7-3
堀北の通夜には親族、友人、高校からは野球部と堀北のクラスの生徒が参列した。誰もが堀北の早すぎる死を悲しみ、その場は涙一色に包まれていた。
この場の涙の数の多さは堀北の人望を物語っていて、自分が仮に今亡くなったとしても、同じ光景にはならないだろうと、栞は場違いなことを考えていた。
栞は堀北とクラスは違ったが、木下の計らいで参加することができたが、知り合いもおらず、たった一人で涙も流さずにいる栞は恐らく浮いていただろう。誰もが泣きながら親族に頭を下げる中、栞は薄情に映っただろうか。堀北の両親は、悲しむ堀北の友人たちに力なく微笑んでいた。
順番にお焼香をあげた後、親族の意向でその流れのまま棺で眠る堀北の顔を見ることができた。白い花に囲まれ、腹の上で手を重ねる亡骸を堀北と認識するのに数秒必要だった。
最後に見た時からかなり痩せ細り、頭にはニット帽が被せられていた。そこにいるのが堀北以外にはあり得ないという状況が、辛うじてそれを堀北だと認めざるを得ない理由だった。
参列者が多く、すでに辺りは暗いこともあり、生徒はそのまま帰宅するように教師たちに促され、名残惜しそうに順に帰っていった。
栞の順番は中盤のやや後ろで、流れに沿って帰ろうとしていたが、生徒を帰す木下と目が合うと、木下は手招きをした。
「先生、どうかしましたか?」
「お前は帰らずにちょっと待ってろ。建物の二階に座れるところがある。後で俺も行く」
栞は言われるがまま二階に上がり、通路に合った椅子に腰掛けた。
三十分ほど待った頃、人が上がってくる声と足音が聞こえてきた。子供を連れた家族らしい人たちで、恐らく堀北の親族だったのだろう。栞と目が合うとペコリと頭を下げた。
そのすぐ後に木下が上がってきた。先ほどは暗くて良くわからなかったが、いつも白衣を着ている木下は上下黒のスーツで黒いネクタイを締めていた。
「待たせたな。行こうか」
「どこへですか?」
「堀北の親御さんのところだ」
理由を聞く前に階段を降り始めた木下を慌てて追いかけ、付いていった先には堀北の母親が堀北の棺の横で誰かと話をしていた。
木下と栞に気づいた堀北の母親は、会話を終わらせるとこちらに向かって頭を下げた。
「連れてきました」
「先生、ありがとうございます」
連れてきたという言葉に困惑していると、堀北の母親がそれを察したようで、ごめんねと言った。
「私が先生に見かけたら待ってもらうように頼んでたいたの。あなたと、話がしたくて」
「私と?」
「私は席を外します。花木、帰りは駅まで送ってやるから外で待ってる」
木下が出ていった後、堀北の母親に促されて椅子に座った。一度だけ会った時とは別人のように顔に覇気がなかった。
「突然ごめんなさいね。今日は、勇樹にお別れをしに来てくれてありがとう」
「いえ……」
栞は堀北の母親の顔が見ていられず、膝の上で握られた二つの拳を見下ろした。
「母親として、あなたにお礼を言うわ。あの子が最後まで笑っていられたのは、あなたのおかげよ」
「そんな、私は……私の方こそ彼に感謝しています。彼が私を変えてくれたんです」
「……ふふ」
堀北の母親が急に笑い出して栞は驚いた。息子の葬式に滅入って正常な精神を保てなくなったのかと勘違いをしそうになった。
「花木さん、あなたも勇樹を変えたのよ」
「私が?」
「あの子は昔から物分かりが良い子供だったの」
堀北の母親は、息子が眠る棺を愛おしそうに見つめた。
「自分にできること、できないことを自然と受け入れて、欲が薄いと言えばわかりやすいかしら。初めて病気がわかった時も、あの子は平然としてたわ。初めは事の大きさを受け入れられていないのかと思ったけど違ったわ。誰も悪くないし、たまたま自分が病気になってしまっただけだって言ったの。私は健康に産んであげられなかったことを申し訳なく思うと同時に、あの子が怖くなったわ。あの子は自分の先の短い命を取るに足りないことのように受け入れたの。この子は、生きることにも欲がないんだって」
栞は堀北の達観した物の見方は、病がきっかけだと思っていたがそうではないと知った。生まれ持った性格、生まれた時から短命だとわかっていたかのような性格をした子供だったのだ。
「でもね、あの子が野球を辞めた少し後、帰りが遅いから理由を聞いたの。そうしたら、これからもずっと仲良くしたい友達ができたって嬉しそうに笑ったの。私はあの子にバレないように泣いたわ。あの子が自分の人生の先を見据えた話をしたのは、この時が初めてだったの」
堀北の母親は立ち上がって棺の中を見下ろした。
「この子に生きたいって、死にたくないって思わせてくれたのは、あなたよ」
栞も立ち上がり、堀北の母親の横に並んだ。
「この子に、未来を見せてくれてありがとう」
涙を頬に好きなように伝わせる堀北の母親は、息子がこの世を去り、辛く、やり場のない悲しみを抱え、代われるものなら代わりたいと思っているほどこの世界を恨んでいるはずなのに、優しい微笑みを浮かべていた。
「お母さん、私、一つだけ違うと思ってることがあります」
堀北の母親は、予想していなかったであろう言葉に拍子抜けしたように栞を見た。
「堀北は……勇樹くんは、出会った時から生きることに前向きでした。今を精一杯生きたいって言ってました。決して欲がなかったわけではないと思います。彼は、今という現実をとても大切にしていました」
「そう、だったのね。私の知らないところで、この子も成長してたのね……もっと……もっと、この子の成長を、みて、いたかった……」
堀北の母親は膝まづき、棺にすがるように手を掛け、堰が崩れたように嗚咽した。栞は寄り添って背中を擦った。しかしこの時も、栞の目から涙が流れることはなかった。
通夜の日、栞は堀北の家の住所を聞いていたが、今日まで一度も尋ねていなかった。堀北が死んでも、涙一つ流せないような自分には、その資格がないと思った。
いつものように三人分の食事を作り、自分の分を食してから自室に戻る。机に向かって参考書を広げて勉強を始めた時、携帯がメッセージの着信を知らせた。
『お久し振りです。花木さんに渡したいものがあります。受験勉強で忙しいとは思いますが、よければ今度、うちにいらしてください。勇樹の母より』
突然の連絡に栞は困惑した。まだ堀北の母親に会えるような状態ではないが、渡したいものとは何だろうか。
栞は悩んだ末、明日の放課後伺いますと返信をした。勉強する気は失せ、そのまま電気を消してベッドに潜り込んだ。
その日見た夢は、かつて堀北が得意気に話していた、彼が学園のスーパースターで、栞が密かに好意を寄せているというものだった。
夢だとしても、堀北のスーパースターには無理があり、半分夢だと気づいて栞は笑っていた。しかし、そんな堀北でも、栞は彼から目を離すことはできなかった。
翌日、栞は授業が終わると図書室には向かわず、堀北の家へと向かった。
いつもとは逆方向のホームで電車を待っている間、これが堀北が見ていた景色なのだと記憶に焼き付けていた。
マップを頼りに辿り着いた堀北の家は、控えめに建てられた二階建ての可愛らしい家だった。
インターフォンを鳴らすとすぐに玄関から堀北の母親が姿を現した。今が日中だからだろうか、通夜の日よりはいくらか表情に明るさが戻ったように感じた。
「急にごめんね。遠慮せずに上がって」
スリッパを出してくれた堀北の母親に礼を行ってリビングに入ると、一番人目につく場所に仏壇があった。
「よかったら、お線香あげてもらえるかしら。勇樹も喜ぶわ」
言われるまま線香をたむけ、仏壇の前で手を合わせる。写真の堀北はユニフォーム姿で、栞が出会う前の頃のものだった。
栞が椅子に座ると、堀北の母親は紅茶と洋菓子、そして一冊のノートを栞に差し出した。
「これは?」
「勇樹が入院中に書いてたみたいなの」
「日記、ですか? そんなものを私が見ても良いのでしょうか?」
「私もそれを読んだのは最近なの。読むのが怖くてやっと目を通したの。そうしたら、それはあなたに宛てたものだった」
「私に?」
「私は向こうの部屋にいるから、ゆっくり読んで」
堀北の母親が部屋を出ていった後、栞はノートの表紙を捲った。そこには堀北が書いた物語があった。
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