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名古屋駅を降り立つと、ホームからは大型の液晶パネルが見え、東京とさほど変わらない都会感があった。
栞と堀北が階段に向かってホームを歩いていると、後ろから声をかけられた。振り返ると、赤ん坊を乗せたベビーカーを押す、先ほど堀北が
「先ほどは本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる母親に堀北は慌てて頭を上げるよう促した。
「ほとんど僕が勝手に怒ったみたいになっていて逆に申し訳ないです。それに、赤ちゃんは泣くのが仕事なんですから気にしなくていいと思いますよ」
「本当にありがとうございます。私も初めての子でまだ全然わからないことばかりで」
「そうでしたか。子育て大変だと思いますけど、頑張ってくださいね」
母親は堀北と栞に何度も頭を下げてからベビーカーを押して去っていった。
「やっぱり、堀北は間違ってなかったと思うよ」
栞は堀北に素直な気持ちを伝えた。正解とか間違っているとかは人によって捉え方が違うかもしれないが、少なくとも栞は堀北が正しかったと思った。
「花木さんから借りた子育てを頑張るOLお母さんの本読んだら、もちろん読まなくてもだけど、子育てがどんだけ大変かわかるよね」
栞がまだ堀北に会ったばかりの頃に貸した本だ。
「そのお母さんがさ、旦那さんに言われた台詞覚えてる?」
「覚えてるよ。『子育てしようって思わなくていいんだよ。君がこの子と一緒に過ごして、笑って、泣いて、たまには怒って。特別なことをしなくても、そうやって僕たちは親になって、家族になるんだ』でしょ?」
「うん。同じ時間を過ごして、家族っていう物語ができていくんだなって俺は思ったな」
一緒に過ごすことで、お互いの考えや感情を知り、自然と関係性ができていく。家族だから、恋人だからそうするのではない。逆に言えば、家族でも栞のように愛されないこともこの世にはある。
「俺は花木さんと一緒にいて、俺の物語に花木さんがいることが嬉しいな」
「うん」
栞にとっても、堀北ほど同じ時間を過ごした友人はいなかった。読書以外で一番時間を費やしていることと言っても良いかもしれない。
電車を乗り換えて移動している間、窓から見える景色はどんどん緑が多くなっていった。照りつける太陽と青い空と入道雲が、夏であることをこれでもかと言うくらい主張していたが、栞はそれが嫌いではなかった。
電車を降り立つとアスファルトの上にはかげろうが揺らめき、蝉の泣き声は聞こえなかった。
「あ、迎えにきてくれてる」
堀北の視線の先には白い軽自動車とその横に立ち手を振る年配の女性の姿があった。二人で近づくと、その女性は太陽よりも輝かしく、しかし優しい笑顔を堀北と栞に向けた。
「ゆうちゃんよく来たねぇ。お友達も遠くまでわざわざ」
「いえ、とんでもないです」
栞は初対面の堀北の祖母に対してかちこちに固まった対応をしてしまい、それを見た堀北は横で笑っていた。
「高校の友達の花木栞さん。読書家なんだよ」
「まあまあ。ゆうちゃんがいつもお世話になって。仲良くしてくれてありがとうね」
「いえ、そんな、とんでもないです」
同じことしか言えない栞を見て、堀北はまた嬉しそうに笑った。
堀北の祖母が運転する車で三十分ほど更に山の方へ向かった場所、周りが田んぼだらけの所にぽつんと立つ家に着いた。昔ながらの家という雰囲気のある家で、玄関を入ると木の
「遠慮しないでくつろいでね」
客間の畳の部屋に通されると、堀北の祖母は冷たい麦茶を持ってきたかと思うと、何度も奥の部屋と行き来しては、これも食べてこれは美味しいよ、とあっという間に机の上は食べ物で埋まってしまった。
「ばあちゃんもう十分だよ」
また奥へ行きかけた祖母を堀北が止め、三人で机を囲んだ。
「久し振りだね、ばあちゃん。元気にしてた?」
「そりゃもうげんきだよ。ゆうちゃんに会えてもっとげんきになったよ」
久し振りに会えた孫に堀北の祖母はとろけてしまいそうなほど嬉しそうだった。
「じいちゃんに挨拶していい?」
そう言って立ち上がると堀北は隣の部屋にある仏壇の前で正座した。栞も慌てて立ち上がり、堀北の横に座った。堀北が線香をあげ、鐘を鳴らした後に二人で手を合わせた。栞は心の中で『お邪魔してます。素敵なお家ですね』と堀北の祖父に伝えた。
堀北は長いこと目をつむったまま手を合わせており、栞はなんとなく戻れずに隣に座ったままでいた。ようやく目を開けた堀北はいたずらっぽく栞を見て笑った。
「花木さんのこと紹介してたら長くなっちゃった」
「そうだったんだ……ありがとう?」
栞の疑問符に堀北はまた笑った。堀北がそのままお手洗いに向かい、栞は堀北の祖母と二人きりになってしまった。何を話そうか悩んでいると、向こうから栞に話しかけてくれた。
「ゆうちゃんがお友達を連れてくるなんて初めてで、それも女の子だなんて。あの子も大人になったねえ」
「そうだったんですか」
栞は恋人同士だと勘違いされているかもしれないと思ったが、わざわざ訊かれてもないのに恋人ではないと言うのも変な気がしてそこには触れなかった。
「学校のあの子はどう?」
「とても明るくて前向きな人だと思います。たまに変わってるなと思う時もありますけど、本について話す相手ができて私も嬉しいと思ってました」
「いっしょにいて楽しいかい?」
「はい。私は友人と呼べる人が居なかったのですが、彼が私の前に現れて、私の生活に彼が居て、一緒に居て楽しいと思える相手です」
堀北の祖母は嬉しそうに何度も頷いては、ありがとうね、と言った。
堀北が戻ってきてからは、堀北と堀北の祖母が話しをして、たまに栞も会話に加わり、話は途切れることなくあっという間に昼食の時間になった。
祖母が台所に行くと、堀北は手伝いに向かい、栞も手伝おうと思ったが堀北に休んでいてと言われたので一人で待つことにした。
なんとなく客間を出ると、外がよく見える縁側があり、栞はそこに座った。普段なら本を読んでいないと落ち着かないような状況だが、不思議と栞の心は落ち着いていた。
堀北が言っていたように時間の流れがゆっくりに感じ、虫の声、湿った土の匂い、風が運んでくる草木の香、目の前に広がる一面の若草色の田んぼ、脳に送られてくる情報全てが栞の思考を鈍らせた。
都会にしか住んだことがない栞は、こんな物語のような光景が現実にあることを初めて知った。現実に、こんなに平和で、無害で、安らぎを与えてくれるものがあることを栞は知らなかった。
「あ、こんなとこにいた。お待たせ」
堀北に呼ばれて客間に戻ると、昼食にそうめんが用意されていた。
「暑いからね。冷たくしてあるよ」
三人で食卓を囲い、味の感想を伝え合いながらそうめんを啜っていると、栞は誰かと食べる食事がこの前の堀北と行った蕎麦屋以来、三人以上はもういつ以来かわからないほど前のことだと気づいた。
「冷たくて美味しいね」
堀北にそう言われて、そうめんを口に含んだまま栞は頷いた。堀北の祖母はいつの間にか栞のことも自分の孫を見るような目で見てくれている気がした。
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