#2 なぜか感じるシンパシーが股間を押さえさせる

「チョウヒさん! 上っ!」


 天井から粘り気のあるゲル状の白いモノが氷柱つららのように垂れ下がってきていた。

 反射的にチョウヒさんの手をつかみ横へと跳びつつ立ち上がる……なんとか避けることができた。


「なんで……?」


 チョウヒさんは天井を見上げて呆然としている……その後ろ姿から俺は思わず目を背けた。


「チョウヒさん……あの、後ろ、スカートっ」


 チョウヒさんのメイド服、膨らんだスカートの後ろのとこが大きく裂けていてパニエと白い太ももとがかなりの部分露出していたのだ。


「えっ? 嘘? なんで……あ、あのとき? きゃっ!」


 悲鳴が聞こえたのでやむを得ず振り返ると、チョウヒさんの肩に再び白いモノが……天井に貼り付いていたモノの場所が変わって……動いている?


「チョウヒさん!」


 駆け寄ろうとする俺に対し、左手をスッと上げて制するチョウヒさん。

 そして彼女はその白いモノを平手で軽く叩くと、すぐさまつかんで……引っ張った?


「これが白スライム玉」


 落ちてきた半透明の白濁ゲル状物質の真ん中にうっすらと見えていたピンポン球のように白く小さな球体。そこだけ白が濃いそれをチョウヒさんは握りしめ……え? 白スライム?

 これスライムなの?


「これをね、気合いで……こヴッ」


 パキャと卵の殻を潰すときのような音。


「握り潰すと、白スライムは倒せるから。これ、ソダテノカーから習ったゴクシ流メイド術、百八奥義が一つ、スライム玉潰し!」


 スライムとかメイド術とか奥義とかツッコミ所は多々ありますが、とりあえず股間がやけにソワソワします。


「え? 待って? なんで白スライムがここにいるの?」


 それ俺が聞きたいです。というか本当にここどこ?

 異世界ゲンチってのはネタでもドッキリでもなく?


「そっか。あのとき引っ掛けたのかも……って、開けっ放しってこと?」


 チョウヒさんは扉の向こうへ駆け出してゆく。

 取り残された俺は、床に落ちた白スライムの死骸にシーツの端をちょっと付けてみた。

 うわっ、ジワジワ溶けてゆく!

 慌ててシーツの端を手で払って……素手で触れた自分の慌てぶりに呆れる。

 だが手のひらに特に異常は感じない。そういやチョウヒさんも素手で触っていたし落ち着いてもいた。

 ……これ、もしかして衣服だけ溶かすスライムってやつか?

 だってチョウヒさん、この部屋出て行く前に既に片乳見えてたし。


 気を取り直し、扉の向こうを恐る恐る覗く。

 石造りの通路……天井の一部が距離をあけて光っている。まるでそこに照明具でも埋め込まれているかのように。


 通路自体は先まで見通せる程度の長さ……俺が住んでいたアパートの外廊下よりは長いくらい。で、どちらの行き止まりにも扉がついている。

 それ以外にも通路には幾つも扉がついていて、この部屋の隣の部屋は扉が開けっ放し。

 もしかしてここを抜け出すチャンスか?

 幸い全裸ではなくなったし……ふと、チョウヒさんのあの独り言を思い出してしまう。

 「ひとりぼっち」とか言っていた。

 十年前に家族を失い、三年前からは本当に一人で生きてきたあの子を置いて俺は逃げるのか?

 俺の意識が戻ってからずっと、俺の世話を焼いてくれているあんないい子を。


 覚悟を決める。

 逃げるのではなく、あの子を追う覚悟を。

 上下左右くまなく白スライムを警戒しつつ、俺は開きっぱなしの扉へと近づいた。




 扉の中は、左右の壁際に二段ベッドの木枠が寂しく残る以外は何もないがらんとした部屋。

 窓と思われる場所には板が打ちつけられ、カーテンレールには何もついていない。

 ただ、右側のベッド――俺が居た本棚の部屋側のは、下の段の床板が外されている。

 近づいて確認すると、床板の下には……これ、地下へと続く階段?

 チョウヒさんはきっとその向こうだろう。なぜならここにも玉を握り潰されたと思われる白スライムの死骸があるから。


 階段を降りると、廊下の灯りが届かなくなった。

 さっきの廊下よりかなり狭い通路。両側の壁も天井も、手を伸ばせば簡単に触れられる。

 手触りからするとレンガのようだ。石床と違って足の裏がそれほど冷たくはない。


「戻って! お願い!」


 通路の先からチョウヒさんの声?

 戻れって……俺のことじゃないよな。だって今のチョウヒさんの声、まだ遠いし。


「きゃっ!」


 急いだほうが良いかもしれない。

 俺は着ていたシーツを一枚剥ぐと、それを顔の前へと掲げる。

 これなら暗闇で顔にいきなりスライムがぶつかるのは防げるだろう。

 どうせ暗くて前は見えないのだし。

 深呼吸を一つ。それから全力でダッシュした。




 走っている足の裏に、スライムと思しき感触を何度か感じる。

 その中で、さっきチョウヒさんが白スライムを軽く叩いた理由をなんとなく理解する。

 こいつら普段はぬめっとしているのに、衝撃が当たったときだけ一瞬固くなる。固くとはいってもゴム長靴くらいなのだが――とにかく衝撃を吸収でもしているかのように……つまりその瞬間だけはつかむことができるってことか。


 幾つもの恐らく白スライムだったものを踏み越えて、シーツ越しの前方に仄かな明るさを感じたとき、急に足の裏の感触が変わったことに気付く。

 最初の廊下と同じ石床……ただし足の裏から伝わるのは底冷えする寒さ……なんてことも言ってられないか。

 少し先、廊下の中央に箱状の照明が置かれていて、チョウヒさんの背中を白く照らしているから。

 いや、背中というか……その、けっこう見えちゃいけない所まで。


「お願いだから、戻って!」


 メイド服だったものが申し訳程度に体に残っているチョウヒさんが空中に向かって手を伸ばして……いるわけじゃない。

 通路全体をほんのり白い巨大な何かが塞いでいる……この巨大なのも白スライム?

 チョウヒさんの体は少しずつそれに飲み込まれてゆく。


「ち、チョウヒさんっ!」


 本当に服しか溶かさないのか。人には本当に無害なのか。そんなことはわからない。でもあの大きさのに呑まれたら、きっと窒息する。

 俺は着ていたシーツをもう二枚剥ぐと、一枚を丸めてチョウヒさんのすぐ近くに投げる。そして溶けるよりも早くそこへ蹴りを食らわせる。

 一瞬固くなったそこへ脚を踏ん張り、呑まれかけていたチョウヒさんを抱きしめて後ろへと跳んだ。


 残るもう一枚でチョウヒさんの体を覆う。


「ど、どうして?」


 俺はシーツを裂いて作ったふんどし以外は全て脱いでチョウヒさんへと被せた。


「チョウヒさんはもう、ひとりぼっちじゃないから」


 泣きそうな顔で俺を見つめるチョウヒさん。

 何かを言いたげだが、言葉を発しない。


「あいつにもスライム玉、あるんだろ?」


 ちょっと掻き分けないとこの巨大スライムの玉までは届かなそうではある。

 でも俺の方が体が大きいし、それにほぼ全裸の女の子を後ろから眺めるだけなんてのは俺にはできない。


「ダメ……たどり着いても多分素手じゃ壊せない」


 地球人ガイドに書いてあったことを思い出す。


「魔法ってないの? 攻撃できそうな奴とか」


「あるけど……あなたに当たっちゃうかもだから」


「なんで俺に、」


 と言いかけてまた海苔に気付く。チョウヒさんの額に、新たな海苔

 それを剥がすと、チョウヒさんが完全な泣き顔になる。


「私の魔力酔いは『混乱』だから……魔法を使った瞬間、敵と味方を間違えたり、回復と攻撃を間違えたり……だから地球人さんが」


 なんだ?

 チョウヒさんの額に今度は□……■が海苔ならこれはのりしろとでも言うべきものか……そののりしろに触れると、なんとなく伝わってくる。その「魔力酔い」とやらのイメージが……ここに海苔を貼れる?

 そう考えた瞬間、俺の手の中に海苔の塊が現れる。

 さっき剥がした奴よりも明らかに大きい……その中から、のりしろにちょうどいいサイズの海苔を一枚剥ぎ取り、貼り付けた。

 感じていた「魔力酔い」のイメージが隠れた……ような気がする。


 チョウヒさんに意識を集中してみる……もちろん、首から上にだけ。

 多分、もう大丈夫。「魔力酔い」とやらのイメージがもう今は感じられない。


「俺は羽賀志ハガシ典王ノリヲ。ノリヲでいい。そして多分、チョウヒさんはその魔力酔いとやらをもう克服できているはず」


「……ノリヲさん?」


 俺はきびすを返し、白スライムへと突撃した。

 軽く叩いてはそこをつかんで右へ左へと押し広げる……単純だがその繰り返しでかなり進める。

 玉までもう少し……ってときに、体が急にぐるんと回転した。


 巨大白スライムの半透明ごしに、さっきのあの灯りが見える……その淡さが、分厚さを、俺がかなり内側に居るということを教えてくれる……だけじゃない。その距離感。灯りの横の照らされているチョウヒさんっぽい姿もぼんやりと……こいつ天井に貼り付いてんのか?

 なんてのんきなこと言ってる場合じゃない。呼吸ができない……予想できていたのに、まんまと自分がその目に合うとは。

 しかしこれはヤバい。

 分かっていた、はずなの、に……チョウヒさんの、声が遠く、に、聞……。


 一瞬、浮遊感を感じた。

 ジェットコースターで下り始めたときのような。

 無意識に伸ばした手が何かに触れて、俺はそれに必死につかまった……ビーチボールくらいの大きさのその何かに。

 ふと、触れているそれから光を感じた。


「ノリヲさん離れて! そいつは回復するの! 呑まれちゃう!」


 回復?

 直感した。そこにのりしろがあると。

 光り始めたビーチボールへ意識を集中すると、やはりある。のりしろが。

 海苔の玉からのりしろにちょうどよいサイズを剥いで、急いで貼った。


 光が急激に消えた……そのまま地面へと落下する。


 さっきビーチボールとか考えたからだろうか。俺は無意識にその玉をクッション代わりにして、その直後、全身に衝撃を覚えた。






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚されたっぽい。二十八歳。

 海苔は何かを解放し、のりしろは何かを封じる……のか?


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。

 俺を召喚したと言い張る。いまだに謎が多いが、本来一番隠すべきところが隠されてなくて困る。


・ソダテノカー

 家族を失ったチョウヒさんに手を差し伸べた元メイド長。あんたの教えたメイド術って何なんだ?

 三年前に亡くなられたようです。合掌。

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