人擬きは痛みを感じないとされている。しかし刺激に反応して、奇妙な身体をもぞもぞと動かして、脂肪をじゅくじゅくと熔かしていく糸の塊から逃れようとするが、壁と融合しているため、動くことができなかった。だから肉塊は、禿げて膨れ上がった醜い頭部をハクに向けて、声の限り叫んだ。
その悲鳴が不快だったのか、ハクは裂けるようにパックリ開いていた化け物の口内に糸を吐き出して、化け物の喉を溶かした。
辺りが静まり返ると、会議室の奥で何かが光を反射して輝くのが見えた。その瞬間、ハクの関心は移る。
『おぉ』
堆積していた砂埃に埋まっていたのは、真鍮色の金属板だった。鏡面仕上げがされていて、ハクの大きな眼が映り込んでいた。白蜘蛛は触肢を使ってゆっくり金属板を持ち上げる。
『とても、いいものだ……』
ハクは金属板を見つめながらしみじみと言う。
『これは、たからものだな』
ひとり納得すると、金属板に糸を吐き出して、自身の腹部にペタリと貼り付けた。それからその場で何度か軽く跳んでみて、金属板が落ちないことを確認すると、肉塊の横を通って部屋を出た。哀れな人擬きには見向きもしなかった。
跳躍して建物の外に飛び出ると、向かいの高層建築物に糸を吐き出して糸を掴む。そして振り子のように弧を描きながら、建物の間を高速で移動していく。
しばらく夢中になって移動していると、ハクは暖かい気配を感じて、建物の外壁に張り付いて周囲に眼を向ける。すると大好きな匂いが風に乗ってハクのいる場所に届いた。ハクは嬉しくなって、すぐに移動しようとするが、その前に腹部に貼り付けた金属板が落ちていないか確認する。しっかりと固定されていることが分かると、脚を広げながら地上に向かって飛び降りた。
地面が接近してくると、近くの建物に糸を吐き出して落下速度をコントロールしながら、音を立てないように道路に着地する。視線の先にはポンチョを羽織った青年が、ひとつに結んだ長い髪を揺らしながら歩く姿が見えた。
ハクは身を低くすると、狩りをする猫のように、そっと青年に近づいていく。けれど気が急いていたのか、瓦礫を蹴飛ばして物音を立ててしまう。すると青年は素早く振り向いて、ハクにライフルを向ける。
「ハクか、驚かさないでくれ……」
青年はそう言うと、旧式のライフルを肩に提げた。
『レイ、あそぶ?』
ハクの言葉に青年は笑みを見せる。その際、濃紅色の虹彩をもつ瞳孔が金色の光を放つのが見えた。ハクはその色がとても好きだった。
「いや、これから廃墟の探索に向かうんだ。それより、ハクは今まで何処にいたんだ?」と、青年は目を細めながら言う。
『たんけん』
「楽しかったか?」
『ちょっとだけ』と、ハクは強がってみせた。
「それなら、俺と一緒に街の探索に行くか?」
青年の言葉にハクは嬉しくて思わず地面をベシベシと叩いた。
『いっしょ、いく』
青年がうなずいて歩き出すと、ハクは青年のとなりに並んで歩いた。きっと楽しいことが待っている。ハクは気持ちが高揚して、名も知らない歌を口ずさんだ。
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