#26 女神との再会

「ちょ、ちょっと待って。どのくらい我慢できる?」


「……ずっと我慢してたんです……」


 マジか……確かに両手にはリビトの脚のモジモジが伝わってくる。

 だけどこの状況で地面に降ろしてハイどうぞってわけにもいかないだろうし。


「ノリヲ! 赤魔石が出た! 早く拾って飲ませろ!」


 見ると地面にはあちこちに赤く光る結晶のようなものが淡い輝きを放っている。


「リビト君、あの赤いのを拾ったらまずは飲み込んで! そしたら皆と普通に会話できるようになるから!」


「わ、わかっ……あっ、早、く。も、もう……」


 俺の背中にしがみつくリビトの手まで震えている。

 片膝をついてリビトを降ろす。リビトが慌てて腰紐を解こうとしているのを庇うように『最低限の剣』を抜き、精神点を1点消費して剣身を伸ばす。小剣サイズの剣身は一メートルくらいはあるな。効果時間は三分間だっけ。


「ノ、ノリヲさん、解けませんっ!」


 泣きそうな声で腰を震わせるリビト。


「ノリヲ急げ!」


 モーパッの声に振り返ると、プテラノドンがかなり近くまでってデカッ!

 大きく腕を伸ばして『最低限の剣』を振り回すと、プテラノドンは大きく旋回する。

 鳥と違って羽ばたくのではなく滑空するのに近いな。あまり小回りはできなさそうなので気をつけていれば。


「あっ」


 まさか?

 リビトの声が聞こえて振り返る――と、リビトの股間がぐっしょりと濡れ、湯気まで立ち上っている。プテラノドンにさらわれたんじゃなくて良かった。


「リビト気にするな。洗えばいいだけだから」


 多少無神経な言葉かもという自覚はある。だがモーパッが一人で群がる岩トカゲを蹴散らし、プテラノドンへの牽制をしてくれている今、命に直接関わらないことに気持ちを割いている余裕はない。

 地面に落ちている赤魔石を幾つか拾うと、一つをリビトの口に挿し込み、笑顔で頷いた。


「飲んで! サイダーみたいにシュワシュワするから」


 リビトは涙目ではあったが、ぎこちなく赤魔石を飲み込んだ。


「モーパッ! リビトが飲んだぞ!」


「それなら帰ろう! なんならノリヲも飲んでおけ! 飲めるだけ飲んでおけ!」


 そうか。反対属性でなければ、使える属性が増えるんだっけ。

 手に持った赤魔石を自分でも飲み込むと、周囲の岩トカゲの死体に灯る赤い光を片っ端からつかんでリビトと俺自身とに分け、俺の分はどんどん飲み込む。リビトも真似をして次々と飲み込む。


「よし! 引き返すぞ!」


 自身も赤魔石を口へ放り込みまくっているモーパッを横目に、リビトを抱え上げようとした。


「も、漏らしてるからっ」


 リビトが俺の手を反射的に避けて、何歩か後退ったそのとき、大きな影が一瞬眼の前を横切った。

 影が流れた方向へ目を向ける。プテラノドンが足でリビトをつかんで遠ざかる――間に合え!

 プテラノドンの「握力」に海苔を貼る――どうだ?

 リビトがプテラノドンの足から離れ、地面へと落下する。怪我は心配だがとっさに今の以上の選択肢はひねり出せなかったし、それに怪我なら治せる――魔法という選択肢があるだけで価値観が変わってゆく。なんて考えている場合じゃない。

 モーパッは既にリビトの方向へ走っている。他のプテラノドンが空で大きく旋回しながら、恐らくリビトを狙っている。さすがに空に居る連中には海苔が届かない。


 俺もリビトのもとへと走り出したちょうどそのとき、パーティー内通知が点滅した。

 すぐさま再生すると、ダットの声。


『ノリヲ兄貴、大変! 孤高姫様がさらわれた! 急いで戻ってきて!』


 マリーが?

 最初に頭に浮かんだのは、彼女のお父上。ジアエンソ・ニヤカーは確か衛兵本局局長。街道警備隊みたいな感じで出動していたとか?

 でもそれにしちゃダットの声は怯え過ぎている。


『今から戻る! 誰にさらわれた? チョウヒもダットも無事なのか?』


 パーティー内通知を返信しながら、チョウヒさんたちとの距離の遠さに不安が募る。行きは急ぎ足で二十分かかった。帰りは走ったとしてもそこまでタイムを縮められるとは思えない。マリーがさらわれるような状況ならチョウヒさんやダットが無事である確率だって下がるはず。

 そのとき、一匹のプテラノドンが大きく翼を広げ、俺の視界を遮った。

 両翼を広げるとその端から端までパッと見で十メートル近くあるプテラノドン。目隠しと呼ぶにはあまりにも大きすぎる。反射的に『最低限の剣』を振ったが、刀身伸ばしの効果時間はもう終わっていて、短剣サイズの刃は虚しく空を切る。

 プテラノドンはといえば滑るように空へと舞い上がっていた。


「ノリヲ! 構わずに戻るぞ! 坊主、大人しくしとけよ!」


 モーパッがリビトを抱え上げ……ん?

 途端にモーパッの動きが鈍り、止まる。

 俺が二人のもとへ到着したときは、ちょうどモーパッが地面にリビトを降ろしたところだった……けど、どういうことだ?


「モーパッ?」


「あ、うん……ノリヲか」


 さっきまでの熟練冒険者然としたモーパッらしからず、ぼんやりと俺を見つめている。もしやと状態異常を確認するが特に問題はなく。

 そのタイミングで再びパーティー内通知。


『チョウヒねえちゃんは無事。オレも大丈夫。状況は……最初、あいつが来たんだ。フシミの恐竜厩舎でモーパッアネキたちが戦ったあいつ。それでオレたちはノリヲ兄貴を追ってそっちに向かっているんだけど、足止めしてた孤高姫様が途中でおかしくなって……あいつが乗ってきた馬車にフラフラ乗ってっちゃって』


 コウ? でもあいつ、首飛んでなかっ……あ、まさか仲間が居て、生き返らせた?

 くっそファンタジー世界め。あんな状況で、魔王の状態異常をクリアした奴がコウに加勢もせずに隠れていただと? そんなとこまで気づけるかよ――とはいえ自分の見通しが甘かったのには違いない。

 マリーはチョウヒさんたちを守ってくれた……もしマリーに何かあったら……ダットたちがこちらへ向かってきてくれているのだけは朗報だけど。


「モーパッ、急ごう!」


 俺がリビトを抱え上げようとするが、その手をリビトは再び避ける。頬を真っ赤にしつつ、両手で股間付近を隠しつつ。

 気持ちはわかる。でも今は。


「リビト、今は仲間の命の危機なんだ。後で洗って済むようなことは気にせず、協力してほしい」


 と語りかけつつ、リビトにパーティー申請を出してみる。チョウヒさんたち、マリーとも違う、三つ目の個別パーティー。


「ノリヲさん、これって『はい』を選べばいいんですか? どうやって選ぶんです?」


 日本語ではなくゲンチ語で尋ねてきたリビトは、空中を指先でつんつんと押そうとしている。


「考えるだけでいい。意識を集中させるんだ」


『リビト 肉体:46/46 精神:50/50』


 お、パーティーできた! って、またかよ。肉体も精神も俺より高いのかよ。

 能力値が数値化されてハッキリわかるの、精神衛生上、本当によくない。続けて階位に赤魔術が入っていることを確認する。


『リビト 肉体:46/46 精神:50/50』

 『器用:12』

 『筋力:9』

 『敏捷:10』

 『頑丈:15』

 『知力:14』

 『魅力:15』

 『知覚:13』

 『幸運:8』

 『天啓:【規制支配】』

 『刻印:』

 『階位:赤1』


 その天啓を見てすぐにマリーの言葉が脳内に蘇る――「魔王の影の天啓には必ず【支配】という語が入っているらしい」っていうアレ。

 となると、リビトは本当に魔王の影?


(よくぞつながった)


 聞き覚えのある、身悶えするほど綺麗な声。

 原初の女神ナトゥーラ?


(いかにも)


 その声と共に周囲に霧のようなものが立ち込めた。モーパッもリビトも一瞬にして見えなくなる。

 そして目の前にはなんとも表現に困るあの姿が現れる。

 完璧に美しいプロポーションの女性の姿。ただしあちこちを卑猥な感じに海苔で隠した……。


(無礼な)


 すみません、と謝罪の意を伝えたうえで、今は時間が惜しいのです、とも伝える。


(だから、今なのだ)


 だから? 動揺する俺の近くへ、海苔まみれの女神ナトゥーラが近づいてくる。


(魔王の影とつながるたび……我が封印を一つずつ剥がすことができよう)


 つながるって、個別パーティー? それに封印を剥がすって……魔王の状態異常が巻き起こした大惨事を間近に見たばかりで、魔王と深い関係がありそうな女神ナトゥーラの封印を剥がすという行為に、いまいち積極的になれない俺がいる。


(封印を剥がせばそなたは新たなる力を得る……そなたの守りたいものを守るために役立つであろう)


 そういや前回、ナトゥーラの海苔を剥がしたときは、海苔の向こうに色が見えるようになったっけ。仕様がよくわからないから、全く活用できていないんだけど、


(封印向こうに見える色は欲望に係る色……同じ色には同じ欲望が潜む)


 なるほど……じゃなくて。

 俺がゲンチへ召喚されてお世話になった人たちは、前回の魔王復活の際に大事な家族を失っている。俺は魔王の側に加担するつもりはないんです。


(……ならばなおのこと……力を手に入れよ……さもなければ……そなたは何も守れん)


 周囲の霧が薄くなり始める。


(急ぎであろう……つながりを辿り封印に触れるには……つながりの象徴を解放せよ)


 この、いかにも力を与えてやろう的な、そうすればマリーを助けることができますよ的な、そんな誘いに乗ってもし俺が女神ナトゥーラの封印を解いてしまい、さらなる魔王被害の拡散に手を貸すことになってしまったら。


(魔王を造りし者は我ではない……我が力を奪いし者たちが我の力で魔王を……我が力を返せ)


 返せ、というナトゥーラの言葉と共に強い深い叫びのようなうねりが、俺の中になだれ込んできた。

 自然と涙がこぼれる。それでも俺の中の迷いが、女神ナトゥーラの海苔への意識集中を阻害する。


(神は虚言を吐くとき……その力を失う……魔王を排除したくば……我が封印を解け)


 わかった。

 俺は信じよう――原初の女神ナトゥーラを。

 深呼吸して一点に集中する。つながりを象徴するであろうその部位に貼られた海苔に。






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 魔王の影とのつながり、魔王についてナトゥーラから得た情報。自分の立ち位置の危うさにようやく気付く。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した白魔術師。

 チョウヒさんが無事だとダットは伝えてくれはしたが、本人の声が聞こえないことにこんなにも不安を感じるなんて。


・ダット

 ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。

 パーティ内通知をダットがしてくれるのはチョウヒさんの精神を温存するためなのだが、なんとなく不安。


・モーパッ

 真チョウヒ様ファンクラブ副会長デッの姉。感嘆するほどの筋肉を持ちながら小顔で美人。二十五歳らしい。

 とっても頼もしい……のだが、なんかちょっとおかしかったな。


孤高姫ここうひめ

 本名マリーローラン・ニヤカーを隠して冒険者をしている。公衆の面前でコウに恥をかかされた被害者。十九歳。

 状況は見えないのだがピンチのようで、それもチョウヒさんたちを守ってくれてのことで……。


・コウ

 ドバッグ家の三男坊だった性犯罪者。ダットの弱みにつけ込み卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。

 逮捕後、貴族身分を失くし、フシミで襲いかかってきたのをモーパッとマリーが返り討ちにした……はずなのに。


梨人リビト

 農業拠点フシミにおいて、魔王の状態異常『色欲』により宿周辺が地獄の惨状となった中、全裸で泣いていた美少年。

 日本人。赤魔石を飲ませて魔力身分証を入手できたようで、ようやく個別パーティを組めたが……魔王の影だと。


・ナトゥーラ

 最高のプロポーションの全裸に、卑猥な感じに六枚の海苔を貼り付けた、原初の女神。

 海苔は現在、犯罪者みたいに両目を隠すのに一枚、チョーカーみたいに細長く首に一枚、両乳首部分にそれぞれ一枚ずつ、へそ部分に一枚、股間に一枚。

 女神ナトゥーラが言うには、彼女から奪われた力で魔王が造られた、と。今は信じることにする。

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