第九話 襲撃の夜

 ネットの海は広大で、この二年以内という期間指定であっても急激に有名になった人物は多すぎた。〝捕縛者〟は憑いた人物を絶対に日本の土地から離さないから、海外に拠点を移した有名人は除くことができる。毎晩ネットで検索を掛け、写真を探しては七神にメールで送る。 


 検索を始めて恐ろしいと思ったのは、急激に名前が挙がって消えていく人の多さ。病気になったり、死亡した人もいる。一時的に有名になり、その後は平和に暮らしているという報告を見ると、ほっと安堵の息を吐いてしまう。


 もちろんさらに有名になって定着している人もいる。メディアに応援されていたり、実力があったりする人も多く、誰が〝捕縛者〟に憑かれているのか私にはわからない。


 検索する中で、最初に神社から御札を盗んだと思われる人物の情報を拾った。十九歳の少年は、高額の宝くじを当てて外車を何台も購入して乗り回す中、スピードを出し過ぎてコントロールを失い、電柱に激突して事故死していた。その事故現場でも赤い着物を着た子供の姿が目撃されている。


 少年のSNSを辿ると、次々と死亡者に繋がっていく。一様に高額のブランド品や外車の写真を誇らしげに並べ、札束風呂まであった。そして更新が途切れて、コメント欄にお悔やみの言葉が並ぶ。


「……一時的に幸運を呼び寄せて、祟り殺すってことなのかな……」

 心優しい文葉なら自分だけの幸運を喜ばず、罪悪感で体を明け渡してしまったのかもしれない。


 祟り神の体を封じたという御札が、いつの間にか祟り神に影響されてしまったのだろうか。考えても考えても確かな答えはでない。

 

 スマホの着信音が流れ、画面を見ると文葉の名前が表示されていた。出るかどうか迷ったものの、これまでと同じようにと七神に言われたことを思い出した。


「文葉? どうしたの? 引っ越し決まった?」

『それはまだなの。蓮乃が最近付き合い悪いからさー。嫌われちゃったのかと思って』

 中身が入れ替わっているとわかっていても文葉の声は明るくて、聞いているとほっとする。早く、元の文葉を取り戻したい。


「そうじゃないよ。仕事の調べ物が多くて、全然どこにも遊びにも行けてないの。ごめんね」

『ねぇ、近くまで来てるんだけど部屋に入れてくれないかな?』

「え?」

 反射的に壁の時計を見ると、午前二時。さっと血の気が引いていく。スマホを手にした時、まだ日付は変わっていなかった。二時間以上も時間が飛んだのか、どちらかの時計が間違っているのか。


「あ、そ、その……ごめん、部屋散らかってるから……」

 嘘ではない。買ったまま読んでいない雑誌や本が袋入りのまま詰み上がっていて、畳んでいない洗濯物が椅子の上に積み上がっている。何なら、この写真を撮って送れば納得してもらえるかもしれないと思った時、部屋の灯りが消えた。


『そんなの、一緒に片付ければ平気でしょ。ねぇ』

 窓を強く叩く音が聞こえて、振り返る。カーテンを閉め忘れた窓の外、スマホを片手に持ち表情のない文葉の顔が見えた。ここは四階で、窓の外に立つ場所はない。


『部屋に入れてよ。私は蓮乃を部屋に入れたでしょ』

 震える指で通話を切り、緊急連絡先に登録しておいた七神へ電話を掛ける。何度コールが鳴っても七神は出ない。


「お願い、七神さん、出て。お願いっ……」

 壁を背に、がたがたと体が震えて止まらない。恐怖が過ぎると、目が逸らせなくなるのだと初めて知った。文葉の目と唇が弧を描く。


『誰も助けになんてきてくれないよ。だって……私がそうだったもの』

 文葉は手にしたスマホを振り上げて、窓を叩いた。ガラスに小さくヒビが入り、文葉は再度、窓を叩く。


 何度も何度も文葉は窓を叩き、ヒビが全体へと広がっていく。ついには、ガラスが破られた。


 床にガラスの欠片が散乱する中へ、ベージュ色のワンピースを着た文葉がゆっくりと入ってくる。顔は無表情で、目の焦点はあってはいない。スマホを握る手はガラスで切ったのか血だらけなのに、痛みを感じてはいないらしい。


 暗い部屋の中、パソコン画面の青い光が文葉を照らす。

『蓮乃……部屋、一緒に片付けようよ……ね。一緒に』

 ゆらゆらと文葉は左右に体を揺らしている。その手に捕まったら、私は一体どうなるのか。


『そうだよ。一緒がイイヨ。ワタシタチ、トモダチ、デショ。……トモダチ、ダカラ、アアアアアアアアアアアアア!』

 叫びを上げた文葉は、体を揺らし不自然な動きで近づいてくる。震える脚を叩いて玄関へと走ると、今度は玄関扉を叩く音が響いた。また黒い泥がいるのかと怯んだ所で声が聞えた。


「蓮乃! 開けろ!」

 声は七神。やっと来てくれたと扉を開けようとして、手が止まる。これは罠ではないのだろうか。


「蓮乃! 必ず助ける! 俺を信じろ!」

 そう言われて、何故か私の心は動いた。鍵を開け、扉を開くと黒のカットソーに黒のジーンズ姿の七神が飛び込んできて私を背に庇う。


 立ち尽くす文葉の顔がこけしのような顔に替わり、また元に戻るを繰り返す。

「マジかよ」

 ぎりりと歯噛みした七神はどこからか抜き身の短刀を取り出し、右手で水平に構え、左手の人差し指と薬指を添えながら何かを呟く。


 銀色の刃が白い光を帯びて周囲を照らす。

「イヤアアアアアアアアアアアアアア!」

 光を浴び、眩しそうに顔を手で覆った文葉の姿は薄くなり、空気に溶けるように消えてしまった。

「消えた……」

 文葉本人ではなく、〝捕縛者〟が姿を借りただけだったのか。

 

 七神が何もない空間を短刀で縦横に何度か斬ると、短刀も消えてなくなった。

「間に合ったか……」

 大きな溜息を吐いた七神の顔を見て、私は気が付いた。

「春人さん?」

「わかるのか?」

 七神は驚いた顔をしている。


「はい。でも、どうして春人さんが私を助けてくれたんですか?」

「あー、それはあいつが今、霊力を使い果たして眠ってるからだな。ここしばらく、毎日何かを探してるらしい」

 きっと〝捕縛者〟を探しているからだろう。すべては私のわがままのせい。


「助けて下さってありがとうございます」

「……礼を言われる程のことじゃねーよ。しかし、あいつの結界破ってくるとはな」

「どうして結界を破られたのでしょうか」

 今までは無事でいられたのに。


「あいつが気を抜いてるからだ。力頼りの結界は、気が緩むと薄い箇所が出てくる。俺が今、術式の違う結界を張り直したから、もう破って来れないだろ。それにしても、ひでぇな」

 窓ガラスが散乱する室内を見て、七神はうんざりとした顔をした。


「……おい、お前、俺の部屋に来るか? これじゃあ住めないだろ」

「ありがとうございます。でも片付けますから、大丈夫です」

 窓から見える空の向こう、うっすらと朝の光で白んでいる。結界が張り直されたのなら、片付けてマンションの管理人に連絡しなければ。


 怪異は怖くても七神の部屋に行くという選択はできないし、仕事もある。現実は甘くない。


「そうか。俺はあいつと違って片付けが苦手だ。手伝えねぇから帰るぞ」

 仕方ないと笑う七神を見送って、私は片付ける為の気合いを入れた。


      ◆


 部屋に散乱したガラスをざっと集めて、割れた窓に書店の袋を貼った状態で出勤した。マンションの管理人に連絡して、昼休みに立ち合いで割れた窓を確認してもらった。


 何故割れたのか理由を問われても、まさか友人に割られたとは言えなかった。夜中に突然割れたと言うしかない。幸いにも、割れたガラスがほとんど室内にあったので私が故意に割ったことにはならず、無償でのガラス交換が決まった。


 文葉には助けはなくて、私には七神の助けがあった。その格差を思うと胸が痛くて辛い。七神だって万能ではないことは理解している。それでも何故私だけ助かったのかという罪悪感で心が重い。


 他のスタッフには、夜中に突然窓ガラスが割れたと事情を説明して、私はバックヤードで封筒の宛名書きを行っていた。この画廊の顧客も画家と同じで、印刷された宛名を嫌う人が多く、文面は印刷でも宛名は必ず手書きと決まっている。名簿を見ながら名前を書いていると、一人一人の顧客の顔が思い浮かぶ。


 何年も来ていない顧客の名前を見つけて、ふとネットで検索を掛けると訃報が見つかった。後でオーナーに確認しようとメモを書く。これまでは、ネットで消息を調べるなんて考えたこともなかった。現役で社長や取締役として活躍している人はともかく、引退や退職した人の訃報がニュースになることは少なくて、家族から止めて欲しいと連絡が来るか、郵便物が戻ってきて止めていた。


 一区切りついて、封筒をカゴへと入れた所でバックヤードに朝木が入ってきた。その手には缶コーヒーと缶のミルクティ。


「賀美原さん、大丈夫? 窓が割れたって? ……例の件?」

「……はい」

 詳細は話せなくても、朝木は怪異が理由と知っているというだけでほっとした。この二カ月程の間、美織の事件や押しかけてくる記者の騒動、割れた窓ガラスと、いろんな件が一度に起こり過ぎていて、本当の理由を隠して説明するのがつらくなっていた。


「一人で飲むのは寂しいから、一緒に飲んでもらえないかな」

 笑って差し出されたミルクティを手に取ると、その冷たさが宛名を書き続けた手の熱を下げてくれた。優しい気遣いが嬉しい。


「ありがとうございます」

 久しぶりに飲む缶のミルクティの甘さと冷たさが、張り詰めていた気持ちを緩めていくような気がする。感じていた体のだるさは、睡眠不足かと今更気が付いた。


「困ったな……しばらく僕の部屋へ避難しないかと言いたい所だけど、七神に結界でも張ってもらわないと難しいだろうな」

 おそらくは親切心とはいえ、気軽に男性の部屋へ誘われても困ってしまう。気持ちだけで充分とお礼を伝えて、ミルクティを口にする。


「窓の交換が終わるまで、大丈夫?」

「……正直に言えば怖いです。明日のお昼に作業してもらうことになっていますが、それまではパネルを貼って凌ごうかと」

 解説文や簡易展示に使うスチレンボードのパネルの切れ端をもらって帰ることにしている。書店の袋よりは頑丈だし、外が見えないのがいい。


「僕や七神は無理でも、友人に来てもらったらどうかな。人間が楽しく笑って過ごしていると怪しい奴らは近づきにくいらしいよ」

 朝木の提案を聞いて、隠せないくらいに体がびくりと震えた。


「……すまない。……友人絡みなのか」

 朝木の勘は鋭い。


「今日はコメディ映画を流しておくことにします。何かおすすめはありませんか?」

「ああ、それなら……」

 朝木はおすすめの映画のタイトルだけでなく、電話番号とメッセージアプリのナンバーも教えてくれた。


「今日は夜中でもいつでもいいよ。僕は明日休みだから、きっと夜更かしして暇を持て余してる」

 朝木の優しい気遣いに感謝して、私は心からのお礼を述べた。


      ◆


 仕事が終わって画廊から出ると、七神からメールが届いていることに気が付いた。電話を掛けると真っ先に謝罪があって、電話越しでも狼狽しているのを感じる。


『時間があれば夕食を一緒にどうだろうか? ………………例の定食屋だが』

 その空白の時間、他のお店を考えたのかもしれない。そう思うと肩の力が抜けて、自然と笑みが零れる。


 待ち合わせはどこでと聞こうとした時、路地でスマホを持つ七神の姿が視界に入った。不自然にならない程度に会話をしながら、そろそろと近づく。


「と、いうことで。お待たせしました」

「うわっ!」

 私が肩を叩いた途端、飛び上がりそうなくらい驚く七神の姿が可笑しくても、堪えるしかない。普段の冷静沈着な顔とは程遠い。今日は私が笑いを噛み殺しながら並んで歩き始める。


「えーっと、その……すまなかった。まさか結界を破られるとは思っていなかった」

「謝らないで下さい。私が無理をお願いしているのが悪いんです」

 毎日、霊力を使い過ぎているのは私のせい。別人格でも助けてくれた七神には感謝の気持ちしか抱けない。


「人が楽しく笑って過ごしていると怪異は近づいてこないと聞いたのですが、部屋にコメディ映画を流しておけば防げますか?」

「ああ。……そうか朝木から聞いたのか。流すだけでなく楽しいと笑うことが重要だ。特に笑い声は闇を退ける力がある。笑うという行為は生命力が表面に溢れる状態で強烈な陽の気を発しているから、陰の気を持つ怪異が近づくとプラスマイナスで打ち消し合う。…………失態の言い訳にしかならないが……その護符を着けていれば、あいつが出て来なくても退けることはできたはずだ」


「あ、そうなんですね。それは安心です」

 文葉の姿をした怪異が部屋に入ってきた光景は怖かったとは思っても、助けてくれた七神の背中も同時に思い出すから恐怖は薄くなっている。


「眠っている間はどうしている?」

「ペンダントを着けるようにしています。ブレスレットは枕元に置いています」

 スマホはもらったハンカチで包み、お護り袋は常に鞄の中。


「そういえば、最初に頂いたハンカチは何の霊符なんでしょうか」

「最初? ああ、破軍星はぐんせいの霊符だ。破軍星は七剣星の一つで剣先を示しているから、身を護る力として符に降ろした」


「七剣星って、北斗七星ですよね。他の六つの星にもそれぞれ力があるんですか?」

「ああ。武曲むごく廉貞せんそく文曲もんごく禄存ろくそん巨門こもん貪狼たんろうには、それぞれ特性がある」

 馴染みのない言葉を一気に耳で聞いてもさっぱりわからない。表情に出てしまったのか、七神がくすりと笑う。


「今のところ使う機会はないと思うが、あれば説明しよう」

「……お願いします」

 果たして、理解できるだろうかという不安を残しつつ私は笑顔を返した。


      ◆


「ご馳走様でした」

 定食屋で、また七神におごってもらってしまって気が引ける。何をお返しできるか考えても日本酒しか思いつかない。趣味も知らないし、毎回違った定食を食べているので食べ物の好みもわからない。判明しているのは、強いお酒が好きということ。


「そういえば、先日の日本酒、お好みのお酒はありましたか?」

「全部美味かった」


「良かった。日本酒は全然知らないので、物凄く悩んだんですよ」

 私の部屋に向かって歩きながら、一つずつの銘柄で感想を聞くと、やはり辛口が好みなのかもしれないと思う。甘い物は苦手なのかもしれない。


「じゃあ、次は……」

 辛口中心でと言いかけた時、鞄に入れたスマホが振動した。画面を見ると文葉の名前が表示されていて、ぎくりとする。


「どうした?」

「……文葉からです……どうしたらいいですか?」

 昨日の夜から、文葉のメッセージが途絶えていることに今更気が付いた。電話は時々でも、毎日一言二言のやりとりは欠かしていなかったのに。


「平静を装って出てくれないか。何か仕掛けてくるようなら、対処する」

 七神に促され震える指で電話に出ると、文葉の声ではない女性の声が返ってきた。


『あ、蓮乃ちゃん? ごめんなさい、文葉の母です。今、電話して大丈夫

?』

「はい。大丈夫です。……文葉に何かあったんですか?」

 学生時代に会った時の姿が浮かぶ。文葉に良く似た若々しい女性だった。


『実は文葉が部屋で倒れていたの。最近、体調のこととか聞いてないかしら』

「倒れた? え、待って下さい。文葉は? 大丈夫なんですか?」

 昨日現れたのは文葉の姿を借りただけと思っていたから、文葉自身に何かが起きているなんて、全然考えてもいなかった。


『今、病院にいるの。眠っているだけだから安心して。お医者さんは、体に異常はないって』

 良かった。ほっと安堵の息を吐く。


『驚かせてごめんなさいね。……美織ちゃんのことで、相当気が滅入っていたのかしらね。あの子はいつも無理して明るく振る舞うから……』

「……そうかもしれません。文葉はいつも私たちに気を遣ってくれていました」

 また何かあれば連絡すると言われ、そこで電話が切れた。


「文葉が倒れて病院にいるそうです」

「……すまない」

「どうして冬登さんが謝るんですか?」

 七神の瞳は憂いに満ちていて、謝罪の理由がわからない。


「……あいつの術は技巧を凝らし過ぎているから、たとえ離れていても憑依された者へ害を与えることがある」

「それは……でも、眠っているだけで異常がないそうです」

 仕方なかったとは言いたくはないけれど、助けられた私は助けてくれた七神を責める気持ちは一切ない。


「友人の体がその状況なら、しばらくは〝捕縛者〟も動けないだろう。他の〝捕縛者〟の回収を急ごう」

 静かな七神の言葉に、私は頷いて応えた。

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