第46話 夢の終わり

 探検家のような格好をしている男の両脇に、懐かしい顔触れが並ぶ。

 死んだはずの菜月とスミレだ。

 二人とも黒い和装で身を包んでおり、表情はなく死神か幽霊のようである。あの世から抜け出して来たようだった。

 正面左側に立つ、菜月とよく似た女が進み出てきて、膝を突いたままの千春に声をかけた。


「千春。鉄砲なんて、どこで仕入れたんや? そんな危ない物振り回したらあかん。お姉ちゃんに渡して」


「……あ、ああ」


「千春。聞こえてる? 貰って行くからね」


「な、菜月お姉ちゃんなん?」


 菜月と呼ばれた女は、千春の横に落ちている猟銃を拾い上げた。少し微笑んだようである。


「そうやで。久しぶりやな千春。もう大丈夫やからね」


「大丈夫って、何が?」


「もう、戦わんでええよ」


「え……。そうなん?」


「そうや。もう戦いは終わった。スミレも連れて、怪我せんうちに帰るで。こんな所に長居は無用や。ラーメン作ったる。お腹空いたやろ?」



 姉と妹が再会した感動的なシーンを、プカプカとパイプをくゆらせて、退屈そうに眺めている男がいる。探検家の装いをしている男の名は、夢違ゆめちがい。法隆寺と同じ化け物であるが、擬人化する際に悪夢を吉夢きちむに変える夢違観音像ゆめちがいかんのんぞうりついた。故に、夢を操る特殊な化け物になった。

 

 夢の力を使うと、人は宝物を掘り当てたかのように喜び、狂ったように踊りだした。架空の富を独占し、他者を拒み出す。夢違は、それを阿呆あほうだと思った。


 その力を使って、豊聡耳トヨサトミミには、一族が攻められ逃げまどい、自害に追い込まれる様を延々と見せ続けた。結果、豊聡耳は壊れた。

 悪夢を使うとこうなる。

 神格ですら、抗えぬ夢の力は偉大である。


 夢違は、人間の小娘をどのようにいたぶるか思案し始めた。吉夢が良いのか、悪夢がお好みか。小娘は膝をつき、何かを懇願するような目で、姉を見上げているが、死んだ者が生き返る筈などない。そんな事すら理解できぬ愚か者には、分かりやすい残酷な夢が似合いそうだ。

 この決めかねる時が一番愉快だと、夢違は、薄気味悪く笑った。


 千春は、困惑していた。

 居なくなった二人の姉が揃って現れたが、現実ではないだろうと思った。だが、頭では理解していても、この夢のような世界に浸かっていたかった。ぬるま湯のような想い出の中で、いっそおぼれてしまおうと思った。


「お、お姉ちゃん! 会いたかった! 寂しかったよぉ!」


「……私も会いたかった。……千春、もう、いいやろ?……さあ、逝こう」


 菜月はそう言って、拾い上げた猟銃を千春のひたいに向けた。

 針は悪夢に振れたようである。

 弾はまだ一発残っていた。

 引き金に指がかかる。


「大丈夫や。生き死には関係ない。ちゃんと姉ちゃんが連れてったるからね」


 菜月が冷たく言ったので、千春は急に冷めた。目の前にいる女は、やはり姉ではないと思ったが、抗う事はしなかった。

 何故だろう。凄く疲れた。

 懐かしい姉の姿を見てしまって、自分の中で、何かが、プツンと切れてしまったようだった。抵抗する気力が湧いてこない。


 そして眠くなった。

 良質な夢を見るためには、目蓋を閉じる必要がある。瞳を閉じようとした時、誰かを詰問する夢違の声が聞こえて、現実に引き戻された。


 ……もう、放っておいて欲しかった。


「ナニモノダキサマ!?」


 千春は顔を上げる。

 猟銃を向けていた菜月も、声のする方に振り返っていた。

 スミレとそっくりな女が、夢違の手首を掴んでいた。不健康な面を前に向けて、ぼ~としていたのに、いつの間にか奇っ怪な行動に出ていた。左手首を掴まれている夢違は、何度もスミレを振り払おうとしているが、まるで敵わない。手錠で柱に繋がれたようだった。いよいよ余裕が無くなって来て、大声を出して喚き始めた。


「ハナセ! キサマ! ハナセ! サイキフノウニシテヤルゾ」


 夢違に加勢するように、菜月は走り寄って、スミレに似た女に猟銃を向けた。もし発射すれば、苦労せず、散弾が全て命中しそうな距離だ。


「何してるんやスミレ。千春はあっちやで」


「…………」


「すぐに手を離せ。おっちゃん痛がってるで」


「…………」


「スミレ。あんた姉ちゃんの言うこと聞かれへんのか?」


 菜月が言っても、スミレは聞かなかった。それどころか、スミレが掴んでいた夢違の左腕が、いきなり砂に変わって地面に落ちた。驚愕する声がする。


「ワタシノウデガァァァ!」


 夢違は、残った右腕で無くなってしまった左肩を抱いた。


 ――何が起こっているの?

 千春は状況がうまく呑み込めなかったが、一つ思い当って、首から提げている瓶を確認した。

 蓋が開いている。

 気づけばそこら中に、瓶の中の砂が舞って、キラキラと反射している。


 ――あれは違う。

 千春は思った。

 元々姉の姿を借りた別の何かであったが、スミレの姿をしている女の正体に心当たりがあった。


「スミレお姉ちゃんと違う……。あれは……吉田寺や!」


 千春が絶対絶命になると、瓶から飛び出して窮地を救う。吉田寺が来たのは、これで二度目。しかも十五年ぶりだ。以前に助けられた事など、千春はすっかり忘れていた。

 

「スミレ! いいかげんにしときや!」


 菜月の姿をした女が怒って、猟銃の引き金を引いた。東院伽藍とういんがらんに銃声が響き渡る。遠くで鳥が、鳴き声を上げて飛んだ。

 吉田寺は、極至近距離から菜月に撃たれたが、平然としていた。右手で銃口を掴む。途端に猟銃が砂になった。


「きゃあ! なんやこれ!」


「キサマァァァ! ワタシノウデヲカエセ!」


 怯んだ菜月の横から、夢違が残った腕で殴りかかってくる。拳は吉田寺の顔面を捉えた。首から上だけが、吹き飛んでしまいそうな勢いだが、吉田寺は顔面に止まった手を、逃がさずに右手で掴んだ。途端に砂に変わる。


「ウワワワワァァァ! モウダメダ! オマエタチハデテイケ!」


 夢違が叫ぶと、瓦礫の山である夢殿の上で、空間に一本の亀裂が走った。二本、三本と、どんどん増えていく。亀裂が走る度に、鞭を打ち付けるような音がする。やがて蜘蛛の巣模様に広がった亀裂は、教会のステンドグラスに石を投げつけたように、破片を撒き散らして飛び散った。


 その破片を越えて、何も見えない真っ暗な空間から巨大な霊獣が飛び出してくる。背には男を二人乗せている。鹿目征十郎しかめせいじゅうろうと武くんだ。二人とも「夢違」と書かれた黒い布で目隠しをされているが、飛び出してくるなり乱暴に掴みとって、そこら辺に投げ捨てた。


「待たせたな千春! よく頑張った!」


「千春ちゃん! 大丈夫やったか!」


「オオオ――ンッ!!」


 雪丸が天に向かって吠えるなり、薄暗い空から雷が落ちた。両腕を失った男と、菜月の姿をした女が、太い光の柱に巻き込まれる。

 警告なしの容赦なし。

 雪丸の怒りの一撃が化け物を襲う。吉田寺は、もう何処にもいなかった。千春は無事だと判断し、フワフワと舞う塵に戻ったのだと思われた。

 断末魔がする。

 夢違の巨体は、やがて黒い炭のようになって崩れた。菜月の姿をした女にしても同様である。

 そこまで見届けてから、鹿目は叫ぶ。


「ちんけな夢を見せやがって! おちょくるのもいい加減にしろよ! 出てこい法隆寺! そろそろ幕切れだ!」


 鹿目の声は東院伽藍に響き渡った。何処に隠れていても耳に届くだろう。


 そうしてやって来る。

 奈良県下最大の敵。

 魔都を解除するためには、この敵の首がどうしても必要だ。

 鹿目は空想する。

 以前、豊聡耳が使った七星剣を想い描いている。

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