第八話 命の価値

 美織の事件から一カ月半が過ぎ、検視が終了した遺体が返されて、ようやく葬儀の日がやってきた。時間が経ちすぎていて、別れの実感が薄い。


 葬儀の大体の日時は事前に連絡があったものの、場所は前日の夕方に知らされた。七神にメールをすると、同行すると返事があった。


 マンション前で待っていた七神は黒のスーツ姿で、いつものカジュアルな服装とは全く異なる印象。私は黒のワンピースとボレロの喪服。


「こんにちは。えーっと……」

 今日はどちらだろうか。雰囲気と表情からは兄の冬登だと感じる。

「兄の方だ。……あいつに会ったらしいな。朝木に聞いた」

 緊張した顔は若干の戸惑いを含んでいる。いつもの七神と確認して、ほっとした。


「君は平気なのか? その……同じ顔、同じ体の人間が二面性を持っていることに」

「別人だってわかるから平気です」

 自分でもよくわからないけれど、見分ける自信のようなものはある。どちらの七神も根本に優しさを感じるから不快とは思わない。


「……私とあいつの違いがわかるのか?」

「はい。今も挨拶する前にわかりましたから。どうかしましたか?」

 私の答えを聞いて、七神は視線を揺らして静かに慌てている。


「……いや。その…………驚いているだけだ。区別できるとは思わなかった」

「お二人は雰囲気も表情も全然違うのでわかるんだと思います」

「……そ、そうか……」

 口を引き結びつつも七神の緊張が解けたのがわかった。これまで二重人格ということで苦労してきたのだろう。


 別人と思って接すればいい。朝木の言葉が素直に頭に入っている。

「……行こうか」

「はい」

 私はまた懐かしさを感じながら、七神の隣へと並んだ。


      ◆

 

 駐車場の用意はなく、公共交通機関での来場が求められていたので、バスを乗り継いで葬儀場へと到着した。公園と住宅街が近いためなのか、目立つ看板もない灰色の建物はひっそりと建っている。


 通夜は行われずに密やかな葬儀。オープンな葬儀では、また週刊誌の記者がくるかもしれないと警戒されていて、葬儀場にあるはずの看板の掲示もない。入り口にある受付で名前を告げると奥へと案内された。


 小さな部屋の中、白い花で飾られた御棺の扉は閉められている。美織の両親と弟、職場の関係者が三名。あとは文葉。という最小限でのお別れの会だった。


 美織の父はメディアスクラムの件を陳謝して頭を下げ続けた。母親も大学生の弟も明らかに憔悴していて胸が痛い。私ですら職場まで追いかけられて迷惑したのに、家族はもっと大変だっただろうと簡単に推測できる。


 僧侶がお経をあげている間、笑顔の遺影を見ていると、涙が零れて止まらなくなった。隠していたけれど、うらやましいとずっと思っていた。デザインコンペでいくつも大型案件が決まって、専門誌に取り上げられて。いつもブランドの鞄と靴。真新しい流行りの服を着たカッコ良くて、とびきりの美女。


 だから、正直言ってあのマンションの部屋を見た時にはほっとした。完璧超人にも欠点があったと知って、嬉しかった。外で飲んだり、時々旅行をしたりするだけでなく、これからは私の部屋にも招いて、本の多さを笑ってもらおうと思ったりしていた。


 未来の夢が一瞬で無になってしまう。その無念を思うと、悔しくて仕方ない。


 ふと隣にいた文葉を見ると、何故か涙一つ零さずに御棺を見つめている。何の感情もなく、ただ見つめているというより、ただ立っているだけのように見えた。


 悲しいと表現するのは、人それぞれ。事件の日には文葉もあれだけ泣いていたから、もう涙も枯れたのかもしれない。


 火葬場への出棺を見送っても、溢れる涙は止まらず、ハンカチは湿っていく。そっと背後から白いハンカチが渡されて振り返ると緊張した顔の七神と目が合った。

「ありがとうございます」


 受け取ってみると、ハンカチの中に和紙が挟まれていた。

『そのまま使ってくれ』

 静かな囁きは緊迫感を伴っていて、私はそのまま涙を拭く。


 火葬場への同行を問われた時、私は着いていくつもりだったのに七神が即座に断った。抗議しようとしても、ご家族だけの静かな時間が必要だと言われれば納得するしかない。


 葬儀場を出ると文葉の姿はすでになく、私は七神と一緒に最寄りのバス停へと歩き出す。

「あの……ハンカチ、ありがとうございます。後で洗ってお返しします」

「ああ。いつでもいい。中の霊符は私が処分しよう。これは周囲にいた霊を連れて帰らない為の霊符だ」

 ハンカチの中に挟んであった和紙だけを受け取った七神は、妙に緊張した表情で周囲に注意を向けている。


「どうしたんですか?」

「一度、私の部屋に来てくれないか。そこで説明する」

 何が起きているのかわからない不安の中、私は頷くしかなかった。


      ◆


 玄関先で七神に渡された清めの塩を、胸と背中、足元に振ってから部屋に入ると、驚くような光景が広がっていた。道場のごとく綺麗に片付いていたはずなのに、テーブルの上には宅配ピザの空箱や、ハンバーガーショップの袋が積み上がり、ビールの空き缶やポテトチップスの袋が床に多数転がっている。

 ちらりと見えたキッチンのシンクには、店屋物と思われる食器が積まれていた。


「後で自分で片付けるから気にしないでくれ。……昨日の夜まで、あいつが表だったから好き放題やられた」

 どうやら弟人格の春人は、ジャンクフード好きらしい。


「あ、あの、お話の前に片付けさせてください。この状況だと落ち付いて話を聞けないと思います」

「……すまない。そんなつもりはなかったんだが……」

 私の提案を聞いて、七神は口を引き結んで眉尻を下げる。


 スーツの上着を脱ぎネクタイを外した七神が、ゴミを袋に入れていく。私はシンクに積まれた丼や桶を洗う。水切りカゴはないから、タオルを敷いて食器を伏せて乾かす。一時間もかからないうちに、テーブルは片付き、モップで床拭きまで終わった。


「春人さんは、片付けたりしないんですね」

 苦笑すると七神が驚愕の表情を見せた。

「あ、あの……何かお気に触ることを言ってしまったのでしょうか」


「いや……あいつの名前を呼ぶ女性は初めてで、驚いただけだ」

「あ、すいません。名字のままお呼びした方がいいんですね」


「……もし可能なら、私も名前で呼んでもらえないだろうか」

冬登ふゆとさんとお呼びしてもいいんですか?」

 私が名前を呼ぶと、七神の動きが止まった。奇妙な沈黙の中、見つめ合っていると恥ずかしくなってくる。


「ああ。これからは名前で呼んでくれ」

 目を泳がせる七神の表情が可愛らしくて、私は微笑むしかなかった。


      ◆


 綺麗に片付いたソファに座り、七神の話を待つ。先程から、七神は何度も何度も話をためらっていて、私はずっと待っている。


「君にとっては酷いことを言うことになる。信じられないとは思うが、気持ちをしっかり持って聞いてくれ。結論から言うと……葬儀にいた……生きている方の友人は……〝捕縛者〟に捕まっている。助けることは難しい」

 その話は唐突過ぎて、理解できなかったというより、理解することを心が拒否した。


「助けることが難しいって、どういうことですか?」

「中身が〝捕縛者〟に入れ替わっている。……友人は、繊細で優しい性格だったんだろう。〝捕縛者〟に捕まった後、闇に耐えられずに体を譲り渡したと推測する」


「理解できません。文葉は、いつもと変わらな……」

 ふと文葉の顔が〝捕縛者〟そっくりに見えたことを思い出して言葉に詰まる。


「身に覚えがある、か……」

「元に戻すことは? 何か方法があるんじゃないですか?」

「……多少でも残っていれば、〝捕縛者〟を追い出す方法もあるにはあるが、葬儀の間ずっと探っていたが本人の魂はいなかった」


「あ、あのっ、魂を探し当てたら戻せますか?」

 私の問いに、七神は口を引き結んで黙ってしまった。無理なのだろうか。私はまた友人を失うのか。すがるような思いで見つめていると、七神が静かに口を開く。


「成功率はかなり低いが、可能性はある」

「どうやったら探せますか?」


「君は友人の為に命を掛ける覚悟はあるか?」

 鋭い言葉とは裏腹に、七神の瞳は優しい。文葉の為に自分の命を掛けるという恐ろしさに体の震えが止まらない。まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。


「はい」

 偽善というか、軽々しい覚悟だとは思う。それでも私が後悔しない選択肢は一つしかない。


「わかった。……まずはすべての〝捕縛者〟を回収する必要がある。全部で七体。一体は確保している」

 それは美織の部屋にあった物だろう。


「一体は君の友人になり替わっているから、残り五体だな」

「待って下さい。文葉と入れ替わっているのは美織の部屋にあったものとは別なんですか?」


「そのように感じた」

「文葉も何かのきっかけで違う御札を手に入れたっていうことですか?」


「手に入れたか、追いかけられて捕まったかのどちらかだと推測する。〝捕縛者〟は祟り神を封じるという一つの目的で繋がっているから、様々な情報を共有している可能性はある」

「情報を共有……? 何の情報を?」


「次の所有者になる可能性がある人物の情報だ。想像でしか語れないが〝捕縛者〟を君たち二人が目撃した時、所有者がいない〝捕縛者〟がいたのだろう。まずは君に狙いを定めたが退けられた。次に君の友人を狙った」


「……私が助かったから……文葉が狙われた? ……嘘……そんな……」

 一気に苦しくなった心臓を両手で押さえてみても、後悔が止まらない。震える肩を七神が優しく掴む。


「しっかりしろ。友人を助けるのだろう? 君の心が悲しみで闇に堕ちれば、友人は絶対に助からない」

 大きな手に肩を包まれると体の震えは止まった。ここで嘆いていても何の解決にもならない。文葉を助ける為に、行動しなければ。


「あの…‥私は、どうすればいいんでしょうか」

「ネットで情報を集めて欲しい。ここ二年以内に、急激に功績を上げて有名になった人物、突然羽振りの良くなった人物を調べて、私に教えて欲しい。本人の写真を見れば〝捕縛者〟が憑いているかどうかわかる。私は霊力で〝捕縛者〟を探す」


「友人に憑いているものは最後に回収する。苦しいとは思うが、気づいていないふりをして接してくれ。今は友人の体を維持する為に〝捕縛者〟が必要だ」

 〝捕縛者〟がいなくなると、体が生命活動を止めてしまうと聞いてぞっとした。これまでと変わらず、友人として接する難しさを感じても、乗り越えたい。


「どうか文葉を助ける為に、力を貸して下さい」

 今の私は、七神に頭を下げてお願いすることしか出来なかった。

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